連れ帰った少年の容態を耳にして、ディアッカはため息をつく。
 いや、それは彼を診察した医師や報告を受けたバルトフェルド達も同じだった。
 脱水症状はもちろん、栄養失調やストレスによる内臓の働きの低下。そして、何よりも彼らを驚嘆させたのは、少年の体から『薬物反応』がでたことだ。
「……その薬は……普通に処方されるものなのかな?」
 報告を受けたバルトフェルドが医師に向かって問いかける。
「いえ……これは、ナチュラルでも特別なときにしか処方されません。しかも、かなり厳密に投与する量を計測しなければ、最悪の場合、死亡する可能性すら考えられます。しかも、彼はかなりの期間、それを飲まされていたようですし……コーディネイターであったからこそ、視力の低下、と言う程度ですんでいるものと」
 これが、直接血管に注さされていた場合、いくらコーディネイターでも死亡していたかもしれない、とかれは付け加える。あるいは、さらに長期間飲まされていても同じ結果だったろうと。
 この言葉に、ますますその場にいた者たちの眉が寄っていく。
「と言うことはなんだ? 誰かが故意に彼にそれを飲ませた、と言うことかな?」
「……おそらくは……」
 医師であれば、彼を殺すにしてももっと別の方法を使っただろう、と彼は告げる。もっとも、同じ医師として認めたくはないが、とも付け加えた。
「……で、彼は治るのかね?」
 さすがにこのままにしておくわけにはいかないだろう。
 誰かの手によって、濃いに、今の状況に追い込まれたのならなおさらだ……とバルトフェルドは口にする。
「体調の方は……適切な食事と点滴等で改善されるか、とは思いますが……視力の方はどこまで回復するか……飲まされた量や期間によって、一概には言えません。むろん、最善の努力を尽くしますが」
 完全に回復することは難しいだろう、と彼は最後に締めくくった。
「そうか……仕方がないな」
 それでも、生活に支障がない程度には直してやりたい、と思うのは、その容姿のせいなのだろうか。それとも、自分が拾ってきたからなのかとディアッカは自問自答をする。
「ともかく、平穏な環境と十分な栄養を与えてやれるよう努力をしよう」
 体調さえ整えることができれば、本国の医療機関に見せることもできるだろうし、そうすれば治療方法も見つかるかもしれない、とバルトフェルドは口にした。
「……父上に言えば、何とかなるかもしれねぇしな……」
 ディアッカは小さな声で呟く。それは、頭の中で渦巻いている疑問を振り切るためのものだったのだが……
「あぁ……フェブラリウス市は医学関係の施設が充実していたな。ダット叔父上なら最適な方法を見つけられるか」
 もっとも、物好きだとしか言いようがないがな、とイザークが言い返してくる。どうやら、それで自分の声が彼の耳に届いたらしい、とディアッカは小さくため息をついた。
「ところで……一つ聞いてもかまいませんか?」
 と言っても、それはいつもの彼の態度だ。かまうとさらに厄介な事態になるだろう。自分に向けられるなら慣れているが、他のものに向けられるのは困る、と判断して、ディアッカは聞こえなかったことにした。
「何かな?」
「その薬、どのような場合に使われるものですか?」
 事前にそれがわかっていれば、あるいは……と付け加えながら、ディアッカは問いかける。
「……私が知っている限りでは……主として興奮剤、ですね。戦場で使われることが多かったかと……理性が低下をし、その代わりに戦闘本能が増大されますので」
 兵士に使う分には有効なのだ、と彼は付け加えた。
「ずいぶんとまた、物騒な薬ですね」
 ナチュラルにとっては、兵士もまた資源か……とイザークもあきれたように口にする。
 だが、どうしてそのような薬を彼は飲まされていたのか。
 そんな考えがディアッカ達の脳裏をかすめた。
 その時だった。
「ドクター。あの子、気がついたわよ」
 柔らかな声が彼らの耳に届く。視線を向ければ、烏の濡れ羽のような漆黒の髪をした女性が立っている。
「わかしました。今行きます」
 言葉と共にドクターが行動を開始した。その後を他の者たちもぞろぞろと付いていく。その理由は、間違いなく好奇心からだろう。
「気がついたかね? 気持ち悪くはないかな?」
 まだぼんやりとしている少年に向かって、ドクターが問いかけている声が、彼らの耳に届く。
「……僕、生きているんですか?」
 どこか夢を見ているかのような、少年のものにしては細い声がそれに続いた。その口調からすると、彼は自分が死ぬであろうと予測していたらしい。もっとも、あの状況であれば、それが普通なのだろうが。
「君のペットロボットがね、彼を呼んだのだそうだよ。で、我々が保護をさせて貰った、と言うわけだ」
 答えを返しながら、ドクターはディアッカを指さしてくる。
 ほとんど条件反射なのだろうか。少年がゆっくりと視線を向けてきた。
 次の瞬間、きらきらと輝くアメジストのような菫色の瞳がディアッカを捕らえる。その瞳の美しさに、ディアッカだけではなく隣にいたイザークも、そしてバルトフェルドも息を飲んだ。
 しかし、彼の表情には次第に嫌悪とも取れる色が浮かんでくる。
「……ザフト、の施設なのですか、ここは……」
 彼の口から出た言葉からはやわらさも失せていた。
「そうだ、と言ったらどうするのかな?」
 バルトフェルドが肯定をする。
 その声が届くと同時に、少年は腕に刺さっていた点滴の針を自分で抜き取った。そして、そのままベッドから跳ね起きると窓へと駆け寄り、そこから外へと飛び出そうとした。
「危ない!」
 いや、医師がその体を抱き留めなければ、間違いなくそうしていただろう――この部屋が4階にあることも気にせずに、だ。もちろん、コーディネイターだとしても、この高さから飛び降りれば怪我をするのは目に見えている。そして、視力に異常がある少年であれば、最悪、命に支障があったかもしれない。
「放してください! 僕は……僕は、ザフトなんか……」
 だが、少年はその腕から逃れようと抵抗を開始する。それを手助けするかのように、アイシャが彼らの元へと駆け寄っていく。
「落ち着きなさい、坊や。アンディ?」
 アイシャの呼びかけの意図がわかったのだろう。
「我々はここにいない方がいいようだな」
 この言葉と共に、ディアッカ達に退出しよう、と促してくる。さすがに今の少年の行動には、あっけにとられたのか、珍しくもイザークは素直にその言葉に従った。もちろん、ディアッカにしても異論はない。彼らに続いて廊下へと出る。
「……いったい何なんだ……」
 背後でドアが閉まると同時に、イザークが吐き出すように言葉を口にした。
「なんで、俺たちが……同じコーディネイターに嫌悪を向けられなければならないんだ?」
 そんな理由ないだろう、と付け加える彼の言葉は、ディアッカも同じだった。
「本当にそうだと言えるかな?」
 だが、バルトフェルドは違ったらしい。
「どういう事ですか!」
 これはイザークのカンに障ったらしい。むっとした表情のまま、彼にくってかかる。
「確かに、コーディネイターのほとんどは本国に住んでいる。だが、少数とはいえ、もう一カ国、居住が認められている国がある」
 もちろん、その事実は彼らだって知っていた。だからこそ、その国は『中立』を保っているのだ。
「……オーブがどうした、と言うのですか」
 そんなこと、理由にならないだろう……とイザークは言外に告げる。
「君たちがあの機体を奪取するための作戦で、結果的に崩壊したヘリオポリスはオーブ所属だったはずだが?」
 そんな彼に、バルトフェルドは逆に聞き返してきた。
「そ、れは……地球軍が……」
「それこそ、一般市民には全く関係のない話だな。まして、それで家族を失ったとしよう。その原因を作ったコーディネイター、それと同じ人種である彼らに怒りが向けられないとでも?」
 どのような理不尽な行為だとわかっていても、そうしてしまうのが人間だ。そして、その結果、居場所を失ってしまった者がいたとしてもおかしくはない。
「理不尽に自分の居場所を取り上げられてしまったものが、同じ同胞とはいえ、我々を恨まない、とでも思っていたのかね、君は?」
 淡々と告げられた事実に、イザークだけではなく、ディアッカもそれ以上反論を返すことができなかった。
 だが、本当にそれだけなのだろうか。
 ディアッカの中で別の疑問が湧き上がってきた。