何で、俺が魔王の花嫁?
004
目を覚ますと昨日よりは少しだけ体が楽になっていると自覚できた。
同時に、室内に見知らぬ女性がいることに気づく。
誰だろう。そう思いながら俺は視線を彼女に向けた。
「初めまして、エレーヌ様。御身の護衛を任じられましたモーブと申します。以後、おそばに付き添わせていただきます」
一分の隙もない動きで完璧な礼をする。その仕草から彼女がかなりの実力者だとわかった。
だが、それ以上に気になったのは彼女の頭を飾っている角だ。
「……人?」
自分の見間違いか。そう思いながらこう問いかける。
「やはりおわかりになりますか。一応隠してはいたのですが」
言葉とともに彼女の灰色の髪が黒く変わった。
「魔族?」
「はい。これからあなた様をお守りさせていただきます」
「なぜ?」
魔族とは人族よりも強く賢い。そんな存在がいくら王族とはいえ幼女のそば仕えになるのはおかしいのではないか。そう思いながら聞き返す。
「魔王様があなたを気に入られたから、ですわ」
モーブは笑顔でそう言う。
「魔王様のお気に入りならば守るのは当然です」
自分たちもまた魔王に守られているのだから、と彼女は続けた。
「……わからないけど……お父様が許可を出されたなら、それでいいわ」
ここまで言葉を口にした瞬間、俺は普通に声が出ていることに気がついた。寝る前までは会話どころか単語を口にするのもつらかったのに、と思わずにいられない。
「のどの方は治させていただきました」
そんなことを考えていれば、彼女はあっさりと口にしてくれる。
「あなた様にご不自由を感じさせないのも侍女としては当然の役目です」
きっぱりと言い切られるが、それではファーマンの立場がなくなるのではないか。
「ちなみに、私が手を出せるのはあなた様に関することのみです」
他の王族に関しては他のメイド達と同じ程度の関わりしか持てない。モーブがこう言ってきたのは俺の疑問を読み取ったからか。だとするならば、もっとポーカーフェイスを鍛えなければいけないだろう。
「……でも、どうして? 気に入ったものは持って行くのが魔族でしょう?」
自分の知識ではそうなっているが。心の中でそうつぶやいた。
「あなた様はまだ幼いではありませんか。母君にしてみればまだまだして差し上げたいこともおありでしょう。ですから、常識として婚姻が許される年齢まではこちらでお過ごしいただくように、というのが王の御意志です」
俺のためではなくお母様のためか。前世では親孝行をする前にあんなことになったから、今生ではできる限りのことをしたいと考えていた俺としては願ってもないことではある。
「……でも、わたくしの命は誰かに狙われているのですね?」
誰も口にはしなかったが、おそらく毒でも飲まされたのだろう。
しかし、自分を殺してどうなるのか。それがわからない。わからないからと言って無視することもできない。それがもどかしいと思う。
「ご心配なく。二度とあなた様に指一本触れさせません」
そのために自分はここにいるのだから。そういうモーブはとても頼もしく見える。
同時にもどかしい。
自分の手でやりたいことはたくさんあるのに、今の年齢がそれを阻んでいる。そして身分も。自分が何かをしようとすればどうしてもワンクッションを置かなければいけないのだ。
「そうね……今のわたくしには信頼できる味方が必要だもの」
あなたなら大丈夫ね。そう言うと俺はほほえんで見せた。
翌日には、彼女の存在は城内のものへと周知された。ファーマンの遠縁という身分を与えられたのは、あれこれと詮索されないためだろう。
そして、俺が倒れたからだ。
何があってもすぐに対処できる人間がそばにいた方がいい。そう判断をされて父が彼女を呼び出したと言うことになっている。
もちろん、彼女を歓迎している者達だけではない。
彼女の経歴そのものが嘘ではないかと考えている人間もいる。
だが、それを声高に叫べないのは、王である父が『そうだ』といいきったからだ。王の言葉が絶対であり真実なのはこちらの世界でも変わらないらしい。
「……みんなはそんなこと、しないよね?」
そんなことをするようならばだだをこねて追い出すだけだ。そう思いながらカミラ達に問いかける。
「もちろんですわ」
「陛下のお決めになったことですもの。従うのが当然です」
カミラとホノラはすぐに言葉を返してくれる。だが、ダニエラは微妙な表情のまま口をつぐんでいた。
「……ダニエラ?」
「陛下のお言葉に間違いはないと信じております。ただ、彼女の人となりを存じませんので、この場での明言は避けさせていただきます」
それはそれで正しい主張のような気がする。
だが、三人の言葉にどこか違和感を感じるのはどうしてだろうか。何というか、正しいのにずれているような気がする。
でも、何がずれているのか。今の自分でははっきりと指摘できないのだ。
「かまいませんか?」
モーブにそう問いかける。彼女が不快と思えば三人の命ぐらい簡単に消えてしまう。
「当然の主張かと」
モーブはそんな彼女たちの言動を気にかける様子もない。あるいは何があろうと対処できると思っているからかもしれない。
「わたくしは姫様のおそばにいられればそれで十分でございます」
にっこりとほほえむ彼女は慈母のようだ。しかし、その中身はといえば取扱注意だろう。おそらく怒らせれば無条件で鬼子母神並みの破壊力を持つに違いない──前世の一番上の姉のように、だ。
怒らせないようにしよう。
心の中で俺はそう決意する。
三人もそう思ってくれればいいのだが、こればかりはどうだろう。俺に対しては丁寧な言動を崩さないが、自分よりも身分が下のもの達には違うようだ。それが貴族のプライドと言えばそれまでなのだろうが、前世を思い出してしまった俺には違和感がありすぎる。しかし、俺の立場からそれを指摘するのも難しいだろう。
身分社会というのは本当に面倒だ。
「ありがとう」
それでもこう言い返せるのはエレーヌの知識があるからか。
この年でマナーについての授業があるんだよな。勉強は嫌いではないけど、マナーの教師はちょっと苦手かもしれない。
厳しいのはかまわないけれど、褒めてくれないのは困る。小さい子供は褒めて乗せればかなりの確率で身につけるものなのに。怖いから従うが、それでは相手の顔色を見るだけの存在になりはしないか。
話がそれたのは、間違いなく現実逃避だ。
室内に目に見えない火花が散っている。
錯覚であればいいが、そうではないだろう。すでに誰が筆頭になるかを争っているのではないか。
「……のどが渇きました」
ともかく仕事を与えてしまえとばかりに俺はこう言った。
「すぐにご用意をいたします」
それが功を奏したのか。空気が柔らかくなる。
「姫様。その前にお薬を」
モーブがそう言いながら脇に置かれたポットから煎じた薬をカップに注ぎ入れた。それをまずは彼女が一口口に含んでみせる。毒が入っていないことを証明するためだろう。それは俺に対してではなく他の者達に向けてのパフォーマンスだとわかっている。だが、それが必要なのだ。
それにしても、女同士というのは怖いな。
姉達のあれこれでわかっているつもりだったが、あれはまだ血縁があっただけおとなしいものだったらしい。
それがなくなれば、これほどまでにぎすぎすするもなのか。
この中で、俺は無事にやっていけるのかと不安になってくる。
これならば、まだ熱を出して寝込んでいた方が楽だったかもしれない。そんなことまで考えてしまう。
「仲良くしてくれるのが一番なのだけど」
そうつぶやかずにはいられない俺だった。
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