キラの心の傷が、静かに広がっていたことにアスラン達が気づいたのは、それから程なくしてのことだった。
 夜中にうなされることが多い彼を心配して、アスランは最初の日からキラと同じベッドで寝るようにしていた。それに関しては、レノアはもちろん、パトリックも当然だと考えていたらしい。と言うのも、うなされていてもキラは、アスランの声がかかれば穏やかな眠りに戻るのだ。
 しかし、今日は違っていた。
 いきなり起きあがったかと思うと、キラがベッドから滑り降りる。そして、そのままドアの方へを歩き出した。
「キラ! どうしたんだ、キラ?」
 キラを背中から抱きかかえるようにしてアスランは彼を止める。
 そうすれば、キラがアスランの方へと振り向いた。
「僕、パパとママ、探しに行くの」
 アスランの問いかけに、キラは即座に言葉を返してくる。
 その口調からアスランにはキラが寝ぼけているのだとわかった。
 だが、普段はこんな事を考えているなんてキラは微塵も感じさせない。単に我慢していただけなのだろうか。そう思ってしまう。自分の考えが当たっているのであれば、つまり、自分たちはキラにそうさせていたのだろうと。
「どうして?」
 アスランの顔を見つめながらキラが問いかけてくる。
「どうして邪魔をするの?」
 アスランが邪魔をするなんて、全く思っていなかった……とキラの瞳が告げてきた。
「だって、お外はもう真っ暗だよ。これじゃ、人の顔なんてわからないだろう? 朝になったら僕も一緒に探しに行ってあげるから」
 今は眠ろう? とアスランはキラに囁く。彼に向けている表情はあくまでも穏やかなものだ。だが、心の中で朝になったら今自分がしようとしていた行動を忘れていてほしい、と思う。自分がそんなことをしていた……とキラが知れば、またショックを受けるに決まっているから。
「本当?」
 ふわっと柔らかな微笑みを浮かべながらキラが聞いてきた。
「本当だよ。僕がキラに嘘を言ったことがあった?」
 こう言えば、キラはようやく納得したようだ。小さく頷いて見せる。
「じゃぁ、寝よう。ね?」
 体調を崩せば、おじさま達を探しに行けないよ、と言いながら、アスランはキラの体をそうっとベッドの方へと導いていく。そうすれば、キラは逆らうことなく素直に着いてくる。
「ほら、体が冷えちゃっている」
 そして、そのまま抱きかかえるようにしてアスランはキラを布団の中へと押し込んだ。
「……アスラン……」
 キラがアスランの胸に頬をすり寄せてくる。
「何?」
 そのキラの髪に自分の指を差し込みながら、アスランが聞き返す。
「アスランは、いなくならないよね? 僕のこと、いらないって言わないよね?」
 キラが口にした言葉に、アスランは思わず眉を寄せる。
 つまり、誰かがキラにそういうことを言ったのだろう。しかし、それをアスラン達に伝えれば、言った相手が怒られるのではないか。そう思って、キラは自分の胸の中だけに納めていたに決まっている。
「いつも言っているだろう? キラがいやだって言っても側にいるって」
 だから、心配しないの……とアスランが告げれば、キラはようやく安心したような表情を作った。
「大好きだよ、キラ。だから、俺の側にいてね」
 この囁きと共に、アスランはキラの頬へと口付ける。
「……うん……」
 僕も大好き……とキラは微笑む。そしてそのままアスランの胸へと顔を埋めると、再び眠りの中へと落ちていった。
 キラの唇から寝息がこぼれ落ちるのを確認しても、アスランはキラの髪を撫でる指を止めようとしない。
 一体誰がキラをここまで追いつめたのか。
 そして、どうして自分はそのことに気づかなかったのか。
 考えれば考えるほど、怒りが湧き上がってくる。
「……ともかく、父上か母上に相談しておかないと……」
 キラにカウンセリングを受けさせた方がいいのではないか……とアスランは思う。それに関する手続きは自分では無理だ。こう言うときに、まだ成人でないという事実が悔しいと思えてしまう。
「起きないでね、キラ」
 直ぐ戻るから……と口にしながら、アスランはベッドを抜け出す。
 そうすれば、キラはまるでアスランのぬくもりを捜すかのようにシーツの上で手を彷徨わせている。
「……仕方がないな……」
 そういいながら、アスランはとっさに自分が使っている枕をキラの腕に持たせてやった。匂いが着いているからだろうか。キラはそれを抱きしめると安心したように動きを止める。
「そのうち、いつでもキラの側にいるものを作ってあげるよ」
 自分はいつでもいられるわけじゃないから……どんなに一緒にいたいと思っても、立場上無理だと言うこともある。そして、それがキラに悪影響を与えてしまう、と言うこともわかってしまったから、と。
「とりあえず、今はいまできることを考えないと……」
 音を立てないように部屋から出ると、アスランはまっすぐにリビングへと向かった。今の時間帯であれば、間違いなく母はそこにいると思ったのだ。そして、運が良ければ父もいるだろうと。
「父上に相談をするのはかなり癪なんだけどね」
 だが、キラのためなら仕方がない。そう割り切ることにして、アスランはリビングのドアを開けた。
「アスラン? どうしたの、こんな時間に」
 予想通り、そこにはレノアとパトリックがいる。
「……キラのことでお願いが……」
 そういいながら、アスランは彼らの前まで足を進めた。
「キラは僕が説得しますので……一度、カウンセリングを受けさせられるように手配していただけないかと……」
 アスランの言葉に、彼らは眉を寄せる。
「何か、あったのかしら?」
「……今、キラが寝ぼけて、おじさま達を探しに行くって……とりあえず、何とか寝かしつけましたけど、また同じことをしでかさないとも限りません。僕が気づけばいいのですが……」
 その前に窓から落ちたりすれば、怪我をするに決まっている……とアスランは付け加えた。
「……ようやく、キラ君の気がゆるんできたから……と言うべきなのかしら。それとも、ますます傷が広がってしまったと見るべきなのか……どちらにしても、専門家の意見を聞きたいというのは確かよね」
 アスランの言葉に頷きながら、レノアがパトリックへと視線を向ける。
「人選を頼んでおこう。ただし、今日明日では無理だぞ」
 有能な人物で、なおかつキラを差別しない者を見つけるには……とパトリックは続けた。ザラ家に取り入りたい者は多いだろうが……と。
「わかっています。その間、僕がちゃんと気をつけます」
 もうこんな失態はしない。そして、今まで以上にキラの側にいなければならないのだ……とアスランは心の中で呟く。
「そうしてあげて」
 レノアが微笑みながらアスランの側へと近づいてきた。
「あなたも早くベッドに戻りなさい。キラ君が目を覚ましていたら困るでしょう?」
 それ以上に、体調を崩してはまずい、と彼女は囁く。
「はい、母上」
 お休みなさい、とアスランは口にする。そして、そのまま両親の前から辞した。

 この日から、アスランだけではなく他の者たちも、キラをさらに甘やかし始めたのは言うまでもない。
「……僕、赤ちゃんじゃないんだけど……」
 キラが自分が何をしたか覚えていないのだろう。彼らの行動に、首をかしげてみせる。
「最近、ちょっとうなされているようだから、みんなが心配しているだけだよ」
 だから、今度、先生に話を聞いて貰おう? と言いながら、アスランはキラの肩を抱きしめた。
「アスラン、苦しいってば」
 くすくすと笑いながら、キラが言い返す。
「ごめんね、キラ」
 言葉を返しながらも、アスランはキラの体を解放する気配を見せない。
「もうじき、キラの誕生日だよね。いいものを作ってあげるから」
 楽しみにしていてね、とそのまま囁けば、キラは嬉しそうに笑ってみせる。それに安心できないとわかっていても、嬉しいと思ってしまうアスランだった。

 それから程なく、キラはカウンセリングへと通うことになる。もちろん、その場にはアスランも一緒に向かっていた。
 ドクターと相性が良かったのだろう。
 キラが寝ぼけてうろつき回る、と言うことはなくなった。だが、それでも爆弾は残っている。だから気をつけなければならないのだ、と。
 それがアスランの過保護ぶりに拍車をかけたのは間違いのない事実だった。



キラの心の傷の話です。これからもちょくちょく出てくるかな?