「キラ!」
 アスランは飛び込むようにしてキラがいるはずの部屋に足を踏み入れた。
「アスラン!」
 だが、彼の言葉に答えたのはキラではない。側に着いているニコルだ。
「キラさん、様子がおかしいんです!」
 守るようにキラの体を抱きしめながら、ニコルが叫ぶ。
「わかった」
 落ち着け、と視線で告げながら、アスランはゆっくりと二人へと近づいていく。そして、優しい微笑みを作るとキラの顔を覗き込んだ。
 だが、その微笑みはすぐにこわばってしまう。
 キラの、あのなににも代え難い菫色の瞳がどこにも焦点を合わせていないことにアスランは気がついたのだ。ただ、まぶたを開けているだけ、と言う状況……というのだろうか。
「……キラ……」
 それでも、まだニコル達が心配しているように心が壊れてしまっているわけではない。今のキラの様子にアスランは見覚えがあるのだ。
「俺だよ、キラ」
 ここにいるよ……と言いながら、アスランはニコルからキラの体を受け取る。
「……アスラン?」
 そのまま腕の中に抱きしめれば、キラが幼いときと代わらない口調で呼びかけてきた。同時に、そうっと手を持ち上げるとアスランの頬に触れてくる。
「大丈夫、側にいる」
 だから何も心配しなくていい……と囁きながら、その手をアスランは包み込んでやった。
「僕のこと……怒ってない?」
 その仕草に小さく吐息を吐き出しながら、キラが問いかけてくる。
「何で? キラがあっちに行くことは俺も納得したことだろう? 帰れなくなったのは仕方がないことだし……こうして帰ってきてくれたのに?」
 それだけが重要なんだから……とアスランはキラの耳に囁く。
「……だって……」
 キラが甘えるようにアスランの胸に頬をすり寄せてきた。
「あんな物、作っちゃった……アスラン達を傷つけるかもしれないのに……」
 おじさまも怒っているよね……とキラは口にする。
「何も心配することはないよ……あれは全部俺達が持ってきたからね。地球軍には渡していない。だから、父上だって怒っていないよ」
 大丈夫だから……とアスランは繰り返す。キラのせいじゃないから……と。
「本当かな?」
「俺が信用できないの?」
 さらに言葉を重ねれば、キラは小さく首を横に振った。
「だろう? だから、キラは何も心配しなくていい。まずは体のことを考えるんだ」
 ねっ、といいながらアスランはキラの額や頬にキスを繰り返す。同時に、彼の手はキラのの背中をなで続けていた。
「……アスランが、そう言うなら……」
 信じる……と言いながら、キラは体から力を抜く。そのまま、アスランの胸に顔を埋めるようにして瞳を閉じた。
 そのまま、アスランはキラの背をなで続ける。
 そうしているうちに、キラは完全にアスランに自分の体を預けた。その唇からは寝息がこぼれ落ちている。
「……アスラン……キラさんは……」
 キラの眠りを妨げないように……と思ってか。ニコルが小声で問いかけてきた。アスランが視線を向ければ、その側には追いかけてきたらしいイザークとラスティの姿もある。
「寝ぼけているだけだよ……もっとも、おかげでキラが何にショックを受けたのか、わかったけどね」
 キラにとって《自分》が《アスラン達》を傷つけてしまったかもしれない道具を作る手伝いをしてしまった……と言うことが、一番の衝撃だったのだろう。例え、その事実を知らなかったとしてもだ。
「……地球軍の奴ら……」
 どうして《キラ》を巻き込んだのか……と思えば怒りが抑えきれなくなってくる。
「……んっ……」
 だが、それもキラの唇から寝言ともうめきともつかない声が飛び出したことでかき消されてしまった。地球軍に復讐をすることよりもキラのことを優先しなければ、とアスランは改めて思い直したのだ。
「アスラン、本当にキラは大丈夫なんだな?」
 イザークが、彼にしては潜めた声で問いかけてくる。
「あぁ……昔と同じ状況なら、次に起きたときには、今の会話も覚えていないと思う。ただ、だからといってキラの中で完全に解決したわけじゃないが……」
 あのあとも、キラは一人で眠ることができなかったのだ。アスランが側にいて、いつでも注意をしていたからこそ、あの傷はあれ以上広がらずにすんだのだと言っていい。
「俺がずっと側にいられれば一番いいんだろうが……そうもいかないか」
 勤務がある以上……とアスランはため息をつく。
「あるいは……キラを連れていくか、だな」
 どちらにしてもクルーゼには相談しなければならないだろう。
「……悔しいですね……」
 アスランがこんな事を考えていたときだ。ニコルがこう呟く声がアスラン達の耳に届く。
「ニコル?」
 一体何を、とアスランは彼へと視線を移した。
「僕たちだって、キラさんが一番なのに……キラさんにとって頼りたい相手は結局アスランなんですね……」
 それでも、少しは好かれているのだろうか、とニコルは吐き出す。
「違うよ、ニコル。俺はたまたま、最悪の頃のキラを覚えているだけだ。そして、その時どうすればいいかも学んでいた。ニコルが嫌いだったら、キラは俺が来るまで大人しくニコルの腕の中にはいない」
 それどころか、もっとひどいことになっていた可能性だってある……とアスランは口にした。
「もちろん、イザークやディアッカでも同じだった。だから、ニコルがラスティを寄越してくれて助かったよ」
 逆であれば、今頃どうなっていたか……とアスランは苦笑を浮かべる。
「そう言ってもらえれば、安心できますけど……」
 だからといって納得できたわけではないらしい。どこか悔しそうな表情はそのままだ。
「まぁ、仕方があるまい。出逢ったのはアスランが一番最初だ。そして、キラと共に過ごしてきた時間も、こいつが一番長い。取って代わることは難しいだろうよ」
 悔しいがそれは認めないわけにはいかないだろう、とイザークもため息をつく。
「そうだぞ。それを言ったら俺はどうなるわけ?」
 さらにラスティが口を挟んできた。顔を見ただけで悲鳴を上げられただろう、と付け加えられてはニコルとしてもこれ以上文句を言うわけにはいかなかったらしい。
「納得してくれたなら、今のことはキラにはオフレコにしておいてくれ。でないと、今度は正気の時に同じような状況になるかもしれない。そうなれば……間違いなくキラの心は壊れるぞ」
 もっとも、そんなことをさせるつもりはないだろうが、とアスランは仲間達の顔を見つめながら問いかける。
「もちろんです」
「キラだけは何をおいても失えないからな」
 それはこの場にいないディアッカも同じはず。いや、彼だけではない。本国にいるラクスを始めとし者たちも同意を示すに決まっていた。
「細心の注意を払って……キラの様子を観察していくしかないだろうな……後は、他の連中か。近づけないのが一番なんだろうが……」
 それは難しいだろう、とアスランは思う。
「特に整備の連中と開発の連中だな……既に、奪取してきた機体のOSについて興味津々、と言う様子だったし……」
 アスランだけではなく、自分たちも親に連絡を入れた方がいいかもしれない、とイザークがアスランの言葉を補足した。
「まぁ、俺達の誰かが側にいれば、そうそう寄ってこないだろうが……」
 違うか……と言うイザークに、ニコルも苦笑を浮かべてみせる。どうやら、彼にもそれなりに自覚があるらしい。
「キラを一人にしない……それを最優先にできるよう、隊長には上申した方がいいんだろうな。俺達の連名で」
 いざとなれば、パトリックから手を回して貰おう……とアスランはキラの背を撫でながら決心していた。



火種? と言いつつ、本人が意識していないから困ったものかもしれないですね。