「そちらの方達はどなたですの?」
 人気が少ない楽屋の方へと足を踏み入れた瞬間だ。ふんわりと優しい声が彼らの耳に届く。誰だろうと思って視線を向ければ、ピンク色の髪をした少女がふんわりとした笑みを浮かべながら自分たちを見つめていることにキラは気づいた。
「ラクスさん」
 ニコルが即差に彼女に言葉を返している。
「アスランとキラさんですよ。ザラさまのところの」
 紺色の髪の方がアスランで亜麻色の髪の方がキラさんです、とニコルが付け加えた瞬間だった。すいっとラクスが二人の側へと寄ってくる。そして、キラの瞳を覗き込んだ。
「あっ……あの……」
 一体何を、とキラは思わず腰を引きかける。
「お父様がおっしゃっていらしたとおり、本当に綺麗な菫色の瞳でいらっしゃいますのね」
 お可愛らしいし……と言う彼女の言葉に、キラはアスランに助けを求めるかのように視線を向けた。
「ラクス・クライン」
 その意味を的確に受け止めたのだろう。アスランが口を開く。
「何でしょうか、アスラン・ザラ」
 にっこりと微笑みながら、ラクスはアスランに言葉を返す。だが、まだキラの顔を見つめたままだ。
「キラは人見知りをするんです。そして、ストレスを感じすぎると体調を崩すので……申し訳ありませんが、離れてやってください」
 そうやって腕を掴まれていては離れるに離れられません、と付け加えれてくれるアスランに、キラは安堵の視線を向ける。
「……仕方がありませんわね」
 それでは嫌われるかもしれない……とため息をつくとラクスはようやくキラの腕を放した。その瞬間、キラはアスランの方へと逃げ出してしまう。彼の服の裾を握りしめれば、ようやく大丈夫だという気持ちを抱くことができた。
「……キラ、大丈夫だから……ここにはあいつらのような連中はいないって」
 そんなキラに向かってアスランが優しく囁いてくれる。
「うん……わかってる」
 少なくともアスランとニコルはそう言う人間ではない。そして、彼らが会わせても大丈夫だ、と判断したのだから彼女も同じだろうとは思う。しかし、どうしても駄目だなのだ。
「でも、アスラン様だけではなくニコル様も大丈夫なのでしょう? どうしてですの? 私もキラ様とお友達になりたいですわ」
 キラとアスランの側ではラクスがニコルにこう訴えている。
「会って直ぐでは無理ですよ。僕だって、キラさんに慣れていただけるまで結構時間がかかりましたし……」
 でも、その時間も楽しかったのだ……と言うニコルにキラは申し訳ない……という気持ちを抱いてしまう。自分がそうだとは思ってもいなかったのだ。
「アスランは幼なじみだそうですから、キラさんがあれだけ信用していても当然なんでしょうね」
 ちょっとうらやましいですけど……と言いながら、ニコルが視線を向けてくる。
「……ニコル君、あの……」
「気になさらないでください。僕としては、キラさんがだんだん心を開いてくださっている、と言う時間も楽しんでいますから」
 でも、やはり同じ学校に通いたいなぁ……と彼は付け加えた。
「仕方がないよ。家の学校だと、ニコル君にピアノを教えられる人なんていないし……」
 ご両親と一緒にいられるならその方がいい、とキラは口にする。その言葉の裏にかくされている意味がわかったのだろう。
「そうですね。キラさんにはいつでも連絡が入れられますから」
 それで我慢をします、とニコルは微笑む。
「ともかく、楽屋の方に行きませんか? 座ってお話をした方がいいでしょう」
 時間もあるし、誰にも邪魔をされないはずだ……と言うニコルの提案にアスランだけではなくラクスも頷く。
「なら、私の方へどうぞ。おいしいお茶を持ってきましたの」
 ぜひとも味見をしてくださいませ、と微笑む彼女は、彼らが自分の申し出を否定するとは思っていないようだ。
「そうさせて貰おうか、キラ」
 ね、とアスランに言われて、キラは素直に首を縦に振ってみせる。彼とニコルがいれば初対面のラクスに話しかけられても大丈夫だろうと思ったのだ。
 もちろん、ラクス自身の態度も影響していたことは否定しない。彼女もキラへの好意は示すものの、それ以外の感情は感じさせない。それがニコルと同じだ、とキラは思う。
「こちらですわ」
 ラクスが微笑みながら歩き出した。その後を三人がついて行く。と言っても、彼女たちの楽屋は直ぐ近くだ。しかも『クライン家』の令嬢、と言う彼女の立場のためか、一番いいクラスの部屋なのではないか、とキラは思う。
「……ニコル君の控え室も、こんな凄いところなの?」
 こっそり、とキラは隣にいるニコルに問いかけた。
「そうですね。レイアウトとかは違いますが……でも、このくらい普通ですよ」
 さらりと返された言葉に、キラはどう反応を返すべきかと悩んでしまう。同時に、やはり自分とは立場が違うのだ、と。
「キラ……くだらないことを考えちゃ駄目だからね」
 キラの内心を読みとったかのようにアスランが囁いてくる。キラはキラのままでいいのだから、と。それにニコルだけではなくラクスも頷いて見せている。
「そう言えば、キラ様のお好きな歌ってありますの?」
 雰囲気を変えようと言うのか。持ってきたというティーセットで四人分のお茶を用意しながらラクスが問いかけてきた。
「キラは俺より音楽に詳しいしね」
 あるよね、とアスランが助け船を出すように口にすれば、
「僕もお聞きしたいです」
 とニコルもキラに微笑みを向けてくる。
「……好きな歌……」
 さて、何と言うべきだろうか……とキラは小首をかしげた。自分がよく聴いているような曲はニコル達に言うべきではないような気がする、と思うのだ。かといって、それ以外の曲となると、聞くのは好きだが題名まで知らない、と言うものが多い。
 そう言えば、母がよく口ずさんでいた曲があったな、とキラは思い出す。
「……凄く昔の曲なんだけど……」
 いいのかな、とキラは小首をかしげながら口にした。
「もちろんですわ」
 私が知っていればいいのですけど……といいながら、ラクスが微笑み返してくる。
「えっとね……アメージング・グレース……だったかな? ママがよく歌ってたんだ」
 だから、好きなんだけど……とキラは微笑む。その瞬間、ラクスとニコルが微かに息を飲むのがわかった。
「知らない?」
 彼らがそんな反応を見せたのはその曲を知らないからだ、とキラは判断する。
「いえ、知っておりますわ。ニコル様は?」
 しかし、ラクスは直ぐにこう口にした。
「僕も知っています。綺麗な曲ですよね」
 家の母も好きですから、とニコルも微笑む。
「でしたら、お弾きになったことは?」
「ありますが……何か?」
 ラクスの問いかけにニコルが言葉を返している。
「でしたら、キラ様のために弾いてくださいません? 私が歌いますから」
 二人で何か……と言われていた曲をそれにしません、とラクスは微笑む。
「いいですね、それ」
 そうしましょう、とニコルも即答をした。
「あの……ラクスさん、ニコル君?」
 しかし、キラにしてみればそんな理由で決めてしまっていいのか……と思ってしまう。自分よりも優先しなければならない人たちがいるのではないか、と。
「あら、かまいませんわ」
「そうですよ。誰の意見を優先しても不公平になりますから。なら、僕たちはキラさんの意見を優先したいだけです」
 せっかく二人の意見が合意を見せたのだから、キラは気にしなくていい……と告げるニコルにラクスも頷いている。
「キラ、歌って貰えばいい。俺も久々に聞きたいから」
 彼らのフォローをするかのようにアスランも口を挟んできた。彼がこういうのであれば大丈夫なのだろうか、とキラは思う。普段自分が気にすることはないのだが、彼らの立場についてアスランはよく知っているはずだから、と。
「じゃ、お願いしてもいい?」
 キラがこう言えば、ラクスとニコルはしっかりと頷いて見せた。



と言うわけで、ラクス登場です。初対面から飛ばしていますね(^_^;