レノアの部屋へと足を踏み入れれば、彼女は寝台ではなく寝椅子の上にいた。
「おばさま……」
 お体に負担は……と口にしながら、キラは彼女の側に駆け寄る。そして、そのまま床に膝を着くと、そうっと彼女の顔を見上げた。
「今日はキラちゃんが来てくれたから具合がいいの。それよりも、せっかくの衣装が汚れてしまうわ」
 隣に座って、と続ける彼女に、キラは素直に従う。
「まぁ、本当に綺麗になって……カリダに似てきたかしら?」
 ふわりと微笑みながら、レノアはそっとキラの頬に触れてくる。その指先が少しだけ冷たいことが気にかった。
「アスランは、おばさまにそっくりですよね」
 そっとその指先を自分の手で包み込みながら、キラは言葉を返す。同時に、女神に助力を願う。
 レノアの命が、まだついえないように。
 せめて、アスランとカガリの間に次世代の子供が生まれるまでは。
 カリダには、それを見せることができなかった。だから、もう一人の母とも言うべき彼女には……と心の底からそう思うのだ。
「……俺としてはあまり嬉しくないけどな」
 ぼそっとアスランが呟く声が耳に届く。
「女性に似ているというのは……男として何か……こう、あるだろう?」
 別段、レノアに似ていることは文句はないんだけど……とアスランにしては珍しく言葉を濁している。そんな彼の様子が珍しくて、キラはつい笑いを漏らしてしまった。
「あらあら。キラちゃんに笑われていてよ」
 それがレノアにも楽しいと感じられたのだろうか。彼女もまた小さな笑いを漏らしている。
「レノア?」
 そんな彼女の様子に驚いたように、パトリックがその名前を呼ぶ。
「キラちゃんが来てくれたから、かしら。今日は体調がいいの」
 先ほどよりも少しだけだが顔に赤みが戻っている。
 女神が自分の願いを叶えてくださったのだろうか。キラはそうも思う。
 しかし、それだけに頼っていてはいけないと言うことも事実だ。
「でも、あまり無理はなさらないでくださいね?」
 今は一時的に体調がよくなったように感じていても、そうとは限らないから……とキラは微かに不安を滲ませながらこういった。
「わかっているわ」
 心配しないで……と言われているが、あまり長居をしない方がいいだろうとは思う。それでも、とキラは微笑みを口元に浮かべながらレノアを見つめる。
「ならいいのですが……あぁ、僕が調合したお茶を持ってきました。よろしければ、味見をしてみていただけますか?」
 カリダのそれとは比べものにならないかもしれないが……と付け加えた。
「あら。それは嬉しいわ」
 ふわりとレノアは微笑むとこう言ってくれる。
「なら、すぐにお淹れしましょうか?」
 今回持ってきたお茶には、ほんの少しだけだが薬草も調合してきた。それは、ヴィアが飲んでいたものと同じものを、自分自身の手でつみ取ってきて調合したものだから、きっとレノアの体にもいいだろう。
「そうしてくれるかしら?」
 何が入っているの? とレノアは楽しげに問いかけてくる。
「カミツレとベニバナツメクサです。お嫌いでなければいいのですけど」
「カリダがよく淹れてくれたものと同じね」
 ヴィアさまと一緒によく飲ませて頂いたわ……とレノアは嬉しそうに微笑む。と言うことは、母もやはり叔母のために調合していたのだろうか。キラはそう考えてしまう。
「それは良かったです」
 自分の知識なんて、まだまだ未熟だから……とはにかむように微笑みながら、キラは立ち上がろうとした。
「キラ殿はそのままレノアの隣にいなさい」
 しかし、それをパトリックが制止する。
「アスラン」
「わかっています、父上。女官に頼めばいいのですね?」
 他に、女性が好みそうなお菓子でも用意させます……と口にしながらアスランが立ち上がった。
「母上、お食べになりますよね?」
 さりげなく彼はレノアにこう問いかける。
「そうね。今日はすこし頂くわ」
 ひょっとしたら、それが目的だったのかもしれない。キラはそう思う。
 少しでも何かを口にできれば、レノアの体力はするに決まっている。だからこそ、彼女が少しでもその気になったときには食べさせたいと思っているのか。
 自分もよく食事を取るのを忘れてしまうから、みんながあれこれ食べさせようとするのと同じかな、と心の中で付け加える。
「少しだけ待っていてくださいね、母上。キラも」
「わかっているよ」
 キラはアスランに頷き返す。それを確認してから、アスランは廊下へと滑り出ていった。
「……それにしても、綺麗な刺繍ね」
 ずいぶんと手間がかかっているわ……とレノアはキラの衣装を見つめながら簡単のため息を漏らしている。
「えぇ。ヴェールの飾りだけは、ずっと前からお母様が準備をしてくださっていたものだそうです。それを見て、神殿のみんなが刺繍をしてくれました」
 おかげで、みんな、新しい図案を覚えられたと喜んでいた……とキラは付け加えた。
「カリダが?」
「はい。ヴェールなら、神官でも花嫁でも使うからって。ですから、カガリのもありますよ」
 そちらはそちらでまた図案が違うのだ、とハルマが言っていた……とキラは微笑みを向ける。
「そちらも、是非見てくださいね、おばさま」
 きっと、カリダが喜ぶから……と口にすれば、レノアもまた微笑んで見せた。
「もちろんよ。私は刺繍はできないけれど……ドレスの意匠なら考えられるかしら」
 アスランの衣装も考えなければいけないものね、と彼女は頷く。
「パトリックも、アスランも、そちら方面では朴念仁だもの。祝いの席にとんでもない衣装を着てくれるかもしれないわ」
 自分がしっかりと監視をしないと……とレノアは付け加える。
「そんなに酷い衣装は着ていない……と思うのだが」
 ぼそり、とパトリックが呟く。
「普段、貴方は黒しか身につけられませんもの。でも、結婚式にその色はないと思いますわ」
 こう言われながらも、パトリックも嬉しそうだ。それはきっと、レノアの体調がいいからだろう。
 こんな時間が、少しでも長く続いて欲しい……とキラは心の中で呟いていた。


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