何で、俺が魔王の花嫁?
006
写真などないはずなのに、ページに描かれている植物は本物と遜色のないものだ。
そういえば、あちらでもこういった細密に描かれた植物画を見た覚えがある。それと同じように一点ずつ手作業で書いているのかと思えば、その苦労に頭が下がる思いだ。
同時にあちらの植物と比べてあまり差違がないことに驚く。
「こちらが王家の花ですね」
モーブがそう言いながら四種類のバラによく似た花を指さす。見れば原種四種と同じ名前だ。ただ、あちらの原種はつるバラなのに、こちらのそれはフロリパンダのように木立だと言うことか。
何で俺がそれに詳しいかと言えば、冬美姉さんと春香姉さんの趣味がそうだったからだ。真ん中の二人はガーデニングなんて嫌いだったのに、小学校と中学校の入学式が同時だった二人は好きだったようだ。もっとも、自宅は日本家屋だったからバラは鉢でいくつかあっただけだったが。代わりに畑の一部を使って育種をしていたらしい。
春香姉さんに至ってはそのために農学部に進学したほどだし。
「こちらの花はそれぞれが特別な力を持っております。ですので、王家以外の人間が手を触れることは許されません。これらの花のお世話が王妃様の主なお仕事の一つになります」
それで母様はよく庭にいるのか。そう納得する。
「こちらは薬草になりますね」
次のページには見覚えのあるハーブが描かれていた。だが、それぞれ効能は違うらしい。
「これもお母様のお仕事?」
「いえ。こちらは庭師の方々がお世話をしておられるはずです」
いったいいつの間に彼女はそんな知識を仕入れてきたのだろうか。
「そうなの」
「どうかなさいました?」
「私でも育てられるでしょうか」
そう言って首をかしげてみせる。
「どうでしょう。丈夫だとは聞いたことがありますが」
自信なさげにそう告げるモーブに彼女にも知らないことがあるのかと驚く。
「庭師にお聞きになります?」
モーブのこの言葉に俺はうなずいてみせる。
「では、少しの間お待ちくださいませ。ここから動かれませんように」
言葉とともに彼女はさりげなく俺を中心に床に円を描く。
「……結界?」
それを見てこうつぶやいた。
「簡単な守護ですわ。ここからお出にならない限り、姫様に害意を持った人間は近づけません」
ですから、ここから出てはいけませんよ。彼女は重ねて注意を口にした。
「ごほんのつづきをよんでます」
「そうなさってください」
言葉とともに彼女は滑るような足取りで図書室を出て行く。その際に、ドアにも何か魔法を施していったことに俺は気づいていた。
ずいぶん念入りだな、と心の中でつぶやく。
あるいは、まだ俺が表に出てくる原因になったあの件が解決していないのか。だから彼女たちが過保護になっているのかもしれない。
それにしても、なぜ《俺》なのか。それが未だに理解できない。
周囲のもの達の様子を見ても、彼女が恨まれていたようには感じられない。何よりも、エレーヌはようやく五歳だ。多少のことは子供の戯言で済まされる年齢だろうし、第一、彼女のお披露目は先日のあれが最初だ。
つまり、城内で恨まれる事情がなければ彼女自身が恨まれる理由はないと言うことである。
と言うことは、理由は周囲にあるのではないか。
父様や母様と言う可能性は一番高い。しかし、どう見てもこの国はあちらと比べても幸福度は高そうだ。ならば可能性は下がるのではないか。
「後は兄様達か」
たった一人の妹だからか。兄たちは三人とも自分に甘い。特に一番上のユーベル兄様は激甘だ。ひょっとしたら、自分を理由に女性からの誘いを断っている可能性すらある。他の二人も同様だ。
間違いなく、それが原因のような気がしてきた。
女性の逆恨みって怖いんだよな。
「エレーヌ、一人かい」
そのときだ。元凶(仮)の声が耳に届く。
「ユーベルお兄様。モーブは今、庭師さんのところに行っています」
これを育ててみたいのです、と先ほど見つけたハーブの絵を指さす。しかし、なぜか彼は俺のそばに近づいてこられない。
「お兄様?」
「ここに見えない壁があるね」
その言葉に俺は首をかしげた。モーブの張った結界は害意のある人間だけをはじくものではなかったのか。それならば、どうしてその結界を超えられないのだろう。
「こっちに来てくれないかな?」
笑顔で彼はそう言った。
「ここから動かないとモーブと約束しています」
約束は破ってはいけないのだ。そう主張しておく。
「相手が私でも?」
「そうです。お父様ならばモーブも仕方がないというかもしれませんけど」
そもそも、彼は本当に兄様なのか。ふっとこんな疑問がわき上がってくる。
「お兄様は通れるはずなのに」
鎌をかけたつもりはない。純粋に疑問に思ったからそう口にした。
「……ちっ!」
その瞬間、思い切り舌打ちをされる。
「……お兄様ではありませんね」
全く。このくらいで馬脚を現すなよ。そう思いながら相手をにらみつけた。
「あなたは、誰?」
あきれたような声音でさらに問いかける。
「こんなところまで侵入してきたのは偉いけど、姿を見せたのは失敗だったね」
きっと、モーブが騎士を連れて戻ってくる。そのときに逃げられればいいけど、とそう付け加えた。
もちろん、半分ははったりだ。
後の半分は、彼女がドアに施していった魔法を当てにしてのことである。
いや、それがなかったとしてもこの結界に触れた時点で彼女に伝わったのではないだろうか。
「姫様のおっしゃるとおりです」
そう考える間もなくモーブの声がする。
「しかも幻影でユーベル殿下のお姿を写し取るとは……ますますあきれますね」
同時に目の前のユーベル兄様の姿をした男が床にたたきつけられた。
「申し訳ありません。馬鹿を近づけさせてしまいました」
男の腕を後ろ手に拘束しながらモーブが言う。
「大丈夫。モーブの結界が守ってくれたから」
「それはようございました」
言葉とともに彼女はきれいにほほえんだ。
「では、これは近衛騎士に渡してきましょう」
「その前に兄様の姿をなんとかしないと、モーブが困らない?」
「ご本人の前に突き出せばいいような気もしますが……そうですね、誰か証人になってくださりそうな方の前で解除させましょう」
そこにいる方とか、と付け加えた彼女に俺は視線を移動させる。
「ユーグ兄様、アンリ兄様」
二人の兄がそこで目を丸くしていた。
「エレーヌ、これはどういう状況なのかな?」
「ユーベル兄上の暴走?」
さりげなくひどいセリフが聞こえたような気がするのは錯覚だろうか。しかし、これ以上の承認はいないだろう。
「私を殺しに来た方です」
多分、と付け加えた瞬間、モーブが男の幻影を壊す。状況を飲み込めないものの、さすがに二人は放置できないと判断したらしい。即座に護衛の騎士を呼び寄せていた。
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