それからどれだけの時間が過ぎたのか。 キラが意識を取り戻したとき、真っ先に飛び込んできたのはラミアスの顔だった。 「……マリューさん?」 どうして、とキラは体を起こしながら口にする。 「寝ていなさい。まだ疲れているでしょう?」 そんなキラをラミアスが優しい手つきでシーツの上に戻す。 「そうですわ、キラ様」 頭の上の方からラクスの声も響いてきた。その位置はキラからは死角になっていて彼女の存在に気づかなかったのだろう。視線を向ければ、あの柔らかな微笑みを確認することができる。 「私たちがここにいるのは、アスランとフラガさまに頼まれたからですわ。お二人は今、先ほどの件の後始末に走り回っておられますの。その間、私たちがキラ様のお世話をさせて頂くことに決まったと言うことですわ」 キラ様もその方が安心されるかと思いまして……と言う彼女に、キラは頷いてみせる。 「ごめんね。迷惑をかけて……」 そして、小さな声でこう告げた。 「あら、迷惑だなんて思っておりませんわ。キラ様はみんなを助けるために働いてくださったのですもの。それに、私はキラ様のお世話ができるのを嬉しく思っておりますのよ」 ですからお気になさらないでくださいませ……といいながら、ラクスはキラの髪をそうっとなで始める。 「そうよ。また、あれこれあったのでしょう? だから、今はゆっくりと休んでね」 また病院に逆戻りで申し訳ないけど……と言われて、キラは小さく首を左右に振った。 「それはいいのですが……あの、僕、お願いしたいことが……」 目が覚めたら真っ先にしなければならないと思っていたことをキラは思い出す。そして、彼女たちならその願いを叶えてくれるだろうという確信もあった。 「サイ君達のこと?」 フラガから聞いていたのだろうか。ラミアスが逆に聞き返してくる。 「はい」 「それなら確認してあるわ。カガリさんの話だと皆無事にオーブにいるそうよ。心配なら、後で通信回線をつなげてあげるわ」 許可は貰ってあるから……と微笑む彼女に、キラもほっとしたようなため息をつく。 「もっとも、それはキラ様のお体の調子がよろしくなられてからですわよ。今のままではみなさまご心配なさいますもの」 その言葉に、キラも逆らえない。ラミアスも大きく頷いているところを見ると、今の自分の顔色はかなり悪いのだろう。 その上、通信先はオーブだ。 アスラン並みに過保護だと言っていいカガリが、そんな自分にお小言の一つも言わないわけはないのだ。 「本当は、少しでも早い方がいいんだけど……」 仕方がないか、とキラは目をつぶる。 「早いほうがよいとおっしゃったら……キラ様、まだお決めになっておられませんの?」 そのキラの耳に、ラクスの言葉が届く。それが何を指してのセリフか、聞き返す必要もない。 「……それも、早い方がいいのはわかっているんだけど……でも、やっぱり、怖いんだよね」 キラは小さな声で本音を語り出す。 「多分、今までと世界がまるっきり変わってしまうから……それが、ものすごく、怖い。特に、人の気持ちが……」 変わらないでいてくれるだろうけど……と吐き出したキラに、ラクスの指の力がほんの少しだけ強くなる。 「お気持ちはわかりますわ。でも……変わらないものもありますわよ。そして、新しく生まれてくるものも」 「そうね。少なくとも、私もムウも、キラ君を好きだ……という気持ちは変わらないと思うの。でも、接し方は変わってしまうわね、どうしても」 男の子と女の子の差は大きいから、と付け加えながら、ラミアスは苦笑を見せた。 「でも、根本的なところは変わらない。それだけじゃダメなのかしら?」 「……それは……」 フラガやラミアス、ラクスにカガリならかまわないか……という気持ちがキラの中にはある。と言うより、彼らが自分を好きでいてくれるのならどちらでもかまわないと。 怖いのはただ一人、アスランなのだ。 『キラがいてくれれば、それだけでいい』 彼はそう言ってくれたけれども、本当にこれからもそう言ってもらえるのだろうか。 「……問題はアスランなのですわね?」 黙り込んでしまったキラの耳に、ラクスの言葉が届く。思い切り図星を指されて、キラの方が焦ってしまったほどだ。 「本当にふがいない……はっきりと言わないから……」 ラクスの背中に何やら渦巻いているように感じられるのはキラの気のせいだろうか。 「あの……ラクス?」 何を……と呼びかけるが、今の彼女の耳には届かないらしい。どうしたらいいのかというようにラミアスへと視線を移すが、彼女は彼女で微苦笑を浮かべているだけだ。 「これは一度、ニコルも交えてきっちりとお話しをさせて頂かないとダメですわね。キラ様を不安にさせるなんて、言語道断ですわ」 表情はいつもの彼女のものなのに、どうしてこんなに怖いのだろうか。 「キラ君、大丈夫よ。少なくとも貴方に矛先が向くことだけは絶対にないから」 少しでもキラを安心させようと言うのだろうか。ラミアスがこう囁いてくる。 「……マリューさん……」 「それよりも、何か食べたいものはない? 甘いものが欲しいなら買ってくるわよ」 おつき合いすると、ちょっと体重が心配なんだけど……と彼女は雰囲気を変えるようにこういった。 「……ゼリーか何か……つるんとしたものなら食べられるんじゃないかと思うんですが……」 そんな彼女の気遣いに答えるかのようにキラは言葉を返す。 「ゼリーね。確かおいしいお店があったはず……ラクスさん、ちょっとでかけてきますが、必要なものはありますか?」 平然とラクスに声をかける彼女はすごい、とキラは妙なところで感心をしてしまう。 「そうですわね。ティーセットを持ってきてくださいます? そうすれば、みんなでお茶が飲めますし」 「わかりました。あぁ、キラ君。ノイマン君が廊下にいるわ。呼ぶ?」 「本当ですか?」 キラの表情が明るくなったのを見て、ラミアスは微笑む。そして頷くと、彼女は立ち上がった。 「……間違いなく、キラが作ったプログラムだと思いますぜ、これは……」 ため息と共にマードックがこう口にする。 「その根拠は……と聞かなくてもわかりますね。これはキラのプログラムだ」 アスランもあっさりとそれに同意をした。 「どうしてわかるのか……と聞いてかまいませんかね?」 誰もが聞きたいと思っていた疑問をフラガが口にする。 「ここでさ。プログラムのこの部分。坊主がよく使っていたプログラム言語なんです。ストライクのロックと同じ奴です」 「これはキラが自分で作ったものですから……他の言語と互換性はあるのですが、処理の仕方が独特で……かなり早く記述できるようになっていると本人は言っていました。自分の考えをこれで形にして、それから俺たちが使っている形式に直すのだとキラは言っていました……」 そのくせはまだ治っていなかったのか、とアスランは苦笑を浮かべる。 「……それって、そんなにすごいのか?」 信じられないと言うようにイザークが口を挟んできた。 「キラが使っているときは……と言う限定でいいなら、昔、連合の月本部のマザーコンピューターにハッキングしていたぞ」 7年ほど前の話だが……とアスランが付け加えた瞬間、フラガとマードックが複雑な表情を作った。 「ひょっとして、あれか?」 「だと思いますぜ」 ぼそぼそと囁いているところを見ると、彼らには思い当たる節があるらしい。 「何があったんだ?」 楽しげな口調でそんな二人に問いかけたのはクルーゼだった。 「……言わなきゃないのか?」 よほどのことだったのだろうか。フラガは本気で嫌そうな表情を作ると逆に聞き返してくる。 「是非。キラ君の才能を知る一因にはなるだろう?」 それはあくまでも建前だ、と彼以外の者は判断をした。だが、それを指摘できるものは残念ながらこの場にいない。 「……絶対、ただの好奇心だよな……」 フラガがこう呟くのが精一杯だ。 「単に、全てのモニターに『戦争なんて嫌いだ!』と表示されただけだ」 ついでに、戦闘関係の資料にアクセス不能になっていたか……とフラガは渋々といった様子で口にする。 「それって……」 「あの頃は、幼年学校の連中がみんなプラントに避難を始めていたし……俺もこちら戻ることが決まったから……」 かなり煮詰まっていたんだよな、キラ……とアスランは遠い目をした。 「キラさんって、実は」 「まぁ、気持ちはわかるけどな」 あの頃は、実際に戦争が起こるなどとは思わなかったころだし、回避のための動きもまたあったのだから、とディアッカは付け加える。 「一番の問題は、アスランと離れると言うことだったのかもしれないな」 くくっと笑いを漏らしながらクルーゼがアスランへと視線を向けた。 「さぁ。だとしたら嬉しいのですが」 そんなクルーゼの言葉をアスランは平然と受け流す。 「しかし、これがキラの作ったOSだとすると……やはりあいつに聞くしかないのか」 鎮静剤が必要だったと言う精神状態のキラに、それを問いかけて大丈夫か、とアスランは考え込む。 「……大丈夫だとは思うが……とりあえず、マリュー達が側に着いているし……キラが一番心配していたことは杞憂だったと伝えているはずだからな」 それだけでもかなり気が楽になっているはずだ、とフラガは付け加える。 「オーブにいるご友人達ですか。それはよかったですね」 「あぁ。カガリ嬢ちゃんがきちんと保護してくれるそうだから、大丈夫だとは思うが……後で顔を合わせられる機会を作ってやればもっといいかもしれないな」 本当はここに呼べれば一番楽なのだろうが、今の状況では移動中が危ないとフラガが口にした。それは他の者たちも同意をするしかない。 「そちらの方には信頼できるものを回しておこう。キラ君に関しては、アスランに一任しておく。しばらくはまた病院にいて貰うことになるだろうが」 何やら含んでいるような視線を感じたのはアスランの気のせいではないだろう。 「わかりました。病室にパソコン等を持ち込んでもかまわないわけですね?」 本来、病室にその手のものを持ち込むのは禁止されているはず、と想いながら、アスランはクルーゼに問いかけた。 「あぁ。許可は取った。キラ君にあそこにいて貰うのは、単に警備の関係だからな。今日のようなことがまた起こらないとは言いきれない。残念だが、その男をはじめとした一部のものを覗いて、ナチュラル達は信用できない、と言うしかなさそうだ」 あるいは……と付け加えようとしてやめられた言葉が何であったのか、その場にいたものには想像できた。 「本当、いやだねぇ」 フラガがわざとらしいため息をつく。 「どこまでオコサマを利用しようって言うんだか」 もっとも、させる気はないが……と付け加えられた言葉が彼の本心だろう。 「そう言う馬鹿だから、こんなマネをするのではないかな?」 「否定できないところが辛いな」 元はとは言え、あんなのが上官だったなんてな……とフラガはわざとらしく付け加える。 「さて……キラ君に任せるだけではなく我々もできることをしておかなければならないだろう。イザークにディアッカ。戻ってきたばかりの所悪いが、また、巡回に出てくれ。その途中、オーブに寄る寄らないは君たちの意思に任せよう」 クルーゼの言葉を額面通りに受け止める彼らではない。その裏に潜められているものにしっかりと気がついていた。 「了解しました」 即答を返すと、彼らは視線で何やら相談を交わしあう。直ぐに結論が出たのだろうか。クルーゼへ軽く頭を下げると彼らはそのまま部屋を出て行く。 「ニコルは中継されてきた電波の発信元を確認するように。方向だけでもわかれば捜索のしようもあるからな」 「わかりました。直ぐに記録を確認させます」 ニコルは言葉と共に立ち上がった。 「……ストライクの整備はしておいた方がいいんでしょうな」 その彼と共に腰を上げながらマードックが口にする。 「そうですね……不本意ですが、そうしておいてください」 今回の一件で、ストライクの存在がナチュラルだけではなくコーディネイターにとってもどれだけ影響を与えるものなのかわかってしまった。その存在だけですべての者の志気を高めることなど、自分たちではできないことだったのだ。 「……キラの様子を見に行きましょう。それからですね。俺たちがするべきことを考えるのは」 アスランがフラガに声をかける。 「女性陣が一緒だから、かなり落ち着いていてくれるとは思うんだが」 ともかく、落ち着かせることが重要か……とフラガも頷く。 「あぁ、悪いが、これはおいていってくれ。こちらで頼みたいことがある」 そのまま立ち上がろうとしたフラガを指さして、クルーゼが言葉を口にした。 「……私はかまいませんが……」 本人の意思は……と付け加えつつアスランはフラガへと視線を移す。 「どうせ、俺に拒否権を与えるつもりはないんだろう、お前さんは」 フラガは苦笑と共に言葉を口にする。 「当たり前だ。今現在、お前以上に連合の内部について知っているものはここにいないからな」 「俺だってそう詳しくはないんだけどねぇ」 わざとらしいため息と共にフラガはクルーゼを見つめた。 「私がその言葉を額面通りに受け止めるとは思っていないだろう?」 違うかと言われれば、フラガはその視線をふいっとそらす。 「だから、お前は苦手だって言うんだよ。誤魔化すこともできやしない」 それが彼の答えだった。 「では、私はこれで。フラガさん、終わり次第顔を出してください」 アスランの呼びかけに、 「了解ですよ」 とフラガは手を挙げてみせる。 それに微笑み返すと、アスランもまた部屋を後にしたのだった。 |