オムニがまた領土を広げたと聞いたのは、それからすぐのことだった。
「……いや、だな」
 キラはその事実に不安を覚える。もちろん、それはいずれオムニの矛先がオーブに向けられるのではないか、ということも原因の一つだろう。
 だが、それ以上にオムニの存在に嫌悪感を感じてしまうのだ。
 それはどうしてなのか。
 オーブを狙っているかもしれないから。それだけではこんな風な感情を抱くわけがない。
 確かに、他人を力で蹂躙することは女神はもちろん、キラにも許容できることではなかった。しかし、それと国の利益をさらに大きくすることとは違うだろう、と言うこともわかっている。プラントだって、そうやって今の地位を確立したのだから、とキラは心の中で呟く。
 もし、オーブに侵略を仕掛けてきたとしても、きっとプラントが救援に駆けつけてくれる。何よりも、ここは女神のご加護があるのだ。
 だから、嫌悪を感じる必要はないはずだ、とキラは心の中で付け加える。
 でも、この気持ちが消せるわけではない。
 それはどうしてなのか。
 あるいは、これは女神が感じている嫌悪感なのか、とまで考えてしまう。
「もし、女神様がそう感じていらっしゃるのなら、それはどうしてなのかな」
 それがわかれば、きっと安心できるのに。キラはそう考える。
「まだまだ、僕が力不足ってことなんだろうけどね」
 もっと力があれば、女神が何を考えていらっしゃるのかわかるのに。そんなことも心の中で付け加えてしまった。
「ダメだね。今はそれよりも考えなければいけないことがあるのに」
 もうじき、母が常世の国に行ってから一年になる。
 服喪の期間が明ければ、カガリの戴冠式があるのだ。
 幸いなことに、井戸に投げ込まれた毒物は排除されたし、人々もその井戸の水が浄化されるまで他の井戸から汲まれた水を飲んでいるおかげで体調も元に戻っている。
 ハルマが元気になってくれたことで、カガリも落ち着いてくれたようだ。
 カガリが女王になれば、きっとオーブは元のようになる。
 何よりも、女神がそれを望んでいらっしゃるのだ。
 だから、きっと今までと同じくらい――いや、それ以上によい国になるに決まっている。そう信じていた。

 オーブを守っているのは女神の加護だけではない。
 その地形も、またオーブを天然の要塞として守っていた。そして、唯一開けている平野の先にはプラントがある。
 だが、逆に言えばオーブを奪われてしまえばプラントの守りも弱くなると言うことだろう。
「いつ見ても壮観だな」
 馬を止めると、アスランはそう呟く。
「そうだな」
 言葉を返してくれたのは、最近彼の旗下に付けられた騎士の一人、ミゲルだ。他にも四人、彼の周囲を固めている。
「始めてきましたけど、本当に空気が違うんですね」
 これはニコルだ。
「女神のご加護ってか?」
「ディアッカ! そのような物言いは何なのだ?」
 からかうような口調で言った彼を諫めたのはイザークである。彼の父もまたオーブの神官の出であったからだろうか――彼の母であるエザリアとの恋物語は、プラントでも有名な話だ――この中では女神に対する畏敬の念が一番強いらしい。
「あの大きいのが王宮で……その後ろにある白亜の建物が神殿なのか?」
 こう言ってきたのはラスティだ。
「そうだ。王宮が神殿を守っている」
 それがあるからこそ、カガリは女王になることを承諾したのかもしれないな、とアスランは今更ながらに認識する。彼女がどれだけキラを大切にしているのか、自分がよく知っているのだ。
 だからといって、彼女を笑うつもりはない。
 アスラン自身もまた、キラを守りたいと思っている。
 キラの邪気のない微笑みが、普段、腹のさぐり合いばかりしている自分にとっては唯一の救いだと言ってもいいだろう。
「なるほどね」
 国の成り立ちを知っているからだろう。ミゲルもあっさりと頷いてみせる。
「で? このまま真っ直ぐ王宮に行くわけ?」
 それとも、先触れを出すのか……と彼が続けたときだ。
「アスラン様、でいらっしゃいますね?」
 不意にそんな声がかけられる。同時に、オーブ騎士団の制服を身に纏った少女が徒歩で姿を現した。
「……ジュリ、だったか? カガリ付きの」
 とっさに身構える者達を手で征してアスランはこう呼びかける。
「覚えていていただけで光栄です、殿下」
 こう言って、彼女は微笑む。
「でも、どうして君がここに? 出迎えというわけではないのだろう?」
 アスランの問いかけに、ジュリは視線をそっと移動させる。そうすれば、もう一人の人物が微笑んでいるのが見えた。
「キラ?」
 それが誰かを確認した瞬間、アスランは慌てて馬を飛び降りる。他の者達もそんな彼に倣って馬を下りた。
「どうして?」
「戴冠式前の儀式で使う薬草だのなんだのを取りに来たんだよ。これは、一番近しいものがする決まりになっているから」
 ハルマは別の意味で多忙でこちらまで足を運んでこられないから自分が、とキラは付け加える。
「ジュリは心配したカガリが付けてくれたの。僕一人でも大丈夫だと思ったんだけど」
「そんなことはありませんわ、キラ様。キラ様も、カガリ様のことが落ち着いたら任命式が控えておいでですのに」
 だから、自分が側にいるのは当然だ、とジュリは主張をする。
「俺もそちらの意見に賛成だな」
 アスランも頷いて見せた。そうすれば、キラは思いきり頬をふくらませる。
「で? 必要なものはそろっているのか?」
「……うん」
「なら、乗っていけ。一緒に行った方が俺が安心できる」
 かまわないだろう、とジュリに視線を向ければ、彼女もまたしっかりと頷いて見せた。
「ほら、キラ」
 手を出し出せば、渋々ながらキラは手を重ねてくれる。その細い体を、アスランは軽々と馬の上に押し上げた。


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