かつては、この世界に《女神》の声を聞くことが出来たものが大勢いた。そんな話を父は何度も繰り返し教えてくれた。
「なら、どうして今は神官の方々でもそれが出来ないの?」
 女神を信じてはいても、その言葉を聞き取ることが出来ない。そんな神官が大勢いるではないか。そう言い返す自分に、父は苦笑を浮かべる。
「人々の中に、女神を否定するものが増えてしまったから、だろうな」
 あるいは、と彼は続けた。
「女神ご自身が、それを必要ないと思われたか、だ」
 人々が自分だけの力で生きていけると判断されたのかもしれない。
「だが、もっとも女神に近しいと言われたオーブ王家の血を引くプラント王家の者達の中にも、女神の声を聞くことはおろかその存在を否定する者がいる世の中ではね」
 女神の方がこの世界を疎んじたとしてもおかしくはない。
「……ラウ……」
 ひょっとして、この父もそうなのだろうか。
「心配はいらないよ、レイ」
 自分の不安を感じ取ったのかもしれない。ラウはこう言って微笑む。
「私は、女神の存在を信じているよ」
 自分が女神の声を聞くことが出来ないと言うことを悔しいと思う程度には……と彼は続けた。
「それに」
 そのまま、彼はすっと視線をレイから窓の外へと向ける。そこには《禁域》と呼ばれている森の木々が広がっていた。
「……それに?」
 彼はよく、こんな風にあの森を見つめている。
 いや、彼が見ているのは森ではない。その中にある《何か》なのではないか、と最近、例は気付いた。
「あそこの奥に、女神をその身に下ろせる方がおいでだ」
 その話はレイも知っている。
「とらわれのお姫様の話?」
 森の中に呪いに捕らわれている姫君がいる、と昔から言われていた。そして、その姫君にあったという人間も少なからずいるらしい。
「あぁ……私は昔、あの方に助けて頂いたことがある」
 しかし、自分の父がそうだとは思わなかった。
「あの方は、私があの方と同じ血を引くものだとは思っておいでではなかっただろうけどね」
 それでなかったとしても、彼女はあの森に迷い込んだ者達に救いの手を差し伸べてくれる。自分以外の人間が呪いに捕らわれないように、と言う気持ちからだ。
「あの方を解放して差し上げられる人間が、生まれてくればいいが」
 残念なことに、自分はその器ではなかったらしい。言葉とともにラウは寂しげな笑みを浮かべる。
「ラウ!」
 反射的に、レイは彼に抱きついた。
 その彼の小さな体を、ラウはまだ軽々と抱き上げてくれる。
「すまないね。私も近いうちにお前を置いていくことになるだろう」
 そして、そっと髪の毛を撫でながらこう告げた。
「ラウ……」
 幼い頃に受けたという傷が、彼の体をむしばんでいるのはレイも知っている。だが、そこまで深刻だとは思ってもいなかった。
「……でも、心配はいらないよ。古い友人に連絡を取ったからね」
 彼がレイにとって一番よい方法を探してくれるだろう。そう彼は続ける。
「ラウ!」
 そんなことよりも、彼にずっと傍にいて欲しいと思うのはワガママなのだろうか。それをどう伝えればいいのか、レイにはわからない。だから、ぎゅっと彼に抱きついた。
「友達を作りなさい。お互いがどのような立場に置かれようとも、必要なときには手を差し伸べてくれる友達を」
 彼の真摯な言葉にレイは気おされたかのように頷いてみせる。
「いいこだ」
 ほっとしたようにラウは微笑む。
 だから、聞くことが出来なかった。彼にそういわせた友人が誰なのかを。

 安堵したのだろうか。
 それとも、張りつめていたいとがきれたのか。
 ラウが眠るようにその命を終わらせたのは、それから半月と経たない秋の終わりだった。
 まるでその死を悼むかのように、森の木々が一斉に葉を散らした。
 一人になってしまったレイは、どうしていいかわからない。ただ、毎日、ラウの墓へ花を供えることだけが今の彼にできることだった。


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