玄関をくぐると同時に、香ばしい匂いがアスランの体を包み込んだ。 「……何だ?」 一番近いのは、誰かがキッチンでお菓子を作っているときの香りだろう。しかし、キラもラクスも料理は不得手だったはず。 なら、誰が? この部屋に入れる人間はそう多くはない。 その中で、料理をしようとする人間は、と考えれば獄限られる。しかも、その限られた人間が勝手にキッチンを使おうとするとは思えない。 思い切り嫌な予感がする。 先日のあの惨状を思い出して、アスランは反射的にキッチンへと駆け込んだ。そこにはキラとラクス、そしてもう一つ小柄な後ろ姿が確認できる。 「……ロミナおばさま……」 彼の息子によく似た――いや。よく似ているのは彼の息子の方だろう――女性が、白いエプロンを身につけながら、何かを作っていた。 「お帰りなさい、アスラン君。あなたが帰ってきたと言うことは、ニコルも帰ってきているのね?」 手を止めずにロミナは言葉を口にする。 「よかったら、呼んできてもらえる? イザーク君やディアッカ君も帰ってきているようなら、一緒にお茶にしましょう?」 もう少しでケーキが出来るから……と彼女は続けた。 「はい……それは構いませんが……」 何故、彼女が、今、ここにいるのだろうか。 「アスラン! 邪魔ですわ」 何やら運ぶように指示をされたのか。お盆を持ったラクスがこう言ってくる。何か、その事実がものすごく悔しい。それでも、ここで口論しても意味がないこともわかっているから素直に脇に避けた。 「キラ君はこっちね」 こう言いながら、ロミナはキラの手にボトルを手渡している。どうやら、そこに飲み物が入っているようだ。 理由はわからないが、ここは彼女の指示通りにしておいた方がいいだろう。 「いっそのこと、中庭にテーブルを用意しますか?」 みんな帰ってきているが、とアスランはロミナに声をかける。 「あら。それは素敵ね」 そうしてくれる? と彼女は優しい声音で言葉を返してきた。 「はい」 そう伝えてきます、とアスランは頷く。そして、そのままきびすを返した。 もっとも、彼等を呼びに行く前にバイオリンをキラに返さなければいけない。 「キラ」 とりあえず、持っていたものをリビングのテーブルに置き終わったらしい彼に、アスランは呼びかけた。 「ありがとう。助かったよ」 軽くケースを持ち上げながらこう言えば、キラはほっとしたような表情を作る。そのまま真っ直ぐに歩み寄ってきた。 「大丈夫。傷一つつけていないから」 今の段階では、と心の中だけで付け加える。 しかし、状況次第によってはケースの内張を少しはがさなければいけない。それを伝えるタイミングは、自分に任されている。 確かに、それが出来るのは自分だけだろう。 だが、逆に言えばそれはとてもプレッシャーになる。 キラにしても、検査の結果が気になるのだろう。複雑な視線を向けてきた。 「わかっているよ、キラ」 出来るだけ優しい表情を作りながら、アスランは言葉を綴る。 「ちゃんと結果は説明するから」 でも、お茶をしてからね……と付け加えた。この言葉に、キラは小さく頷いてみせる。 「悪いな、キラ」 こう言いながら、アスランは彼にバイオリンを手渡す。それを大切そうに抱きしめたのを確認して、アスランは微笑む。 「と言うことで、俺はみんなを呼んでくるから」 キラはそれを部屋に置いてくればいい。そう言い残すときびすを返した。そのまま、中庭の方へと足を進める。 「アスラン。出来るだけ早くお願いしますね」 そんな彼の背中に向けて、ラクスがこう声をかけてきた。 「わかっていますよ」 本当に彼女にはかなわない。いや、身近にいる女性陣に勝てないといった方が正しいのだろうか。 そんなことを考えながら、ドアをくぐった。 |