そのころ、オーブ宮殿の奥の間ではカガリが疲れたようにいすの背に体を預けていた。
「カガリ……」
「女王らしくないのはわかっています。でも、これが私だと言うことをお父様が一番よくご存じでしょう?」
 それでも、こんな態度を取るのはハルマやキラ、それにせいぜいアスランとウズミの前でだけだ……とカガリは付け加える。
「もちろんだとも。ただ、もう少し女らしい態度を取ってもらいたいかな、と思っただけだよ」
 まぁ、アスラン君であれば文句は言わないだろうが……とハルマは苦笑とともに口にした。
 それは間違いないだろう。
 アスランは、昔から自分がどんな存在かを知っている。それどころか、あれこれ手助けをしてくれたのも彼だ。
 共犯のような形で婚約をしてくれたのもその一環だろうとはわかっている。実際、彼のおかげでとても助かっているし……と心の中で呟いた。
「それに……私がこうしていれば、キラのことに気付かれないと思うのですけど?」
 神官であるあの子は、一生、自分の性別を隠していかなければいけない。もちろん、それが可能かどうかは別問題だが、自分の口から告げることはないだろう。
「……そうだね」
 ハルマもこう言って頷く。
「ただ……王族の義務とはいえ、あの子を神官にしてよかったのか、と今は思うよ」
 もし、普通の子供であればこんな騒ぎに巻き込まれなかったのだろうか……とそうも付け加える。
「お父様」
 彼がそういいたくなる気持ちはよくわかる、とカガリは苦笑を浮かべた。
「ですが、そうなっていたらキラの結婚相手探しが大変なことになっていたのではありませんか? アスランは一人しかいませんし」
 今ですら、あれほど厄介なのだ。キラが本来の性別を明かしていたら、きっと、他国の思惑もからんで大変なことになるだろう。
「あの国が、今まで以上に騒ぐのは目に見えています」
 今ですら、キラを神官の地位から下ろして自国の王族と結婚させろと言ってくるのだ。そして、国内にそんなオムニの影響を受けていたものがいたことも事実。
 それが、一般民衆であればまだしも、かなり高位の貴族の中にいた……と言う事実が衝撃だったのはカガリだけではないだろう。
「……ウズミ様がおいでになったら、処分をどうするか、話し合わなければいけないだろうね。どうやら、キラに戻ってきてもらうには、もうしばらくかかりそうだ」
 その人間だけを隠居に追い込むとか死を与えると言った方では不十分だろう。うかつに行えば新たな火種を生むことになる。
 それはカガリにもわかっていた。
「……女神の眠りをお守りし、ご意志を伝えるのがオーブの民の役目であろうに」
 もちろん、一般民衆までそれを強要するわけにはいかない。彼等は、日々働き、自分たちの生活を支えるための糧を得なければいけないのだ。とは言っても、オーブの税は他国に比べると信じられないほど安い。だからというわけではないだろうが、彼等は進んで神殿や王族へと奉仕をしてくれている。それだけでも十分すぎるほどだ、とカガリは考えていた。
 だが、貴族はそうではない。
 彼等は特権を得ることと引き替えに、女神の眠りを守る義務を負っているのだ。
 だが、それを一番近くで行っているのは間違いなく神殿だろう。
 その神殿にいるものを俗世に引き戻して、しかも政治の道具にしようとするその考えが気に入らない。いや、許せないと言った方が正しいのか。
「その通りだよ、カガリ。だからこそ……あの子には私たちの汚い部分を見せたくない。そうだろう?」
「……そうです」
 間違いなく、女神は自分たちの行動をご存じだろう。
 それでも、キラにだけは知られたくない。
 こう考えている自分はおろかなのだろうか。その悩みが消せないカガリだった。

 月の光が物音を立てないように窓枠に手を伸ばす人影を映し出した。
 だが、そんな人影の背後に、何かが影を落とす。
 人影が反射的に振り向くよりも早く、その影が首筋へと落ちた。
「……ぐっ……」
 次の瞬間、人影はそのまま地面に崩れていく。完全にそれが意識を失った事を確認して、もう一人が小さなため息をついた。
「参ったな」
 まさか、こんな所まで侵入できるものがいるとはね……とフラガはあきれたように呟きながら髪をかき上げる。
「ともかく、いつものように処理をするか」
 しかし、毎晩とはね……と呟きながら、手早く気を失っている賊を縛り上げようと身をかがめた。だが、すぐにその動きは止まる。
「……毎晩、賊が?」
 しかし、かけられた声にフラガは警戒を解いた。
「そうそう。暇だよなぁ」
 ついでに内通者がいるわけではないから、と付け加える。
「エザリア様にお願いをして、キラ様の部屋を移動して貰っておいてよかったよ」
 本来であれば、ここが客間なのだ。
 だが、ここでは外からのぞこうと思えば覗けてしまうのではないか。何よりも、キラの身支度がしにくい、と言うことで公爵家のものが使う棟に部屋を与えられている。
 もちろん、それはエザリアと彼女の夫君がキラと親しく接したいと考えていることの表れでもあるだろう。
 それをジュール家の使用人達はよく知っているはず。
 だが、ここに忍び込もうとしている賊は真っ直ぐにこちらを目指してくる。
 と言うことは、間違いなく、キラがこちらにいると思いこんでいるのだろう。
「ならばいいが……」
 それでも、とイザークは秀麗な額にしわを寄せている。
「貴方は大丈夫なのか? 毎晩では眠る間もないだろうに」
 そしてこう問いかけてきた。どうやら、彼が心配しているのは賊が忍び込んだことではなく自分の体調のようだ。その事実に気付いて、フラガはふっと笑みを漏らす。
「キラ様が図書館に通っていてくださるからな。その間にゆっくりと眠っているよ」
 マリューがわかっていてくれるから大丈夫だ、と彼は続けた。
「……なるほど。それで、あの態度か」
「昼間であれば、あなた方がご一緒してくださるのでね。俺が頑張らなくても大丈夫だろうし」
 だから、夜が俺の役目……とフラガは笑い返す。
「貴方がそのおつもりならば、俺としては何も言うつもりはないが……だが、お一人だけで抱え込まれるのはどうかと思うぞ」
 自分たちでも十分手助けできる範囲だ、とイザークは付け加える。
「そうだな。覚えておくよ」
 何か、長くいることになりそうな気がするしな……と口にしながら、フラガは手際よく賊を縛り上げた。
「明日の朝になれば、エザリア様付きの人間が国王陛下の元に運んでくださることになっている」
 その後はどうなっているのか、自分にもわからないが……と付け加えれば、イザークは頷いて見せる。
「ご苦労なことだな」
 酒でも付き合ってくださるか? と彼は問いかけてきた。それが自分を気遣ってのことだろうとそう判断をする。
「そうだな。もう、今日は来ないだろうしな」
 小さな笑いとともに、フラガは頷いて見せた。


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