「キラが?」
 ミゲルの報告に、アスラン達が信じられないという表情を作る。
「いい加減、戻ってくるそうだ」
 このままでは、連中は自分たちから逃げることをあきらめないだろう。
 それも《キラ》と《ストライク》の存在が彼等の手の中にあるからだ。
 いくら連中でも、フラガとメビウス・ゼロだけでは勝てないことがわかっているだろう、というミゲルの言葉にアスラン達も頷くしかない。
「……で? 問題のあのお方は?」
 どうするんだ、と問いかけてきたのは、ディアッカだ。
「そうだな。ラスティもいるし、な」
 イザークもそんな彼の言葉に頷いてみせる。
「……ストライクに、三人、乗せてくるんだろう? それを、俺たちがこっそりと捕縛すると。もちろん、キラの協力がなければ、不可能だけどな」
 おそらく、前線でその作業を行うのはイージスとブリッツになるだろう……とミゲルは付け加えた。キラが連絡をしてきた作戦が採用されれば、の話だが。
「……ついでに、メビウス・ゼロを隊長が捕縛、と」
 撃墜されなきゃいいけどな……と付け加えるミゲルに、まさか、と言うような表情を作った。
「キラの話だと、かなり複雑らしいんだよな、家の隊長とフラガ隊長の関係は」
 正確に言えば、子供けんかだ、と口にしたのだ、キラは。
 その原因が何であるのかまでは知らないが、限りなく低次元な内容なのではないか、とミゲルは思う。
「……俺が知っているままの二人なら……あり得るよな……」
 ふっとため息をついたのはアスランだ。
「はっきり言って、あのころまだ幼年学校の生徒だったキラに、後始末をさせていたからな、二人のけんかの」
 他のことでは自分たちの方が世話になっていたことは否定しないが……とアスランはため息をつく。
「……あのころのキラは……本当にかわいらしかった……」
 だが、すぐにまた脳内にトリップしてしまう。
「ミゲル……恨みますよ……」
 こうなれば、アスランはしばらく正気に戻らないだろう。それがわかっているからこそ、ニコルが恨めしそうにこう告げてくる。
「悪かった……まさか、こんな事でアスランがトリップするとは思わなかったんだ」
 というか、こんな事でアスランが任務を忘れるとは思わなかった……と言うべきか。
「アスランのあれは、完全に病気だからな」
 本当、その感情を向けられている奴に同情するね、俺は……とディアッカもため息をつく。
「見た目は……ニコルよりも華奢でかわいらしいのにな。あれと付き合っていられたのなら、中身はかなりのものなのか?」
 だからといって、こういうセリフは聞き逃せない。
「昔は、もう少しマシだったらしいぞ、キラの話だと」
 まぁ、自分がキラをかっさらってしまったからと言う理由もあるんだろうな、とミゲルは心の中で呟く。だからといって、譲ってやる気はさらさら無いが。
「ともかく、民間人がいるんだ。彼等を危険にさらすようなことだけはするなよ?」
 オーブを敵に回すわけにはいかないんだから。こう告げれば、イザーク達は頷いてみせる。
 まだトリップしているアスランの存在は……完全に脳内から消去してしまうミゲルだった。

「わかっていますね、ラクス」
 お願いだから、こちらの指示に従ってくれ……とキラは口にする。でなければ、作戦が失敗してしまう、とも。
「念を押されなくても、大丈夫ですわ」
 そう言われても、信用できないから念を押しているんだろう、とキラは心の中で呟く。
 実際、過去にも同じような場面があったのだ。
 フラガ隊は主として潜入任務をこなすために集められた者達ではあるが、その有能さから要人の護衛に付くこともある。キラも、年齢が近いと言うことと、本人が仰々しい護衛をいやがっているという理由でラクスの護衛に付いたことがあった。
 その時のことを思い出すだけで、今更ながらに頭が痛くなってくる。
 彼女は、襲撃者達に自己紹介をしたあげく、さっさと彼等を再起不能に追い込んだのだ。その手際の良さに、護衛なんているのか、とキラが思ったことは事実である。
 しかも、キラを驚愕させた事実はそれだけではない。
 彼女はその事実を全てキラの手柄にすり替えてしまったのだ。
 あまりの手際の良さに、今回の一件が初犯ではないのだ、とキラにもわかってしまう。
 それだけではない。
 駆けつけてきた彼女の家の執事達の態度から、実はラクスがそういう行動を取りたくて護衛を遠ざけたらしいのではないか、と推測したのだ。
「ひょっとして、僕は護衛ではなくストッパーだったのですか?」
 キラのことの問いかけに、彼等は苦笑だけを返してくる。その態度がキラの仮説が真実であることを如実に示していた。
 そして、ある意味、この場もあの時と同じ状況だと言えるのではないか。
「……そうはおっしゃいますが……信じることができないことを、あれからも繰り返していらっしゃいますよね?」
 キラはその事実を思い出してさらに言葉を重ねた。
「ひどいですわ、キラ様!」
 こうは言うものの、彼女の視線が泳いでいる。
「私だって、バカではないつもりですわ。そのようなお遊びが許される場面かどうかの区別ぐらい、付きましてよ?」
 それでも、ラクスはきっぱりとした口調でこう言ってきた。
「私にしても、民間人の方々まで巻き込むつもりはありませんもの」
 だから、安心して欲しい……と彼女は口にする。
「確かに、気に入らない方もいらっしゃいますが……よくしてくださった方もいらっしゃいますわ」
 そして、まだ幼いものも……と彼女は付け加えた。
「そう言う方まで、死んで頂きたくありませんもの」
 だから、今回はおとなしくしている……という言葉は信じてもかまわないだろう。キラはそう判断した。
「わかりました。それでは、しばらくラスティの指示に従ってください。僕は……あちらとの連絡を取りますので」
 それが終わり次第、作戦を開始する。
 こういったキラに向かって、ラクスは静かに頷いて見せた。

「……狭いですわね……」
 キラの膝の上でラクスがこう呟く。
「本来、一人乗りのコクピットに、三人乗り込んでいますからね」
 あきらめてください、とラスティが彼女をなだめている。
「もっと別のものを使えればいいのですが……これをここにおいておく訳にもいきませんから」
 自分以外の人間が使えるとは思えない。だが、念には念を入れておいた方がいいだろう。そう判断したのだ。
「わかっていますわ、キラ様」
 ですから、お気になさらず、とラクスは微笑んでみせる。
 どうして、この表情が彼女の本質ではないのだろうか。そんなことすらキラは考えてしまった。もちろん、それを口にするほどバカではないが。
「フラガ隊長は?」
「多分……ラクスをアスランに渡したところで、あちらからクルーゼ隊長が出撃してくるはず。それとタイミングをあわせて出撃してくることになっているよ」
 それを、隠れているイザーク達が捕縛することになっている。もちろん、キラ達も同じように捕縛される計画になっていた。
 それであれば、キラ達の正体が地球軍にばれる可能性は低いだろう。万が一、また潜入任務が命じられても大丈夫なのではないか、という判断の元で立てた計画だとも言える。
 だから、成功してくれなければ困るのだ。
「……問題は、アスランか……」
 ラスティがぼそっと呟く。
「人が……考えないようにしていたのに……」
 それにキラは深いため息と共にこう言い返した。
「アスランが、何をしますの?」
 ラクスは、キラと再会したときのアスランを知らないからだろう。小首をかしげながらさらに言葉を重ねる。
「まじめで、与えられた義務は淡々とこなすお方ではありませんか、アスランって」
 あまりおもしろみはありませんわね……と付け加えられた言葉を、キラとラスティは聞かなかったことにした。
「ともかく、アスランだって、バカじゃない。今回の一件が失敗したらどうなるかわかっているよな」
「多分ね。これで失敗したら……次に戻れる機会を作れるかどうか……」
 それもきっと、クルーゼから説明を受けているだろう。だから、大丈夫なのではないか……とキラは心の中で呟いた。
「失敗したら……民間人も巻き込むことになるしな。そこまでバカじゃないと思うよ、俺も」
 まぁ、ミゲルが止めるだろうが。
 ラスティがこう呟く。
「そう願いたいよ」
 もっとも、アスランがミゲルの言葉をおとなしく聞いてくれれば……の話だが。キラは心の中でこう呟く。
「ともかく、発進するからね」
 しっかりと捕まっていて……と告げれば、二人は同時に頷いて見せた。

「キラ……」
 やっぱり、彼が最後に頼ってくれるのは自分なのか……とアスランは妙な意味で感動をしていた。キラのねらいが別の場所にあるなど、まったく考えてもいないらしい。
「……あれ、放っておいていいのか?」
 そんな彼を見ながら、ディアッカがミゲルに問いかけている。
「放っておくも何も……あのバカの頭を冷やして、放り出さないわけにはいかないだろうが」
 ミゲルの代わりに、イザークがこう告げた。
「だよなぁ……あれを放っておくと思いっきりまずそうだし」
 キラ達を連れ帰る任務を他の人間に与えれば与えたで、絶対ごねるに決まっているのだ。それであれば、最初からキラに押しつける方がマシだろう。そう判断されたに決まっている。
「あいつが何をしようと、キラが今更なびくはずがないしな」
 他の誰かに強要されたわけではない。
 キラ自身が自分を選んでくれたのだ。
 そう簡単に、彼が他の誰かに乗り換えるはずがない。
 ミゲルにはその確信があった。
 いや、彼だけではなく他の者達にもそれは伝わっているらしい。一度しかキラに会っていないイザーク達だって、アスランのあの様子にはあきれているのだ。
「……それがわからないのは、やっぱり、アスランの脳内に花が咲いているからでしょうか」
 お前はアスランを兄のように慕っていたのではないか。
 ニコルが漏らした言葉につっこみを入れたくなったのはミゲルだけではないだろう。
「それとも、それだけキラに魅力があるからなのかもしれねぇがな」
 ディアッカが襟元を確認しながらこう口にする。
「キラの方は、完全に過去の存在か……でなければ《オトモダチ》としか認識してないのにな」
 だが、と彼は意味ありげな笑みを口元に刻む。
「あのバカの様子を見て、ラクス嬢にあきれられそうだよな」
 そしてこう付け加えた。
「あきれられるどころか、おしおきされるんじゃないのか」
 そう言えば……とミゲルはあることを思い出してこう呟く。
「ミゲル?」
「……ラクス嬢のお気に入りなんだよ、キラは。確か、キラがまだヘリオポリスに行く前に執務室に押しかけてきたことがあるぞ、彼女」
 その時も、自分の存在は完全に無視してくれたしな、と苦笑を浮かべて見せた。
「キラがかばってくれなきゃ、追い出されていたかもしれないし」
 あのころは、二人で仕事をするのが数少ないデートのようなものだったしな……ミゲルは思い出す。それを邪魔されておもしろいとは思わなかったが、相手が相手であるが故に我慢していたのだ。そして、彼女もまた自分の存在を苦々しく思っていたのだろう。
 だが、キラに対する気持ちが本物だと伝わってきたから、お互いに妥協できたのだ。
 そのラクスが、今はキラと一緒にいる。
「さて、どうなるだろうな、あいつ」
 こう言いながらミゲルはアスランへと視線を向けた。
「アスラン! いい加減に着替えて出撃準備しないと、時間に間に合わないぞ!」
 それでは作戦が失敗してしまう。キラも帰ってこられないぞ……と付け加えれば、慌てて動き始めるアスランの姿が確認できた。

 指定したポイントにたどり着いたが、そこにイージスの姿はない。
「……早かった?」
 こちらにしても、タイミングというものがあるのだけど、とキラは眉を寄せる。
「いや、イージスはこちらに向かっているようだぞ」
 脇からモニターをのぞき込んでいたラスティがこう口にした。
「でも、約束の時間には遅れていますわよね、アスラン」
 最低ですわね、とラクスが口を挟んでくる。
「女性を待たせるなんて、男性として恥ずかしいことですわ」
 ラクスのこの言葉に、キラだけではなくラスティも苦笑を浮かべたくなってしまう。だが、それに関してはあえて口を開かない。
「どうせ、アスランのことだからさ。変な夢を見て、そのせいで遅れたに決まっているって」
 それにキラが関係しているのは言うまでもない事実だろう、と口にするラスティの判断は正しいのではないか。
「どうして、こうなんだろうね……アスラン」
 自分が彼を《幼なじみ》以上の存在にする気はないと何度も伝えているのに、とキラはため息をつく。
「僕にはミゲルがいるし……アスランにだって、ラクスという立派な婚約者がいるのにね」
 本当、何を考えているのか。
 自分の立場を考えればいいのに……とキラはため息をついてみせる。
「無理ですわ。アスランですもの」
 ラクスのこの一言がきつい、と思ったのはキラだけだろうか。
「本当。アスランと来たら、思いこんだら一直線。後はどうでもいい、というお馬鹿さんですのよ?」
 自分にくれるプレゼントも毎回バカの一つ覚えで《ハロ》だ、と彼女は笑う。気に入っているからいいものの、そうでなければあきれるだけではすまない、とも。
「……何か、一瞬だけだけど、アスランがかわいそうになってきたぞ、俺は」
「僕も……」
 いくら政治的な関係とはいえ、ここまでぼろくそに言われるアスランの立場は……とふたりは心の中で呟く。
「あら、お二方とも。私がアスランと婚約をしたのは、彼なら尻に敷いても文句を言わないと思ったからですのよ?」
 本当はニコルの方が結婚してからが楽しいと思ったのですけど、父上に止められましたの……と付け加えるラクスの言葉に、
「シーゲル様の判断は正しいな」
 とラスティは呟く。
「そうなの?」
 アスランとラクスに関しては、ある程度知識を持っている。だが、ニコルに関しては顔とザフトのマザーに書かれているデーターぐらいでしか情報がないのだ。
「……後で、ミゲルに聞いてみな」
 俺の口からは言いたくない、とラスティは笑う。それほど厄介なのか、とキラは判断する。考えてみればあのクルーゼの部下なのだ。見かけと中身が違ってもおかしくはないよな、とも思う。
「うん、そうするね」
 こう口にしたときだ。
『キラ!』
 語尾にハートマークが付きそうな声が通信機から飛び出してくる。その声を耳にして、キラとラスティは思わずため息をついてしまった。

「キラ!」
 アスランが喜々としてイージスをストライクに近づけようとした。だが、何故かストライクはビームライフルを向けてくる。
「キラ? 俺だよ?」
 どうして、ライフルを向けられなくてはいけないのか。
 アスランは本気で悩む。
『アスラン・ザラ、だな?』
 そんな彼の耳に届いたのは冷たいキラの声だ。
「キラ!」
 どうして、キラがそんな声を出すのか。この前の再会の時だって、あきれたような表情を作ったものの、拒絶するような様子は見せなかった。
 しかし、今は……とアスランが呆然としたときだ。
『ハッチを開けろ!』
 ひょっとして、中に他の誰かがいると思っているのか。
 だから、いつものように親しげな声をかけてくれないのかもしれない。
 なら、ハッチを開けて自分一人だけだと教えれば、きっとキラの態度は変わるだろう。
 キラが一番信頼してくれているのが自分。でなければ、キラが自分を呼び出すはずがないのだ。
 そう考えると、アスランは喜々としてハッチを開く。同時に、ストライクもまたハッチを開いた。
「……三人?」
 次の瞬間、アスランはコクピット内にキラとラクス以外の人影を確認してアスランは首をひねる。
『声……』
 そんな彼の耳に、キラの声がまた届く。
『はい?』
『話しかけてください。でないと、貴方だとわからないでしょう?』
 本物の、と続けるキラのセリフに、ラクスだけではなくアスランもキラが何を言いたいのかわかった。しかし、どうしてそんな手間を……とかけるのかと思う。
「キラが本物なら、後はどうでもいいのに」
 はっきり言って、キラ以外、どうでもいい……とアスランは心の中で呟く。
『聞こえていますわよ、アスラン』
 即座にラクスの反論が耳に届いた。
『本当にしょうがない方ですわね。約束の時間には遅れる。周囲の状況は読めない』
 どうして、こんな方と婚約をしなければいけないのでしょうか……とラクスはわざとらしいため息をついてみせる。
「何がおっしゃりたいのですか、ラクス・クライン」
 相手が彼女でも、黙って聞いていられない……とアスランは言い返す。
『説明しなければわかりませんの?』
 本当に朴念仁ですわね……とラクスのあきれたような声が通信から流れ出してきた。
 それに何かを言い返してやらなければ気が済まない。
 一体何と言い返せば、一番有効なのだろうか。彼は本気でそれを考え始めた。

 その会話をしっかりと聞かされていたミゲルは、本気で頭が痛くなってくる。
『まさかとは思いますけど……作戦のことを、忘れている訳じゃないですよね、アスラン』
 ニコルのため息が装甲越しに伝わってくる。
「俺に聞くな、俺に」
 ミゲルは思わずこう言い返してしまう。
「まぁ、その点はラクス嬢かラスティがうまくやってくれるだろうが……」
 キラがキレる前に……と付け加える。
 幼なじみであれば、ある程度なれているとは思うが、それでも作戦の最中なのだ。それを考えれば、十分に考えられるな、と心の中で呟く。
『そうですね。私情はともかく、作戦だけは遂行してもらわないと……』
 今後の戦局に関わるかもしれないだろう、とニコルは呟く。
 その瞬間だ。
『キラ! だから、俺は……』
『うるさいですわよ、アスラン。では、キラ様……名残惜しいですけど、私はあれと帰りますわ』
 きっぱりとラクスがこんなセリフを口にしてくれる。
『気をつけてね、ラクス』
 苦笑混じりにキラがこう言い返した。
「ニコル!」
『わかっています!』
 ラクスがアスランの元に移動する。
 それが作戦開始の合図だ。 ここで、ミラージュコロイドを展開したブリッツがストライクを捕縛する。そのままヴェサリウスへ連れて行く、というのが第一段階。
 それを阻止しようとメビウス・ゼロが出撃してくる。それを捕縛し、ガモフへ連行するのが、第二段階。
 相手の動きを見て、もし投降してこないようならば、今度はアークエンジェルを捕縛することになる。その下準備は、既にキラ達が終わらせているはずだ。
 だから、それは難しい事ではない。
 しかし、できれば彼等自身の判断で投降してもらいたいと思う。
 どれだけ気をつけても、完全に無傷で捕縛することはできないのだ。もちろん、それが最初から計画され、相手もそうなるように協力してくれれば話は別だが。
 ともかく、賽は投げられたのだ。
「……キラ……」
 もう少しで会えるだろう。
 その時には何を話そうか。
 それよりも先に、手が出るかもしれないな……と心の中で呟く。先日、一瞬だけ触れあった記憶が、飢餓感を増してくれているのだ。
「その時は、諦めて付き合ってくれよ」
 小さな笑いと共にミゲルはこう呟く。その後で何があってもかまわないとすら思えるのだ。
「な、キラ」
 言葉と共に、彼の瞳は虚空を見つめていた。

「さて……どうしようね」
 小さなため息と共にキラはこう告げる。
 どうやら、作戦は成功したらしい。それは、自分たちが今《ヴェサリウス》にいることからもわかっていた。
 だが、問題はそれではないのだ。
「俺に聞かないでくれます?」
 そんな彼に向かってラスティがこう告げる。
「っていうか……俺に、今のアスランは止められないって……」
 それ以上に《ラクス・クライン》を止められる人間がいるのだろうか。
 ラスティは言外にそう告げている。
「本気で怒っているからね、ラクス……」
 どうやったら、あそこまで怒らせることができるのだろうか。いくら考えてもキラにはわからない。というよりも、彼女があんな風に怒るのだ、と今日初めて見たかもしれない、とキラは心の中で呟く。
「別段、触られたぐらいで怒るような人じゃないよな?」
 だったら、イージスと合流する前に自分がさんざんあちらこちらに触ってしまったのではないだろうか。ラスティはそんなことを考えているらしい。
 よほど嫌いな相手ならばともかく、そうでない相手であれば、体を支えるときに手が滑ったぐらいでは何とも思わないのがラクスだ。そして、本人は気づいていないようだが、ラスティは結構ラクスに気に入られているらしい。だから、彼に関しては問題がなかったといえるだろう。
 ということは、消去法で原因は一人しか思い浮かばない。
「アスランが、さっさと作戦を遂行しなかったから……かな?」
 そのせいで、帰るのが遅れたからか……とキラは呟く。
「っていうか……キラとゆっくり話ができなかったから……とか?」
 あるいは、キラの恋人である《ミゲル》の品定めをするのが遅くなったからか……と呟かれて、キラはまたため息をついてしまった。その可能性は、十分にあり得る、と思ってしまったのだ。
「……ともかく、放っておくわけにはいかないよね」
 このままでは、本気で《紅》の威厳が失墜してしまうかもしれない。それ以上に、これからの作戦に《イージス》が使えなくなるのはまずい……とキラは判断をした。そして、重い腰を上げる。
 しかし、気が進まないのは、閉じられたハッチの中で何が起こっているかわからないからだ。
「こう言うときに、クルーゼ隊長が顔を出してくだされば一番いいのに」
 ハッチを開けながら、キラはこう呟く。
「あの人が……こう言うときに顔を出すわけないよな」
 どこかで、楽しげに状況を確認しているんだ……とラスティが呟くように口にする。
「否定すべきなんだろうけどね……」
 できるだけの材料を、自分も持っていないのだ。というよりも逆に『彼なら、やる』と言い切れる根拠なら山ほどある、と言うべきかもしれない。
「ともかく、次の作戦が終わるまでは……アスランを使える状態にしてもらわないと、ね」
 あちらに残してきた《友人》達のためにも。
 こう呟く声は、ハッチの音にかき消された。

 そのころ、イージスのハッチの中ではアスランが身動きできないままラクスの罵詈雑言を拝聴させられていた。
「本当に貴方は……ご自分のわがままのせいで、キラ様がこちらに戻れなくなるかもしれない、とはお考えにならなかったのですか?」
 だとしたら、中身のない頭なんか、さっさと入れ替えてしまえ! とラクスは付け加える。
「そもそも、キラ様達がどうしてご帰還できなかったか、と思っていらっしゃいますの?」
 アスラン達がミスをしたせいだろう、とラクスはにらみ付けてきた。
「あの艦に、どれだけの民間人の方々がいらっしゃるか、ご存じなのですか? その中に、ブルーコスモスの関係者がいない、と思っていらっしゃまいますの?」
 アスランの行動のせいで、キラがどれだけ窮地に立たされていたのかとラクスはさらに付け加える。
「……俺は別に……」
 キラに帰ってきて欲しかった丈なのだ、とアスランは言い返す。そして、話がしたかったのだと。
「キラ様のご希望も聞かれずに、ですか?」
 しかし、ラクスは追及の手をゆるめようとはしない。
「そもそも、貴方にそのような権利がございませんわ」
 キラの家族でも恋人でも上官でもないのだから、と言う言葉に、アスランは思わずむっとしてしまう。
「それは、俺があいつに気持ちを伝える前に、ミゲルが告白したからじゃないですか!」
 もし、あのまま一緒にいられたのであれば、きっとキラは自分を選んでくれたはず。アスランはそう信じていた。
「それはあり得ませんわね」
 しかし、ラクスはあっさりとアスランの言葉を切り捨てる。
「キラ様にとって、貴方はただの幼なじみで《親友》ですわ。私も同じ事。あの方に必要なのは、そのような存在ではないのですもの」
 キラに必要なのは、ありのままの自分を見てくれる存在。
 そして、適度な距離を確保してくれる相手なのだ、とラクスは口にする。
「キラ様には……何か秘密がおありなはず。ですが、貴方はそれを聞かずにはいられないのではありませんか?」
 それがキラを苦しめるかもしれない、としてもアスランは自分の欲求を通そうとするのではないか。その言葉に、アスランは何がいけないのか、と思う。
「キラのことを全て知っていたい……と思うのはいけないとでも?」
「キラ様は貴方の一部ではありません。一人の人間ですわ」
 プライベートがあって当然なのだ、とラクスは言い返す。
「それがおわかりにならないような方に、決してキラ様は預けられません。ミゲル様に関しても……これからきちんと見聞させて頂く予定ですわ」
 にっこりと微笑みながらラクスはこう告げる。
 それは言葉だけではないだろう。
 と言うことは、ミゲルの身の上にこれから何が降りかかろうとしているのか。それはアスランにもわからない。
「もちろん、貴方とキラ様の邪魔はさせて頂く所存ですけど」
 友人としての範疇ならばいい。それを逸脱しようとするのであれば許さない……と口にするラクスの瞳が冷たい。
 それを見た瞬間、アスランは思わず頷いてしまっていた。

「アスラン! ラクス……出てこない?」
 外部からキラはこう呼びかける。その背後にはラスティとミゲル、それにアデスがいた。
 何故、この場にクルーゼがいないのか……と言えば、彼はフラガとこれからのことを相談しているからだ。
「話し合わなければいけないことがあるだろう?」
 さらにこう言葉を重ねれば、いきなりハッチが開く。危なくぶつかりそうになったキラは、とっさに背後に逃れた。
 その体を、ミゲルが抱き留めてくれる。
「危ないぞ、アスラン」
 そのままミゲルがアスランにこう注意をした。
「そうですわね。いくら、私から逃げ出したいからとはいえ、あまりではありませんの?」
 さらにラクスまでがこういう。その言葉に、本当になかで何が起こっていたのだろうか、とキラは本気で考えてしまう。
「誰が誰から逃げ出したい、とおっしゃるのですか!」
 アスランが反射的にこう叫ぶ。
「それに、何でお前が当然のようにキラを抱きしめているんだ!」
 さらに彼はミゲルに向かってこう怒鳴る。
「何故って……あのままだと頭からぶつからに決まっているだろう?」
 お前が悪い、と彼は平然と言い返す。
「……そうかもしれないが!」
 だからといって……とアスランがさらに何かを口にしようとした。だが、それを言わせるわけにはいかないのではないか、とキラは判断する。
「今はそんなことを言っている場合なの?」
 冷たい口調で、キラはアスランに言葉を投げつけた。
「個人的なことを優先するような、そんな無責任な人間だった、アスランは?」
 それとも、自分にそう判断して欲しいのか、とキラは付け加える。
「キラ、俺は……」
 この一言はさすがに効いたらしい。アスランは慌ててキラに何か言い返そうとする。しかし、それをキラは無視した。
「ラクス」
 そして、まだハッチの上にいたままの彼女に声をかける。
「何でしょう、キラ様」
 ハッチを蹴ると、ラクスはふわりとキラ達の方に近づいてきた。
「アデス艦長と、部屋の方へ移動して頂けますか?」
 ここは危険だから……とキラは口にしながら微笑みかける。
「自分の身ぐらいは自分で守れますわよ?」
 そうすれば、ラクスはすぐにこう言い返してきた。
「あまり本性を知られない方が、アイドルとして動きやすいと思いますが?」
 にっこりと微笑みながらキラは彼女にこう告げる。
「それに、その方が僕としてもありがたいのですけど。お願いしたいこともありますから」
「あの方々のこと、ですわね」
 キラの言葉に、ラクスはこう聞き返してきた。
「えぇ。貴方の言葉があれば、僕だけの言葉よりも信用性が増す、と思うので」
 早急に彼等をオーブに帰してやりたいのだ、とキラは口にする。自分が巻き込んでしまったのだから、と。
「わかりましたわ。貴方がそう望まれるのでしたら、本国に連絡を取りますわね」
 ラクスは婉然と微笑むとゆっくりと移動していく。その後ろ姿を見送ってから、キラはアスランへと向き直った。
「そう言うことで、僕たちも移動しようか」
 じっくりと話し合いをしようじゃないか、とキラは冷たい視線を向ける。だが、それでもアスランは嬉しそうな表情を作っていた。


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