何で、俺が魔王の花嫁?
005
部屋から出る許可をもらったのは、それから七日たってからのことだ。
「よろしいですか、姫様。少しでもおかしいと思われたら部屋にお戻りください。そのあたりのことはモーブが心得ておるとは思いますが」
ファーマンがこう言いながら彼女へと視線を向けた。
「大丈夫ですわ」
にっこりとほほえみながらモーブがファーマンに言葉を返す。
「姫様の健康管理についてしっかりと先生にご教授いただきましたもの」
だから心配はいらない。彼女はそう言い切る。
「それでこそ、儂の弟子よ」
わざわざ呼び出したかいがあった。そう付け加えた瞬間、他の侍女達からの視線が柔らかくなった。やはりいきなり来た人間が王族のそばにつくのが気に入らなかったのか。
それでも、その理由が俺が倒れたことであり、彼女がファーマンが自慢する弟子だとわかれば納得できるものらしい。そういうところは彼女たちもプロフェッショナルとしての意識なのだろう。
「もっとも、姫様のお衣装などはこれから皆様にご教授いただかなければいけないですけど」
「それは仕方がないの。お前は医師としての勉強しかしてこなかったのだから」
しかし、いつの間にここまで打ち合わせをしていたのか。
それとも、これもモーブの力の一端なのか、と心の中でつぶやく。
「それで、今日はどうなさるご予定ですの?」
カミラがこう問いかけてくる。
「図書室に。モーブがお花について教えてくれると言っていたので」
体調がよくなってからみんなが花を持ってきてくれたが、名前を知らないものが多かった。だから、それについて調べてみたいと思ったのだ。そう続ける。
「お薬にも使えるお花があるなどとは知りませんでした」
そう付け加えた瞬間、なぜかカミラ達の表情が微妙に引きつった。
「……モーブ?」
「本当に危険なものは事前に取り除かせていただきました」
さらりと告げる彼女に、故意か偶然かはわからないが自分が命を失ってもかまわないと思っている人間がいるらしいと理解する。しかし、五歳の子供がそこまで恨まれるようなことをするだろうか。少なくとも、記憶の中にはそれらしいものはない。
でも、逆恨みというものがあるからな。
自分の知らないところで誰かの恨みを買っていたとしてもおかしくはないか。それでもしつこいなとは思う。自分に贈られてきた花はきっと送り主が控えられているんだぞ。そこから足がつくとは思わないのだろうか。
きっと、自分に都合のいいように周囲が動いてくれる人間が犯人なのだろう。
つまり、貴族か王族と言うことになる。
これは思い切り闇が深そうだ。自分が関わってなければ絶対に手を出したくないと思う。
それでも死にたくないからあがくわけだけど。
今の体でできることは少ない。でも、知識だけならばいくらでも増やせるはずだ。それに、知識はあっても困るものではないし。
「モーブ、行きましょう」
俺がそういえば彼女は小さくうなずく。
「お茶の時間までには戻ります」
楽しみにしていますね、と付け加えればカミラ達もほほえんでみせる。
「行ってらっしゃいませ」
この言葉に小さくうなずき返すと、俺はファーマンやモーブとともに部屋を出た。
「エレーヌは助かったそうだな」
ガリカ王ユージンがそう声をかけてくる。
「あぁ。何とかな」
ジョフロアは彼に小さくうなずき返した。二人の服装は第二正装。婚姻や魔族の高官との顔合わせの時などに身につけるものだ──ちなみに第一正装は戴冠と魔王との謁見の時にのみ身につけることを許されている──この世界を表す花冠鳥の羽毛で縁取られたマントは、それぞれの国の色で染められていた。
ジョフロアが治めるラエウィガーダは白。
ユージンが治めるガリカは紅。
どちらもその国の花の色だ。
「しかし、今回の会合は何故であろうな」
緊急を要することが起きたのだろうか。そう告げるロレンソにジョフロアは微苦笑を返すしかできない。
おそらくはエレーヌの胸に浮かび上がったあの紋章についての話だろう。先にモーブから聞かされていたとはいえ、まだ納得はできていない。
だが、受け入れなければいけないこともわかっている。
それに、エレーヌは娘だ。いずれ嫁に出さなければいけないことも事実。その相手が自分の想定を超えた相手だと言うだけではないか。
今すぐではなく成長を見守る時間を与えられただけでも僥倖だろう。
それでも問題は山積みだ。
「会合か……」
思わずため息が出てしまう。
「いかがした?」
「……エレーヌが無事だと伝われば、また騒ぎになるであろうな、と思っただけよ」
「仕方があるまい。婚姻は我らの絆を強めるものだからな」
自分たちもそうではないか。ユージンはそう続ける。
「息子達の相手も決まっておらぬのにか?」
「エリザベスが騒いで決まらぬのだろう?」
「あれは、今、エレーヌのことで手一杯なのだが」
息子達の相手はさほど悩んでおらぬようだ、と苦笑を浮かべた。こんな会話ができるのも、彼が妻であるエリザベートの兄だからだ。
「娘は嫁に出さねばならぬからな」
「……そういうことか。だが、まだ五つだろう?」
「あと十年しかない、と騒いでおったぞ」
相手が相手なだけに、と心の中でつぶやく。
「ベスはそちらで苦労したのか?」
「苦労と言うほどのことはなかったと思うが、女性のことはよくわからぬ」
微妙な所作の違いなどはあったかもしれない。そう続けた。
「そうかもしれんな」
確かに、とユージンも同意をしてくれる。
「エリザベートは聡明な上に努力家だったしな。それに、すぐに王子を産んでくれた」
王妃の最大の役目は後継を生むことだ。しかも、二人続けて王子だったのだ。彼女の地位はそれで盤石になったといえる。それはユージンもわかっているのだろう。
「ただ、あの二人は王子であったが故に彼女の手で教育をすることを許されなかった。そういうことなのでしょう」
エレーヌであれば彼女の思うとおりの教育をすることが許される。もっとも、本人の希望次第だが。
「……そういえば、あれは人形遊びが好きだったな」
何かを思い出したのだろう。ユージンがつぶやくように言葉を口にする。
「まぁ、心配をした分、好きにさせようかと」
「それが一番か」
こんな会話を交わしている間に、二人は目的地にたどり着いていた。
世界の成り立ちを彫刻した扉の奥に国王達が集まる会議室がある。そこへと二人は足を踏み入れた。
「遅れましたか?」
残りの二人はすでにここにたどり着いていたらしい。慌ててジョフロアはこう問いかけた。
「何。さほど待ってはおらぬぞ」
まず口を開いたのはビリディフローラ王のパブロだ。
「老人は気がせくでなぁ」
最後に最年長のフェルダ王ロレンソが口を開く。
「それより娘御は?」
「今はもう回復しております。ただ、今しばらくは気をつけねばならぬようですが」
やはりここでも話題はエレーヌのことになるか。そう思いながら言葉を返す。
「それは重畳」
子供が死ぬことほど悲しいものはない。その言葉には実感がこもっている。そういえば、彼は娘の婚姻相手を魔物との戦いで失っていたのだ。だから、我が身と重ねたのだろうか。
「儂の孫も同じくらいの年だからのぉ」
そういえば、その忘れ形見が生まれたと聞いた覚えがある。それがあったからこそ、彼の娘は精神を病まずにすんだのだ。
しかし、この後に続くであろうセリフを想像した瞬間、ジョフロアの胃はきりりと痛んだ。
なんと言ってはぐらかすべきか。
そう思ったときだ。部屋の中央に新たな扉が浮かび上がる。
「おいでになったようだ」
その言葉とともにドアが開き、一人の美丈夫が姿を現した。
Copyright (c) 2017 Fumiduki All rights reserved.