オーブからの使者の言葉を耳にした瞬間、アスランは眉間にしわを寄せた。
「……キラ殿を嫁に?」
 それ以上に嫌悪感をあらわにしたのはパトリックの方だったと言っていい。怒りを押し殺しているとわかる声音で、彼はこう聞き返す。
「はい。キラ様の性別を人前で暴露し、ご本人のご意向を無視して国のために嫁げ、と」
 神官にとって、それがどれだけ侮辱的なことなのか。
 そして、オーブにとってどれがどれだけ屈辱的な言葉なのか。
 女神の存在をないがしろにしている――という表現は、まだまだ穏やかなものだ――オムニには理解できていないはずだ、とも彼は続けた。その言葉の裏にこめられている怒りに、アスランは当然気付いている。
「確かに。それが、オーブにとっては宣戦布告に等しいと言うことも、彼の国は気付いておるまい」
 そして、それはプラントに向けられたそれとも同じだ……とパトリックは静かに付け加えた。
「我らにとって、女神を信じることは呼吸をすることと同じくらい自然なことだ。そのお力をあてにするか否か。それに関しては、いろいろかな考えがあるだろうが、な」
 それでも、ヴィアが示してくれた奇跡を覚えているものも多いだろう。彼はさらに言葉を重ねた。
「早急にそれに関しては結論を出さねばなるまい」
 だが、それに関しての結論なんて一つしかないだろう。アスランはそう心の中で呟く。
 プラントとしても、オーブの王族――たとえ、王位継承権を持っていないとしても、だ――がオムに降嫁することなど認められるはずがない。まして、それが《キラ》であるのならばなおさらだ。キラの人気はプラント内でもアスラン達と並ぶくらいに高い。そんな存在がオムニのものになったらどうなるかなんて考えたくない。
 あるいは、それがわかっているからのオムニの執着なのか。
「キラには、不本意な状況だろうな」
 アスランはこう呟く。
 自分のせいで、国がこんな風に揺れていると知れば、キラのことだ。悲しみのあまり自暴自棄になってしまうかもしれない。
「……キラ様は、まだご存じありません。カガリ様も、決して知らせるなと」
 あの方は、神官である自分にを自慢しておられますから……と使者は口にする。
「そうか……」
 それがいいだろうな、とパトリックも頷いてみせた。
「ともかく、ご苦労だった。明日には返答をさせて頂く。部屋を用意させたから、それまでそこで休まれよ」
 そして、彼はこう告げる。
「お気遣い、ありがとうございます」
 彼も、これ以上自分にできることは何もないとわかっているのだろう。素直に頷くと謁見の間を後にした。
「父上」
 彼の姿が完全に見えなくなったところでアスランはパトリックに呼びかける。
「大至急、重臣達を集めよ。ただし、秘密裏にな」
 でなければ、余計な動揺が生まれるだろう。それでは、オムニにつけいる隙を与えてしまうかもしれない。彼はそう告げた。
「何よりも……母上のお体に触ります」
 ひょっとしたら実の息子よりもキラの方が可愛いと言い出しかねないレノアの顔を思いだして、アスランはこう口にする。
「そうだな。あれには知らせぬように気を付けねばならんな」
 言葉とともにパトリックは立ち上がった。
「私は執務室におる。準備が整ったら呼びに来るがいい」
 そして、こう言い切る。そんな彼にアスランは静かに頭を下げた。

 会議は多少荒れた。
 しかし、どのような理由からにしろ、キラをオムニに渡すわけにはいかない、という一点に置いては誰の反対もない。
 あの存在は、女神の手の中にあってこそ輝く。
 そして、キラの存在故に、人々が心の安寧を得ることができていることも否定できないのだ。
 だから、あの存在を守りためなら戦も辞さない。
 もっとも、それを知っても、キラは喜ばないだろうな……とアスランは心の中で呟いていた。

 世界がゆっくりと混乱の中に落ちていく。
 その事実を女神がどう思っておられるのか。
 彼女の夢をかいま見ることを許されぬ身には想像することもできない。
 それでも、守らなければならない矜持というものがある。
「アスラン。よいな?」
「わかっております。カガリの側で、彼女とキラを守りきって見せます」
 あるいは、これが永遠の別れになるかもしれない。それがわかっていても、アスランは表情を変えることなくこう口にする。
「頼む」
 パトリックも他の者達も、同じ気持ちなのだろう。それでも、王としての威厳を損なわない彼をアスランは流石だと思う。
「では、父上。行って参ります」
 この言葉とともに、アスランは馬へと乗る。
 そのまま、彼はゆっくりと馬の向きを変えた。
「プラントの王子としての立場を忘れるでないぞ」
 そんな彼の耳に、パトリックの言葉が届く。
 彼がそんな風に自分を気遣ってくれたと言うことは今までにはない。それほど、彼も状況は切迫しているとわかっているのだろう。
「もちろんです、父上」
 だから、アスランは母親そっくりだと言われている顔に、満面の笑みを浮かべて頷いてみせる。最後になるかもしれないならば、その方がいいと思ったのだ。
「では」
 そして、そのまま馬を歩かせ出した。

 プラントとオムニの戦が始まったのは、それからすぐのことだった。


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