「キラ、どうしたの? 今日はため息ばかりだわ」
 アイシャの言葉に、キラはモニターから顔を上げた。
「そう、ですか?」
 そんなつもりはなかったのに、と付け加えると、アイシャはさらに微笑みを深める。
「私が数えていただけで、もう二桁だわ」
 顔を見せてからまだ十分と経っていないのにね……と言われると返す言葉がない。それでも、そんなにため息をついていたという自覚がキラにはなかったのだ。と言うより、気にする余裕がなかった、と言うべきなのか。
「何か困ったことでもあった?」
 こう言いながらアイシャがキラの顔を覗き込んでくる。
「……ちょっとわからないことがあって……」
 答えが見つけられないのだ、とキラは素直に口にした。ここで誤魔化そうとすれば、あれこれ余計なことまで聞き出されてしまうと言うことを実体験で知っているからだ。
「私に答えられる事かしら?」
 アイシャがさらに問いかけの言葉を口にする。
「……自分で、答えを出さないといけないことですから……」
 だから、考え続けているのだが、どうしても答えが見つからない。彼の思いに答えるにしろ、拒絶するにしろ、少しでも早く答えを出さなければならないのに……とキラは思う。戦場では、いつ何時命が失われるものかわからないのだから。
「それでも、誰かに話すことで頭の中が整理できる、と言うこともあるわよ」
 だから、話してみない? とアイシャが微笑みかけてくる。それにどうするべきか、とキラは悩む。果たして彼女に話していいものだろうか、と思うのだ。
「本当にプライベートな事だし……アイシャさんも忙しいのでしょう?」
 だから、とキラは言外に断ろうとした。
「あら。私じゃ頼りにならないのかしら?」
 だが、アイシャはさらに食い下がってくる。
「なら、アンディか誰かにする?」
 さらにこう付け加えられては、キラとしても話さないわけにはいかないだろう。アイシャ以上にバルトフェルド達が忙しいことは十分想像できるのだ。
「……好きだって言われて……でも、僕でいいのか、とか……ついこの前まで敵だったのにとか、そんなことを考えちゃって……すごくいい人だから、僕よりももっとお似合いの人が出てくるだろうし……」
 結局は、誰かに好意を抱くのはかまわないが、本気になるのが怖いのだ、自分は……とキラは気づく。どうせ、いつかは置いて行かれるのだから、と。でなければ、直ぐに切り捨てられるに決まっていると思うのは、自分にとって《友人》との《別れ》がかなりトラウマになっているからかもしれない。
 今回のことにしても、アスランとの別れにしても、結局――本人が意識しているかどうかは別にして――自分が切り捨てられた形になったのだから。
 だから、もし、ディアッカの思いを受け入れてその後で彼に心変わりされたら怖いと思ってしまう。そんなことはないと信じたいのに、どうしても不安が捨てきれないのだ。
「恋の悩みは一番難しいものね」
 慈愛に満ちた微笑みを浮かべながら、アイシャが口を開く。
「でもね。個人的な経験から言わせて貰えば、敵だとか何だとか、というのは全く関係ないわ。お互いの立場がどうであれ、好きになってしまう、と言うことはあるもの」
 それに、今は敵じゃないのでしょう? とアイシャが問いかけてくる。その言葉に、キラは『多分』と答えた。同じ場所にいるのだから、間違いなく《敵》ではないのだろう。
「それにね。私はキラがいい子だと知っているわ。アンディも、ダコスタ君も、クルーゼ隊のオコサマ達もそうね。いや、この基地にいる人はみんなそう思っているわ。だから、自分にもっと自信を持ってもいいと思うの。それに、似合うに合わない、というのはキラではなく相手の人が決めることでしょ?」
 本人がいいと言っているのだから、それは気にしないの……と言うアイシャに、キラは困ったように視線を伏せる。
「……でも、時間が許す限り、じっくりと悩むべきよね、やっぱり」
 キラの性格を考えると、と口にしながら彼女の手がキラの髪に優しく触れてきた。
「今のあなたじゃ、ちょっとしたことでも大きな痛手になってしまうもの。それだけ、あなたの心が傷ついていると言うことなんだけど……特効薬もないのよね」
 できれば直ぐにでも直してあげたいのだが、とアイシャは付け加える。
「そう思ってもらえるだけで嬉しいです、僕は」
 少なくとも、ここでは《コーディネイター》と言うだけで、全てを否定されるわけではない。
 キラがかつてストライクのパイロットだと薄々気づいているものも多いはずだ。それでも同情のまなざしを向けられることはあっても嫌悪されることはなかった。それが自分の今の体調のせいだとしても、キラはかまわないと思ってしまう。
 キラにとって何よりも怖いのは、拒絶されること。
 自分を自分としてみてもらえることが、一番嬉しいと感じられる。
 そして、それだけで十分だとも。
 これ以上の好意は、求めてはいけないのではないか。
 そんなことを考えていたら、キラの唇から知らず知らずのうちにため息がこぼれ落ちてしまう。
「またよ、キラ」
 ため息、とアイシャがからかうように口にする。
「と言っても、内容が内容だから、仕方がないのよね」
 言葉と共にアイシャはさらに笑みを深めた。
「一言言わせてもらえれば、キラの中で答えは出ていると思うの。あとはあなたが踏ん切れるかどうか、よね」
 優しい指がキラの髪を撫でてくる。その感触は心地よいと思う。だが……と考えたところで、キラははっとしてしまう。
 自分は一体、今、誰の指を彼女の指を比べようとしただろうか。
「……どうしたの?」
 急に考え込んでしまったキラを不審に思ったのだろう。アイシャがこう問いかけてくる。
「な、んでもないです」
 キラは慌てて言葉を返す。
「そう? ならいいんだけど……」
 こう言いながらも、アイシャは何かを気づいているのだろう。意味ありげな色を微笑みに含ませた。
「たまにはね、冒険するのもいいんじゃないのかしら? 少なくとも私はいつでもあなたの側にいて上げるから。失敗したら泣きつきに来なさいね」
 そしてこう囁いてくる。
「アイシャさん……」
 その言葉に、キラは困ったように彼女の名を口にした。
「本気よ。だから、安心してね」
 アイシャはさらにキラに向かって言葉を重ねる。
「……あ、りがとうございます……」
 そんな彼女に向かって、キラは何とかこう告げた。その言葉は純粋に嬉しいものだからだ。そして、どうしたことか、彼女のこの言葉はすんなりと信じられてしまう。
 それは、彼女の態度があくまでも純粋な好意に基づいているからだろう、とキラは感じていた。
 言うなれば、母親のそれに近い感情。
 優しく包んでくれるそれは心地いいものだ。しかし、それでは不満だと思う声もキラにはある。
「いいえ。だから、ね、失敗することを怖がらなくていいのよ」
 逃げ込む場所があるのだから……と言う彼女の言葉に、キラは曖昧な微笑みを浮かべた。
「覚えておきます」
 それで直ぐに行動に移せるならいいのだろう。
 だが、どうしてもためらいが抜けきれない。
 キラは視線を伏せると再びどうすればいいのかを考え始めていた。