泣き疲れたキラを、彼が使っているベッドへと運んでやったのは、もう完全に空が暗くなってからのことだ。
「……やばかった……」
 もう少し長い時間、キラに泣かれていたら理性がどこかに行ってしまったのではないか、とディアッカはため息をつく。
「さすがに、こう言うときに手を出すのは、なぁ……」
 弱みにつけ込むようで今ひとつ気が引ける……とディアッカは付け加えた。本気の相手でなければ、これほどおいしいシチュエーションはないのだが、とも。
「しかしまぁ……人の縁というのは奇遇なもんだね」
 そんな気持ちを振り払うかのように、ディアッカは立ち上がる。
「まさか、あいつとキラが『幼なじみ』で『親友』だったとは」
 そして、自分たちが出逢うきっかけを作ってくれたペットロボット――トリィをキラに贈ったのが彼だったなどとは予想もしていなかった。
 その上、既に再会を果たしていたという事実も。
「それがわかれば、いろいろと腑に落ちることもあるがな」
 自分たちが知っていた彼とは思えなかった数々の行動。その理由が《キラ》だというのであれば、無理もないのかもしれない、とディアッカは呟く。
 自分が彼の立場であれば、同じような行動を取ったかもしれない。そう思わせるものがキラにはあるのだ。その上、間違いなくナチュラルに利用されるだけだとわかっていれば……
「相談されていたら、状況は変わっていたのか?」
 同胞が拉致されていると知れば、あるいは……とも思う。だが、これも過ぎてしまったことだ。それを悔やんでも仕方がないだろうし、そもそも相手にそれをしようと言う気がなかったのだから、とディアッカは思う。
「だから、恨むなら、自分を恨めよ」
 ディアッカは、まだ宇宙にいるはずの同僚に向けて呟く。
「俺は本気になったんだし……自分一人でどうこうしようとしたのはお前だ」
 そして、失敗したのも……と呟くとほくそ笑む。
「なぁ、アスラン・ザラ」
 自分は本気でキラの心が欲しいのだ、とディアッカは付け加えた。そのためなら、何でもするだろうと。そして、一度手に入れたら、どんな手段をしても守ってやろうと心の中で決意をする。例え相手が幼なじみのアスランであろうとも、だ。
「と言っても、明日からだな……物事は」
 今日はあまりにも衝撃がキラを襲いすぎた。そのために、彼の心はかなり痛手を受けているだろうと思う――その要因を作ったのは間違いなく自分だ、と言うこともディアッカはわかっていた――だから、自分の気持ちを押しつけるのではなく、ゆっくりと理解させようとも考えている。もっとも、事情が許せば、と言う前提付きだが。
「ゆっくり眠りな。明日のことは明日、考えようぜ」
 そっとキラの髪を撫でるとディアッカは彼の耳元で囁く。
 音を立てないようにきびすを返すと、そのままゆっくりと部屋を出て行った。

 ディアッカはそのままバルトフェルドの執務室へと向かう。
「失礼します」
 言葉と共に中に足を踏み入れれば、そこにはアイシャやイザークだけではなくバルトフェルドの副官であるダコスタの姿もあった。
「彼は?」
 ディアッカの姿を認めて、バルトフェルドが開口一番こう問いかけてくる。
「泣き疲れて眠っています。多分、しばらく目を覚まさないのではないかと」
 少なくとも、今のキラの体力では……とディアッカは付け加えた。
「泣くのにも体力がいりますからね」
 こう言ってきたのはダコスタだった。
「まぁ、泣くことができるようになればマシ、でしょ」
 心の壁に亀裂が入ったと言うことだ、とアイシャが口にする。
「その分、これからあの子の言動にはさらに気をつけないといけないでしょうけど」
 心の鎧がなくなると言うことは、これまで耐えられてきたことも耐えられなくなる可能性がある、とアイシャは付け加えた。
「と言うことだから、ダコスタ君。他の者たちにもさりげなく広めておいてくれ。もっとも、先ほどの話についてはオフレコで頼む」
「もちろんです」
 どこまで彼に話が通っているのか、それに関しては後でイザークにでも問いかければいいか……と思いながら、ディアッカは彼に視線を移す。そうすれば、何やら考え込んでいるらしい当人の姿が視界に飛び込んできた。
「と言うことで、君もあまり思い詰めないように。戦場で、しかも、識別信号が出ていなかったのだ。事故、と言うことだろう。キラ君もそれについてもう追及しないと言っているのだし……それこそ、彼に信用して欲しければ、これからの行動で示すのだね」
 どうやら、あれからイザークは自分の進退についてバルトフェルドへと相談していたらしい。それに対する答えがこれなのだろう。
「……あんまり思い詰めるなよ」
 イザークがいなくなれば、キラが自分のせいだと言い出しかねないのでは、とディアッカは考えた。そして、その可能性が大きいことも簡単に予想できる。
「キラにこれ以上負担をかけたくなければ、さ」
 その想いを素直に口にすれば、イザークは渋々と言った様子で頷いて見せた。
「と言うわけで、その件に関してもこれで終わりだ。あとは……レジスタンスの連中についてだが、早々に居場所を特定して、叩くのがいいだろうね。そうすれば、無駄な戦闘は当面、なくなるだろう」
 違うかな、とバルトフェルドは話題を変える。
「そうですね。こちらにしても、非戦闘員の方が多いここを狙われては、落ち着いて戦闘に出かけられませんし……足つきを追いかけなくてもすむ、とは言え、地球軍の馬鹿共にまた動きがあることは事実でしょう」
 さすがに二つの組織を同時に相手にするのは厄介だ、とダコスタも頷いて見せた。
「二三日中に割り出せるよう、努力をします」
 お任せください、と彼は言い切る。それにバルトフェルドは満足そうに頷いて見せた。
「後……キラ・ヤマトに協力をして欲しい事柄がいくつかあるのですが……」
 ふっと思い出した、と言うようにダコスタが口を開く。
「こらこら……彼に関しては無理強いをするな、と言ったばかりだろう?」
 ため息と共にバルトフェルドが言い返す。あるいは、自分がいない間にも何か言い合っていたのかもしれない、とその様子からディアッカは判断をした。それにしても、キラに、とは何なのだろうか、と思う。少なくとも、戦闘に直に関わるようなことであれば、本人には嫌悪しか抱けないだろうとも。
「わかっています。別段、バクゥやレセップスのOSをどうこうして欲しい、と言うわけではありません。ここの防衛システムについて、彼の意見を聞きたいと、守備担当の者から言われまして……」
 医療AIのシステムの見事さに感心したのだそうです、とダコスタは付け加えた。
「……だそうだが……どうかな?」
 言葉と共に視線を向けられたのはアイシャだった。どうやら、キラに関しては彼女が責任者と言うことになるのだろう。それがどこか面白くないと思ってしまうのは、自分がその立場になりたいからなのだろうか、とディアッカは心の中で自問自答をする。
「無理でしょうね。それもある意味『ザフト』に協力をすることだもの。あの子には無理だわ」
 最悪、また自殺するかもよ……と言われてしまえばそれ以上、誰もその話題を口にすることはできないだろう。
「……一番いいのは、早々に戦場から切り離してしまえばいいのでしょうけどね……」
 そのためにはここではなくジブラルタルかカーペンタリアへキラを移動させなければならないだろう。それが可能か、と言えば、今は難しいとしか言いようがないのだ。
「それほどの価値が地球軍の軍人にあるのか……」
 信じられないと言うようにダコスタが呟く。
「それに関しては、そこにいる少年二人にがんばって貰おうじゃないか。ザフトも彼らと同じ程度には信頼して貰えるようにね」
 それが当面の君たちの任務、と言うことにしようか……と笑うバルトフェルドがどこまで本気なのか、さすがのディアッカも想像できない。
 しかしアイシャ達は納得をした、と言うように頷いている。
 どうやら、彼らにとってこれが普通のことらしい。
「……責任重大だな……」
 まぁ、望むところだが、とディアッカは付け加える。
「それで、あいつの心の傷を治せるとは思わないがな」
 それでも、少しでも慰めになると言うのなら付き合ってやるさ……とイザークも同意を示す。
「では、まず部屋の移動から初めて貰おうか」
 しっかりと彼の面倒を見てくれよ、と言うバルトフェルドの言葉に、二人は頷いたのだった。