目の前にアズラエルがたたずんでいる。その背後はがけだ。
「もう逃げ場はないぞ! 大人しく負けを認めろ!」
 カガリは切っ先を相手に向けながらそう叫ぶ。彼女の隣ではアスランがアズラエルをにらみつけていた。
「……まだ、負けてはいませんよ」
 だが、アズラエルはこう言って嗤う。その表情がカガリの神経を逆撫でしてくれた。
「何を言っているんだ、貴様は!」
 この状況で、まだ負けていないと言えるのか! と怒鳴り返す。
 それ以前に、これだけの被害を出す必要があったというのか。
 カガリはそういいたい。
「世界は、貴様のものではない! ここに住む、全ての者達のものだ!!」
 王という存在は、そんな人々が暮らしやすいように、国を整えるためだけにある。逆に言えば、民を苦しめるような王は王ではないのだ、とそうも付け加えた。
「……さすがは、オーブの女王陛下。お美しいお言葉ですな」
 そんなカガリの言葉を、アズラエルはあざ笑う。
「……貴様……」
 ただでさえ切れやすいカガリの堪忍袋の緒がこれであっさりと切れてしまった。
「それが、仮にも一国を治めていた人間の言葉か!」
 そのまま相手に切りかかろうとをする。そんな彼女をアスランが止めた。
「アスラン!」
「……お前が手を汚す必要はない」
 戦場にいるだけで十分なのだ、と彼は低い声で告げる。その声音から、アスランもまたアズラエルの言葉に怒りを感じているのだと言うことがわかった。ただ、自分よりも彼の方が少しだけ堪忍袋の緒が頑丈だっただけらしい。
 あるいは、自分が先にぶち切れたから、彼の方は冷静さを保っていられたのだろうか、とカガリは考える。だとするなら、少し悔しいとも。
「だが、アスラン」
 自分は……とカガリはさらに言葉を続けようとした。
「……カガリ……ハルマ様の仇を討ちたいのはわかる。だが、私怨を晴らす前に、女王としての責務を果たせ」
 それがオーブの王族としての役目だ、とアスランは先に口にする。
「アスラン……」
「それに、お前がそんなことをしたなんてキラが知れば……間違いなく悲しむぞ」
 だから、お前だけは決して手を出すな……と彼はさらに言葉を続けた。
 キラの気持ちを考えれば、確かにそうなのかもしれない。
 神官であるキラに《復讐》という感情があるかどうかはわからないが、それでもハルマの死を自分と同じように悲しんでいることだけ間違いない事実だ。だから、自分も自分の感情だけに流されてはいけない、と言いたいのだろう。
「……わかった……」
 自分のことだけならば納得なんてできない。しかし、キラのことを考えれば引き下がるしかないではないか。
 こういう物言いをするのがアスランだよな……とカガリはため息をつく。
「悪いな、カガリ」
 それでも、これだけは譲れなかったのだ……とアスランは笑う。そして、自分の腰に佩いていた剣を抜き去った。
「アズラエル王。本来であれば、貴方ご自身にご自分の始末を付けさせるのが礼儀なのだろう。しかし、どうも貴方はそのおつもりがないらしい」
 だから、僭越ながら自分が片を付けさせて頂こう。アスランはそういいながら剣を振り上げる。
「父やウズミ様でなくて、物足りないかもしれませんが、ね」
 そのまま、勢いよく振り下ろす。
「だめぇ!」
 一瞬遅れて、キラの悲鳴が周囲に響き渡った。

 騎馬に馴れているわけではない。
 それでも、今は馬車を使うわけにはいかないのだ。
 だから、キラは必死に手綱を握りしめていた。
 そんなキラの側をマリューとラクスが同じように騎馬で駆けている。彼女たちもまた、必死といえる形相をしているのは、自分の言葉のせいだろう。
「キラ様! 何故……」
 そんなキラの姿に気が付いたのだろう。周囲からオーブの騎士達が集まってくる。
「女神のお言葉をお聞きになったのです。ですから、邪魔をしないで!」
 口を開くこともできないきらの代わりにマリューがこう言ってくれた。それがありがたいと、キラは思う。
「それよりも、女王陛下とアスラン王子はいずこに?」
 至急、お二人に女神の言葉をお伝えしなければいけない……と彼女はさらに続けた。
 さすがはオーブの民、と言うべきなのか。
 女神という言葉を聞いただけで全てを察してくれたらしい。それとも、それを言ったのがキラだからなのか。どちらが正しいのかはわからない。
 それでも、余計な説明をしなくてもすむというのはありがたいことだ。
 第一、この間にも馬の足を止めずにすんでいる。
「女王陛下とアスラン王子でしたら、あちらの方向においでかと。アズラエルの姿を見かけたという報告がありましたので」
 騎士の一人がそう教えてくれる。
「ありがとう。キラ様、ラクス様……」
 あと一息です、とマリューは口にした。それに、キラは辛うじて頷いてみせる。
「では、急ぎましょう。手遅れにならないうちに」
 あんなにしとやかな雰囲気の女性なのに、ラクスはキラよりも乗馬がうまいらしい。声も出せないキラとは違っていつもの口調を崩さずにこう告げる。
「時間がありません。詳しい説明は後で」
 さらに付け加えてくれた言葉に、キラは同意を示すように頷いてみせた。
「……事情はわかりませんが、我々も同行させて頂きます」
「まだ、どこにオムニの残党がいるかわかりませんから」
 騎士達がこう申し出てくれる。
「キラ様?」
 どうしますか、と言うマリューの問いかけに、キラは首を縦に振ることで答えを返す。そして、そのまま示された方向へと馬の鼻先を向ける。
 馬に無理を強いているとはわかっていた。それでも、鞭を当てさらに足を速めさせる。
 そんなキラの気持ちに、馬は答えてくれた。

 それでも、間に合わなかったのだ。
 目の前で、アスランがアズラエルに今にも剣を振り下ろそうとしている。
「だめぇ!」
 そう叫んだキラの前で、切っ先がアズラエルの体に吸い込まれてしまった。
 次の瞬間、目に見えない何かがアズラエルの体から抜け出し、大きくふくれあがる。そして、それは限界までふくれあがったところで爆発をした。


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