大神官とはいえ、その暮らしぶりは質素だ。 それでも、質がよいものを……と周囲の者達は考えているのだろう。腰を下ろしたイスの座り心地は自分が普段使っているものと変わらないように感じられた。 「……あの禁域のことなのだが……」 「聞いております……人々の糧を得るためとはいえ、あの子のお気持ちを無駄にするようなことを言う者達がいるとは……」 まだ、あの日のことを覚えている者達も多いだろうに……とマルキオはため息をつく。 「……あの子?」 祖母は何も話してくれなかったのだが、自分は知らない方がいい話なのか。それとも、とカナードは問いかける。 「いえ。時が来ればお話しする、と申されておりましたが……アスラン様やカガリ様同様、ラクス様にとってもあの子は大切な存在でしたから、思い出すことはおつらかったのでしょう」 世界を守るためとはいえ、彼女を一人、矢面に立たせてしまった。 よかれと思って行ったことが重大な過失として自分たちの上に降りかかってきた。そのことが、最後まで彼女の心の中で抜けない棘になっていたのだろう。 マルキオは淡々とした口調でそう告げる。 「それは私も同じです。あの子の代わりに、私がその役目を担うべきだった」 まだまだ子供と言ってよい年齢だったあの子には、もっと未来があっただろうから、と彼は小さく嘆息をした。 「もちろん、それが不可能だったと言うことはわかっております。あの子ほど、女神に愛された存在はいませんでしたから」 だからこそ、あの子は重荷を背負わされてしまったのかもしれません。マルキオはそう言葉を締めくくる。 「……その方は、いったいどのような立場の方でいらしたのですか?」 カナードの血筋の方々と顔見知りだったとは、とプレアが問いかけた。その答えを当然知っているだろうに、だ。 「キラは……ここで私が教育した神官の一人です。あのまま何もなければ、私はあの子に大神官の地位を譲り、今頃はのんびりとしていたでしょう」 それだけの才能も持っていた人物だった。彼はそう付け加える。 「ご存じのように、神殿に入ると同時に俗世の身分は全て失われます。それは、我々が女神の前ではみな平等だ、と考えているからです」 それはカナード達も知っている。だから、素直に首を縦に振ってみせた。 「……それでは説明が出来ぬこともありますから、みなさまにはお伝えした方がよろしいでしょうね」 こう言いながら、彼は顔の向きを変えた。 「そちらに、古い肖像画がありませんでしょうか」 カミツレが刻まれた額縁に入れられたものです、とマルキオは付け加える。 「あぁ、あるぜ。持っていけばいいのか?」 こう言いながら、ロウが何かを手に取る。 「お願いします」 その言葉に、彼は気軽に答えを返すと、そのままマルキオの元へと歩み寄った。そして、その額を手渡す。 「あぁ、これです」 その額縁を指先でたどりながらマルキオが頷いてみせた。 「ここに描かれているのがあの子、です。カガリ様が、あの後、私の元へ届けてくださいました」 言葉とともにマルキオはそれに描かれている人物が見えるようにカナード達へと差し出す。 「……こいつは……」 そこに描かれていたのは、先日、自分たちが見つけた肖像画に描かれていたのと同じ人物だった。 「この子が《キラ》です」 マルキオが優しい笑みを口元に浮かべながらこう告げる。 「神殿に入る前の家名はアスハ……カガリ様の双子の妹君としてこの世にお生まれになられました」 この言葉を耳にした瞬間、誰もが目を丸くした。 「なら、どうして……」 「その方が、女神と同じ色の瞳をしておいでだったから、です」 オーブ王家の跡継ぎにはカガリがいる。だから、キラを神殿にあげたとしても困ることはない。 何よりも、女神の眠りを守るのがオーブの役目。 それを当時の王家の方々はわかっていたのだ。マルキオはどこか懐かしそうに微笑む。 「キラが神殿にあがったのは十二の年でした」 そのまま、神官として成長するのを神官達は誰もが楽しみにしていた。彼女のその真摯な態度は神官達だけではなく、民衆にも好ましく思われていたのだ。 「ですが……あの子の体の中に流れる《オーブ王家》の血だけを欲した者がいました」 女神の存在すら否定した男。 底辺から成り上がり、周囲の国を滅ぼして自国を肥大させたあの男にとって見れば、キラは自らの血筋を高貴なものにするための道具であり、オーブとプラントを牽制するための人質としか見えなかった。 それだけならばまだいい。 一番問題だったのは、あの男が禁呪の使い手だったことだ。 「人々の心を縛り、あの男は自分の望みを全て叶えようとしました。その結果、プラントと彼の国は争うことになりました」 国力に勝るプラントがすぐに勝利を収めるだろう。誰もがそう信じていた。 しかし、あの男の禁呪が――いや、人を道具としか見ないその考えが戦争を長引かせた。 「その禁呪を打ち破ったのがラクス様です」 その結果、あの男の軍は崩壊していった。ですが、と彼は顔をしかめる。 「あの男は、最後の最後に世界を自分の道ずれにすることを選択したのです」 キラは女神からそれを知らされていた。そして、イザーク・ジュールとミゲル・アイマンもその啓示をかいま見ることが出来たのだ。しかし、それが不幸の始まりだった。 「誰も、キラにその真意を尋ねませんでした」 その結果、女神が伝えられたかったことをキラ以外の者達は取り違えたのだ。それが悲劇への扉を開けてしまった。 「あの男の呪いを、キラは女神のお力を借りて浄化しようとしました。しかし、それは完全ではなかった」 何とか、封じ込めることは出来たかもそれない。しかし、誰かがそれを解放してしまう可能性もある。だから、女神は彼の地を封じたのだ。 「あの子は、その呪いに取り込まれてしまいました。女神のご加護を受けていたが故、命だけは助かりましたが、かわリにあの森に縛り付けられることになった」 あの男の妄執を浄化できるものが現れるまで。それを知っているからこそ、アスランとカガリはあの地を《禁域》にしたのだ。 「……と言うことは、そのお姫様はまだ生きてあの地に?」 「はい」 マルキオはあっさりと頷く。 「でも、どうしてそれがわかったのですか?」 「まれにですが、あの森に入れるものがおります。カナード様の外祖父であったミゲル・アイマンもその中の一人でした」 彼が確認してきたのだ、とマルキオは告げる。 「……その者達の中に、あの男の妄執に共鳴してしまう存在がいるかもしれません。ですから、何を言われようと、彼の地はあのままにしておいて頂けないでしょうか」 マルキオのこの言葉に、カナードはすぐに言葉を返すことが出来なかった。 |