目の前のドアをノックする。
「……誰だよ」
 中から不機嫌そうな声が響いてきた。
「レイ、と言う。タリア様の頼みで、薬を持ってきたんだが入って構わないか?」
 この言葉に、相手はしばらく逡巡をしていたようだ。それでも薬の一言が聞いたのか、やがて諦めたようにドアを開けてくれる。
「入れば」
 黒い髪に真紅の瞳が印象的な少年が、警戒心を隠さないままこう告げた。
 いったい、何をそこまで警戒しなければいけないのか。
 この城で、ギルバートが保護してきた子供を傷つけるような存在は居ない。そのことを、自分が一番よく知っている。
「失礼する」
 だが、彼はそれを知らないのだ。
 だから、まずは自分がそれを示さなければいけないのではないか。
 そんなことを考えながら、部屋の中央に置かれたテーブルの上に持ってきたお盆を置く。
「こちらの水差しは清水だ。こちらのポットに、薬草を煎じたものが入っている。熱冷ましと疲労解消の効果があるそうだ」
 少年に向かって説明の言葉を重ねていく。
「こちらの箱には、口直し用の砂糖菓子が入っている」
 そう続ければ、少年は驚いたように目を丸くした。
「嫌いだったか?」
 そんなことはないだろう。そう思いながらレイは問いかけた。
「いや……俺もマユも、好きだ……」
 でも、そんな高価なもの……と彼は呟くように告げる。
「気にしなくていい。それよりも、体調を整える方が先だろう」
 特に、妹さんは……とレイは微笑み返す。
「お前には、俺の服で間に合いそうだな」
 なら、これを……と袋の中から取りだして彼の方に差し出す。しかし、彼は直ぐには受け取ろうとはしない。その衣服が汚れているのに、だ。
「まだ、袖を通していない。今日の所はこれで勘弁してくれ」
 流石に着替えないと傷に障る。そうも付け加えた。
「お前は、困らないのか?」
 第一、そんな立派なものを……と彼は言い返してくる。
「気にするな。俺の分は他にもある。それに……俺も、お前達と同じような立場だからな」
 親を失ってここに引き取られた、と少しだけ笑みに苦いものを滲ませた。
「そうか」
 それで納得したのか。彼はレイの手から着替えを受け取ってくれた。
「それと、こちらは妹さん用だそうだ。ミーアが用意をしたから、足りないものがないか確認してくれ」
 何かあったら、自分に声をかけてくれればいい。レイはそうも告げる。
「俺の部屋は、ここを出て右手の奥だ」
 流石に、女性の下着や何かを目にするわけにはいかないからな……とさらに言葉を重ねた。
「あ、りがとう」
 少年はまだぎこちない笑みを口元に浮かべる。
「風呂は、そちらのドアの先だ。先ほど、準備をしてくれていたようだから入れると思うぞ」
 食事は、と続けたときだ。彼の腹の虫が盛大に自己主張をしている。
「必要なようだな。何か、胃にやさしいものがないか、聞いてこよう」
 その方が良さそうだ……とレイは苦笑と共に告げる。
「だが、迷惑は……」
「気にするな。俺は構わない。おそらくギル達も食事をしているだろうから、厨房の方にもそれなりに食べるものはあるはずだし」
 それを運ぶくらいは面倒でも何でもない。そう続ける。
「適当に時間を見計らって持ってくる。先に汚れを落とせ」
 言葉とともに、レイはきびすを返す。そして、そのまま歩き出そうとした。
 だが、直ぐにあることを思いだして彼の方を振り向く。
「な、んだよ」
 それに、少年がびっくりしたような表情で問いかけてきた。
「名前を聞いていなかったな、そう言えば」
 こう言いながら、また彼の方へと体を向ける。
「俺は、レイだ。お前は?」
 教えてくれるよな? と言外に付け加えた。
「……シン、だ」
 そうすれば彼は直ぐに言葉を返してくれる。
「シンか。いい名前だな」
 そう言って笑えば、彼はようやく本心からのものらしい笑みを見せてくれた。



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