あの日から、キラは少しずつだが家の外に出かけるようになった。
 もちろん、一人で出かけさせられないので、アスランかレノア、ごくまれにパトリックが着いていく。はじめは直ぐに人酔いをしていたのだが、最近はそうでもなくなっている。
「……そろそろ、学校に通わせた方がいいかもしれないわね」
 一月ほどだってから、レノアがこんなセリフを口にした。
「おばさま?」
 その言葉に、キラはきょとんとした表情を作る。
「……母上……まだ、無理じゃないかと……」
 アスランは即座にこう口にした。
「どうして、アスラン?」
 キラ君と学校に行きたくないの? とレノアは息子に問いかけてくる。
「……同じ学校に行きたいのは事実です。でも、あそこはキラにとって環境がいいとは言い切れないでしょう?」
 月にいた頃のキラであれば何の心配もいらなかった。
 だが、今の、まだ心に傷を抱えたままのキラではどうだろうか……とアスランは思ってしまうのだ。
「……僕、大丈夫だよ、アスラン……ニコル君達とも仲良くできるようになったんだし……」
 他の人とも友達になれる、と思う……とキラはそれでもどこか不安そうな口調で言葉を口にする。その気持ちは認めてあげたいとアスランも思うのだが、ニコルと他の者たちとはまた話が別だ、としか言いようがない。
「ニコル君達は、僕と同じ立場だからね。キラのことを純粋に好きだ、と思うけど……学校の連中はそうじゃない。月でも、同じようなことがあっただろう?」
 こっそりいじめられていたじゃないか、と指摘された瞬間、キラは視線を伏せた。どうやら、彼もそのことをしっかりと覚えているらしい。
「同じようなことがあったら、今、大丈夫だって言える?」
 前よりもひどくなるかもしれないよ、とアスランはキラを脅かしていく。
「……アスラン」
 そんなアスランの耳に、レノアの少し怒ったような声が届いた。
「キラ君を心配する気持ちはわかるけど、今のはちょっとやり過ぎよ」
 ほら、震えているわ……と、彼女に指摘されて、アスランは慌ててキラの様子を確認する。そうすれば、顔から血の気が失せているのがわかった。
「ごめん、キラ……そんなに脅かすつもりはなかったんだ……」
 言葉と共に、アスランはキラの体を抱きしめる。
「ただ、できることなら、これ以上キラに傷ついて欲しくなかったから……」
 自分のせいで、とアスランが付け加えれば、キラはわかっているというように小さく首を縦に振って見せた。
「……でも……アスランが側にいてくれるんでしょう?」
 どんなときでも、と、キラが囁いてくる。
「もちろんだよ、キラ……どんなときでも、僕はキラの側にいる!」
 いやだって言われても、とアスランは付け加えた。
「……なら、大丈夫だと思う……」
 アスランさえ、自分のことを嫌わなければ……とキラが言ってくる。その言葉に、アスランはキラを抱きしめる腕に力を込めた。
「でも、同じクラスになれないのかな?」
 なら、行きたくないかも……とキラがさらに言葉を口にする。
「その心配はしなくていいわ。学校にはおばさまがちゃんと説明をしてあげるから。キラ君はアスランと一緒にいないと大変なことになるかもしれないって」
 だから、それに関しては何も心配しなくていいのだ、と彼女が微笑む。
「おばさまがそうおっしゃるのなら」
 アスランと一緒になれるよね、とキラはアスランに問いかけてくる。
「もちろんだって。母上は嘘をつかないし……もし駄目なら、僕がキラのクラスに行くから」
 先生が駄目だと言っても、と言うアスランの言葉に、キラは困ったような微笑みを浮かべ、レノアはため息をついた。
 しかし、これでキラを学校に通わせられるようになったと彼女が思ったこともまた事実だった。

 キラが学校に通い出して直ぐに、彼に対する嫌がらせが始まった。
 血縁でもないのに、ザラ家に引き取られていると言うことが気に入らない《大人》が多すぎる、と言うことだ、それは。でなければ、あれほどまでにキラが嫌われるわけがない。キラを排斥しようとする者と同じくらい――いや、それ以上に、彼を守ろうとしてくれるものもできたのだ。
 もちろん、アスランは言葉通り、できる限りキラの側にいて、そんな連中から彼を守っていた。だが、生徒である以上、どうしても限界がある。
 ザラ家の嫡男とはいえ、学校では普通の生徒なのだ。当番等の仕事から解放されるわけではない。自分が側にいないときに、キラが一体どのような目に遭っているか、とアスランは不安だった。
「……キラは、普通にしてるつもりなんだろうな……」
 そんなの、気にならないと言うように……とアスランは呟く。だから、いくらちょっかいをかけてきても無駄だ、と。
 しかし、実際はそうではない。
 他の者は気づいていなくても、アスランにはわかってしまう。
「本当、どうして、馬鹿ばっかりなんだろう……」
 よりにもよって、教師の中にもキラに嫌がらせをしている者がいるのだ。彼らには《キラ》が《どうして》自分の家へ引き取られることになったのか、その資料が行っているはずなのに……
「使えない者は、そうそうに追い出せればいいのに……」
 どうして、自分にはその権力がないのだろうか……とアスランはため息をつく。もし、自分に任命権があれば、くだらない理由で生徒を差別するような教師は即座に辞めさせてやるのに、と本気で思う。
「あと僕に出来るとすれば……徹底的にへこませて、辞職に追い込むしかないのかな」
 自分一人ではちょっと難しいかもしれないが、キラと一緒であればできるだろうと思う。キラの学力は自分とほぼ互角なのだ。もちろん、お互い得意教科と苦手な教科はあるが、平均すればほとんど差がない。その事実もまた、キラを好かれさせ、そして嫉妬の的にしてしまうのだが……
「生徒に勝てない教師なんて必要ないって、父上もおっしゃるだろうし……」
 アスランがやめさせるならともかく、自分からやめるのであれば誰も文句を言わないだろうと思う。
「……ともかく、キラをいじめる奴には、それなりに報復しないとね」
 それも、キラにそうだと知られないように……と呟きながら笑うアスランは、とても成人前とは思えない。
「……あまり、無茶なことはしないようにな」
 そんなあアスランの耳に、パトリックのこんなセリフが届く。
「父上!」
 この部屋にいること自体は別段おかしくない。と言うより、当然だろう。ここは彼の書斎なのだから。しかし、一体いつから自分の呟きを聞いていたのか、とかアスランは思う。
「やりすぎは禁物だぞ」
 その辺のさじ加減に関しては任せるが、とパトリックはさらに付け加える。ザラ家の名に留意をするように、と。
「……わかっています……」
 アスランにしてもそれはわかっていた。どうあがいても、自分が『ザラ家の嫡男』であるということは切り離せないのだ。だから、それを気にしない《キラ》の存在が必要なのだと言うことも。
「ただ、相手の出方次第で、多少、厳しく対処するかもしれませんが」
 少なくとも教師に関しては手加減をする気にない、とアスランは思う。
「もちろんだ。キラ君を守るのは、お前の義務だからな」
 そして、ザラ家にとっても……とパトリックは頷いてみせる。
「しかし、そうすべき相手がいるのか?」
 微かに眉を寄せながら問いかけてくる彼に、
「誰もがニコルのように、手放しでキラの才能を認められない、と言うだけです」
 特に大人達は……とアスランは付け加えた。
「そうか。ただし、ほどほどにな」
 手に負えないときは素直に相談するように、と言うと同時に、パトリックはアスランから離れていく。
「……キラのことが関わっていれば、父上とも普通に話せるんだな……」
 その背中に向かってアスランは小さく呟いた。



珍しくもほのぼの親子?