それでも、こちらに移ってからと言うもの、煩わしさから解放されたのは事実だ。そして、そのおかげか、ページを繰る速度も上がっていく。
 これならば、今日中にかなりの所まで調べられるのではないか。ならば、明日は神殿の方に足を運んで、そちらの資料を……と心の中で呟く。
 その時だ。
 控えめながら誰かが扉をノックしてきた。
「キラさまは、そのままで」
 言葉とともにニコルが真っ先に立ち上がる。それだけならばともかく、マリューとフラガがさりげなく自分をかばうような位置に移動してきたこともキラは気付いていた。
 間違いなく、彼等は警戒をしている。
 でも、どうしてなのか。
 万が一の可能性なんて、そんなにあり得るものなのか、とキラは首をひねる。
「どなたでしょうか」
 それとも、ここが王室専用の場所だからか。アスランかパトリックが使っていると思われているのであれば狙われる可能性もあるのかもしれない、とキラは思い直す。みんなが警戒しているのは、そのせいだろう、とも。
『私ですわ。ラクスです』
 ドアの向こうから聞き覚えがある声が響いてくる。
「ラクスさま?」
 ニコルもまたその声の主が誰なのかわかったようだ。こう聞き返している。
 同時に、室内から緊張の糸がとけた。
「ラクスが、どうして?」
 あれだけ騒ぎになっていれば、自分がここにいることはわかるかもしれない。しかし、ラクスがここに来るのとそれは違うのではないだろうか。そんなことも考えてしまう。
「ご本人にお聞きすればいいのでは?」
 彼女であればキラに危害を加えることはないだろう。言外にそう付け加えながらイザークも頷く。
「そうですわね。賢者の地位をお持ちの方であれば、私たちが見のがしていることをご指摘頂けるかもしれないし」
 少なくとも、この人よりは役に立ちますわ……とマリューが結論を出した。
「……マリュー、それはないだろう?」
「あら。本当のことでしょう? 自分でもそういっているようだし」
「だからといってなぁ」
 もう少し婉曲な表現でもいいだろう……とフラガは肩を落としている。そんな彼の様子に、キラは思わず吹き出してしまった。
 それが完全に室内の緊張を吹き飛ばしたようだ。
「では、お開けしますね」
 ふわりと微笑みながら、ニコルが扉の取っ手に手を伸ばす。そして、そっと押し開けた。
「ありがとうございます、ニコル様」
 優雅な動きで礼をするとラクスは真っ直ぐにキラを見つめてくる。
 そんな彼女を出迎えようとキラは静かに立ち上がった。さりげなくいすをひいてくれるイザークに一瞬だけ微笑みを向けるとラクスの方へと歩き出す。
「御邪魔をしてしまいましたでしょうか?」
 そんなキラに向けて、ラクスがこう問いかけてくる。
「いえ。ちょっと驚きましたけど……」
「なら、よろしかったですわ。ミゲル様から、キラさまがこちらで調べものをしているとお聞きして。お手伝いできないかと思ったら、いてもたってもいられなくなりましたの」
 知識を得ること、そしてその知識で他人を導くのが賢者としての役目だから、と彼女は微笑む。
「そうですね」
 それは、女神の言葉を聞き、それから人々が幸せに暮らせる世界を乱そうとする神官とよく似ているのかもしれない。もちろん、その方法は違うのだが。
「お手伝い頂ければ幸いです。どうしても、僕は神官としての視点しかもてませんので」
 見のがしてしまっていることがあるのかと不安なのだ……とキラは正直に告げる。
「あらあら」
 この言葉に、ラクスはふわりと微笑んだ。
「そういうことでしたら、まず、何をお知りになりたいのか、教えて頂けまして?」
 それがわからなければ、助言のしようもない。その言葉はもっともなものだ。しかし、どこまで話していいものだろうか。そんなことも考えてしまう。
「キラさま?」
 どうかなさいましたか? と問いかけながら、そうっとラクスがキラの手を自分のそれで包み込んでくる。そのぬくもりに安心していることにキラは気付いた。それは、女神の存在を感じるときに抱く気持ちに似ているような気がする。
 あるいは、女神がそうすることを望まれているのだろうか。
 おそらくそうなのだろう、とキラは判断をする。
「キラさま……お疲れなのですか?」
 黙ってしまったキラを心配してくれているのだろうか。ラクスが言葉とともに顔をのぞき込んでくる。
「いえ、大丈夫です」
 そんな彼女に向かって、キラはふわりと微笑んでみせた。
「本当に?」
 マリュー達であればこれだけで納得をしてくれるのだが、やはり神官やそれに近しい者達でなければそうはいかないらしい。ラクスはさらにこう問いかけてくる。
「女神のご意志が感じられただけですから」
 誤解されてはいろいろと困るのではないか。そう思って、キラはこう口にする。
「あら、まぁ……」
 それは邪魔をしてしまったのではないか、とラクスは本気で問いかけてきた。
「本当に一瞬でしたので……多分、悩んでいた僕の背中を押してくださったのだと思います」
 ですから、心配をしないで欲しい……とキラは微笑み返す。
「それよりも座って頂けますか? 少し説明が長くなりそうですので」
 特に、あの時見たものと不快感を説明するとなれば……とキラは心の中で付け加える。だが、それを理解してもらえなければ、どうして自分が調べようと思うのかを理解してもらえないはずだし、とも。
「そうですわね。みなさまさえよろしければ、座ってお話をしましょう」
 ふわりと微笑む彼女からは余裕というものが感じられる。それは、マリューが持っている雰囲気とよく似ていた。外見に惑わされてしまうが、彼女は自分たちよりも年上だったのだな、と今更ながらに思い出す。
「では、そうしましょう」
 そんなことを考えながらも、キラはこう口にした。


INDEXNEXT