アスランの言葉通り、キラは何も覚えていなかった。それでも、自分がMSの開発に手を貸してしまったらしい、と言う事実を気に病んでいるらしい。極端に口数と食欲が落ちているのがわかった。
「キラ」
 クルーゼの気遣いからなのだろうか。アスランはあのあとすぐにキラの部屋へと移動していた。だから、こうして不安そうなキラの体を抱きしめていることができる。
「……何?」
 アスランの問いかけに、キラが視線をあげてきた。その菫色の瞳の中にはまだまだ不安が見え隠れしている。だが、それでも一番厄介な状況は越えられたのではないか、とアスランは思う。
 それでも全く懸念がなくなったわけではない。
「食事はいいのか?」
 ずっと食べていないだろう……と付け加えても、キラはすぐに『食べたくない』と言葉を返してくる。その事実に、キラにわからないようにアスランは小さくため息をついた。
「……少しでも食べないと……」
 そしてこう囁く。
「でないと……安心して父上に連絡を入れられない……」
 こんなやつれた顔をパトリックに見せたくないだろう? とアスランは付け加えた。その瞬間、自分の腕の中でキラの体がこわばったことももちろん気づいている。
「父上も、キラが無事に戻ってきて喜んでいたからね。だから、早く顔を見せてやって欲しいんだが……」
 これじゃ心配をさせてしまう……と付け加えてやれば、キラは辛そうに視線を伏せた。
「でも、無理に食べさせてもキラには逆効果だからね……ここが本国なら、キラの好きなお菓子でも……と言いたいところだが」
 軍艦では難しいか……と言いかけて、アスランは言葉を飲み込む。
「キラ……ちょっと待っててね。今、ニコルに連絡を入れるから」
 彼なら何かキラが食べられそうな物を持っているかもしてない。それでなければ、厨房で何かを見繕ってきてくれるのではないだろうか。アスランはそう判断をしたのだ。
「……いいから……」
 それよりも側にいて欲しい……とキラの瞳が告げている。しかも、珍しいことにアスランにすがりついている腕にも力を込めたのだ、キラは。
「本当に、キラは……わかったから。せめて飲み物だけでも取らせてくれないか?」
 キラも一緒に飲もう? と誘えば、これには素直に頷いてみせる。それでも、アスランが動く間も、一瞬でも離れたくない、と言うようにすがりついていた。
 それだけ、キラの中では傷が大きく口を開けている、と言うことだろう。
 そして、自分にすがりつくことでその中に飲み込まれないようにがんばっているのだ、とアスランは判断した。
 第一、他のメンバーがこのままキラを放って置くわけがないのだ。任務が終われば無条件でやってくるだろう。その時に食べる物は何とかすればいい、とアスランは心の中で呟く。それまでの間は、こうしてキラを抱きしめていても罰は当たらないだろうと。
「キラは……甘い方がいいね。少しでもカロリーを取らないと、ね」
 こう言えば、キラは素直に頷いてみせる。どうやら、このままではいけないこともキラはわかっているらしい、とアスランはほっとした。自覚をしているのなら、あの頃のように時間はかかっても立ち直るだろう。
「そうしたら、少しお休み。誰か来たら、起こしてあげるから」
 自分はどこにも行かないから……と付け加えれば、キラは本当かというようにアスランを見上げてくる。そんな彼に、アスランは優しい笑みを向けた。

「えぇ……お手数をかけて申し訳ないのですけど、お願いします」
 キラの顔を見る前に一服をして……と思いながら食堂に足を踏み入れたときだ。厨房に向かってニコルが何事かを頼んでいる声がディアッカの耳に届く。
「何だ? 一人で抜け駆けをするところか?」
 自分用のドリンクを受け取りながら、彼に声をかける。
「違います。こちらに関してはキラさんの分です」
 それに対し、ニコルが即座にこう言い返してきた。
「キラの?」
「えぇ……どうやら、戻られてからほとんど何も食べていらっしゃらないらしくて……アスランも部屋から出てくることが少ないそうですし……」
 後者はともかく、前者に関しては心配だから……とニコルは顔を曇らせる。ショックが大きすぎて食欲が完全に失せているのだろうと、そのまま彼は付け加えた。
「そっか……まぁ、当然なんだろうが……」
 自分がそうなるとは思わない。だが、繊細すぎるほどの精神を持ったキラでは仕方がないのかもしれないとディアッカも判断していた。まして、キラは心の中に癒えない傷を抱えていたのだから、と。
「あの地球軍の女の話だと、あいつらは優秀であれば《キラ》でなくても良かったんだと。ついでに言えば、オーブのコーディネイターを使ったのはこちらに対する嫌がらせでもあったらしい。最悪『コーディネイターでもプラントに反旗を翻す者がいる』って言う宣伝に使われていたかもしれない」
 そうなっていたら、キラは絶対に生きたまま自分たちの元へ戻ってきてくれなかったのではないか。そんな状況を考えただけで、キモが冷えるような気がするのはディアッカの気のせいだろうか。
「……そんなことまで考えていたんですか、あいつらは……」
 さすがにそこまでは想像していなかったのだろう。ニコルも言葉を失っている。やがて彼の瞳が怒りに染まっていくのがわかった。
「まぁ……キラにとっていい知らせ……って言うのも聞くことができたけどさ」
 問題は、裏付けが取れないことだけなんだよな……とディアッカはわざとらしくため息をついてみせる。
「何なのですか?」
 それは、とニコルはすぐに問いかけてきた。どうやら、いくらでも彼の怒りをそらすことができたらしい、とディアッカは胸をなで下ろす。
「情報収集でしたら、お手伝いできるかもしれませんし」
 にっこりと微笑む言葉の裏に、教えてくれなければただではすまない、と潜んでいるような気がするのは錯覚だろうか。
「それに関しては、父に確認を頼んできた。上手く行けば、数日中に返事が返ってくるだろうよ」
 キラに話すにはそれからでも遅くはないのではないか、とディアッカは思う。あるいは、直接、キラ宛に連絡が入るかもしれない。
「結局、父上達も立派な《キラ馬鹿》だからな」
 ドリンクに口を付けながらディアッカが呟く。
「それは否定できませんね」
 しっかりとそれを聞きつけたニコルは即座に同意をした。
「特に女性陣ですよね。ルイーズさまはどちらかというと一歩退いていらっしゃるようですけど、エザリア様とアイリーン様はやたらと張り合っていらっしゃいますし」
 ザラ閣下は別格ですけど……とニコルは笑う。
「あの方は、間違いなく《父親》だろう? それも、息子ではなく《娘》を溺愛しているタイプの」
 まぁ、息子があれだからな……とディアッカは付け加える。
「否定して差し上げられないのが何とも……」
 くくっと笑いを押し殺しながらニコルが頷いて見せた。
「でも、僕たちだって五十歩百歩だ、と言われていますけどね、アスランと」
 それは、今後政治の世界に身を置くかもしれない自分たちには当然のことなのだろうが……とニコルは付け加える。
「だから、みんな、キラが好きなんだよな。あいつは、俺達個人が『好きだ』と言い切ってくれるしな」
 他の連中のように、利権にあやかろうとしているわけじゃない。それがわかっているからこそ、大人達もあれだけキラを大切にするのだろう。
「……そんな純粋な好意だけならいいのですけどね……」
 ふっと思いついた、と言うようにニコルが呟く。
「何かあったのか?」
 この言葉に嫌なものを感じて、ディアッカは聞き返した。
「アスランがキラさんを保護して戻ってきたとき、結構、あちらこちらで目撃されたでしょう? そのせいで、変な感情を抱いた馬鹿がいるそうなんですよ」
 ここには女性がいないから……と付け加えられた言葉で、ニコルが何を言いたいのかディアッカにもわかる。
「まぁ……今はアスランが一緒にいるから大丈夫だとは思うんだが……」
 気を付けるように言っておくか、とディアッカは呟く。ついでに、イザーク達にも……と言う彼にニコルはさわやかな笑みを向けた。その瞬間、ディアッカの表情がこわばる。彼のこの笑顔の意味を、ディアッカはよく知っているのだ。
「いっそ、誰か一人、血祭りに上げた方がいいかもしれませんね。見せしめのために」
 にこやかな口調で言うセリフじゃないだろう、とディアッカは思う。だが、それを指摘する気は最初からない。
「……キラにだけは気づかれるなよ?」
 その代わりというようにこう忠告をする。
「もちろんです。そのために嫌われるのはいやですから」
 きっぱりと言い切るニコルの様子に、ディアッカは笑みを返す。
「だよなぁ……」
 そして彼が頷いたとき、厨房からニコルを呼ぶ声がした。どうやら頼んでいたものができたらしい、とディアッカは推測をする。
「じゃ、キラの顔を拝みに行くか」
 少しはマシになっていてくれればいいが……こういうディアッカに、ニコルも頷いて見せた。



と言うわけで、キラを甘やかし中です、みんな。