しかし、これもまた彼の策略の一端ではないのか。
 そう思ったのは、自分の前に一人の女性が姿を現したときだ。
「メリオル・ピスティス、と申します」
 そう言って彼女は頭を下げる。
「……司書、だそうだな」
「はい。主に神話や魔法学についてを専門にしております」
 はきはきとした口調は好ましいかもしれない。もちろん、自分がそう思うことは周囲の者達にはお見通しなのだろうが。
「……何よりも、私の祖父のきょうだいが、現在も神殿におります。キラさまとも顔見知りだと、そう言っておりましたから」
 キラと共に学んでいた神官なのだ、とメリオルは続ける。
「母が死んだ後、その方が私を育ててくださいました。そのおりに、キラ様のことはよく聞いております」
 誰よりも優しく、人々の心を和らげるような微笑みをしていた人だ。だからこそ、女神のご加護を誰よりも強く受けていたのだろう。
 その老神官は幼かった自分によく、そう語ってくれたのだ。メリオルは懐かしそうに言葉を重ねる。
「……あの人の望みは、もう一度、キラ様に会うことだ……と言っておりました。ですから、今度のお役目には自分から志願させて頂いたのです」
 誰からの指示でもない。
 その言葉は、カナードが抱いている疑念を打ち砕こうとしてのものだろう。
「そうか」
 その言葉をどこまで信じていいのかはわからない。だが、少なくとも《キラ》をあの力解放してやりたいと思う気持ちだけは間違いないのではないか。
 理由はない。あるとすれば自分のカンだ、としか言い切れない。
 それでも、こういう時のカンは信用しておいた方がいい、と言うこともわかっている。
「ならば、任せよう」
 キラのことを知っているという老神官のためにも。カナードは心の中でそう付け加えた。
「できれば、一度その方に会ってみたいものだな」
 さりげなくこう付け加える。
「……機会がございましたら」
 この言葉とともに彼女は静かに頭を下げた。

 実際、彼女が来てくれてよかった、とカナードは思っている。
 どうやら、本人は自覚していないが、それなりの才能も持っているようだ。もっとも、身内に神官がいるのであれば、それは当然なのかもしれないが。
「おばあさまの本は、読めない人間には本当に読めないからな」
 実際、あれを全部読めるのは自分の他に彼女とプロフェッサーだけだ。
 劾は三分の二程度は読めるらしい。プレアと風花も同じ程度だろうか。しかし、読みたいと騒いでいる樹里はまったく読めないのだ。
「……残念だが、俺はあれだけに関わっていられないからな……」
 小さなため息とともにこう呟く。
 キラのことだけを考えていられたら幸せだろう。しかし、王としての義務を放り出せるほど、自分では愚かではないのだ。
 そして、目の前には自分がやらねばならぬこともある。
「ロウも……本当に厄介な情報を手に入れてきてくれたものだ」
 もちろん、これは本音ではない。どちらかと言えば、楽しいといった方がいい心境だ。
 しかし、こんな自分に付き合わされる者達は大変かもしれないが。
「劾が早く裏付けを掴んできてくれると話は早いんだが」
 神殿が協力をしてくれているから、森に入ろうと思う者達はかなり減っているようだ。
 それでも、不埒な噂は消えていない。
 むしろ、煽っているらしい者がいるのだ。
 それが誰なのか。それを知らなければいけない。
 その点に関しては、カナードと劾は一致している。
 だから、彼は現在、部下達やロウと共に裏付けを掴むために動いているのだ。
 それさえ手に入れられれば、厄介な連中は一網打尽に出来るのに。ついでに、今自分の目の前にある書類も間違いなく減るだろう。
 だが、これもまた自分の義務である以上、しかたがない。
「……取りあえず、さっさと片づけるか……」
 小さなため息とともにカナードは次の書類を取り上げる。そして、それに目を通していった。

 そちらに関して、事態が動いたのはそれからすぐのことだった。
「……わざわざ、俺を呼び戻すとは……」
 出先から呼び戻されたのがよほど不満だったのか。劾がこう言ってくる。
「これを見てくれ」
 それを無視して、カナードはあるものを彼に見えるように置く。それは、丁度指先ほどのボタンだ。しかし、ただのボタンではない。
「……襟章か」
 正規の軍に属している者は、誰の配下にあるかを知らしめるために、襟にこれを付けていることが多い。
 だが、これがどうかしたのか……と彼は問いかけてくる。
「風花とロレッタが花を植えに行ったときに、森に放火しようとしていたバカを見かけたそうだ」
 一緒に行っていたリードと共にロレッタが捕まえたらしい。そう付け加えれば、劾は小さなため息をつく。
「哀れな……」
 それがどちらに向けられたものなのか、確認しなくてもわかるだろう。
「そいつが付けていたそうだ」
 偽装という可能性は、もちろんある。だから、お前を呼び戻したのだ……と付け加えれば、劾は納得したらしい。
「確かに、俺ならば顔を知っている可能性があるか」
 ほぼ、全ての騎士団に顔を出している。そして、彼は一度見た顔を忘れないという特技もあるのだ。
「確認してくれ」
 うまくいけば、黒幕を絞ることが出来るだろう。この言葉に、劾も同意を示してくれた。


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