「……タイミングがいいのか、悪いのか……」 キラはキーボードを叩きながらこう呟いてしまう。 と言っても、ありがたいと思うのは事実だ。 この場からであれば、あのプログラムをマザーに流し込むのは苦ではない。しかも、誰が行ったのか、隠蔽することも簡単であろう。ここからマザーにアクセスをする者は多いのだから。 もっとも、普段であればいくらキラでもマザーに直結はされていないとは言え、地球軍の本部にある端末に触れることなど出来るわけがない。今回はフラガの命令――なのだろうか――で、キラはこれを使って作業を行っている。そして、今日が彼らが決めた決行の日なのだ。まるで、彼がキラ達を手助けしてくれているようにすら感じられるのは気のせいだろうか。 「……まさか、ね……」 いくらキラに甘くて、コーディネイターに親近感を抱いているらしいとは言え、フラガは地球軍の少佐だ。しかも《エース》呼ばれるほどのパイロットでもある――だから、キラは彼の元にいられるのだが――そんな彼が地球軍にとって不利益になるようなことの手助けをしてくれるはずがない。 だから、偶然なのだ。 キラは自分に言い聞かせるように呟く。 「ともかく、仕事をしなきゃ……」 時間まで、怪しまれないように……と心の中で付け加える。独り言を聞かれていないとは言え、用心をするに越したことはないのだ。もしこの事がばれた場合、処分されるのは自分だけではない。他の者たちもであろう。 「僕だけなら、どうなってもいいんだけどね」 自分のミスで他の者まで巻き込むわけにはいかない……とキラは思う。 口の中だけで呟きを重ねながら、キラは作業を続けてる。だが、どうしても時間が気になって仕方がないというのが本音だ。だから、ついつい無意識に何度も時計を確認してしまうのか。 「どうしたんだ、坊主。少佐とでも約束があるのか?」 一度や二度ならともかく、頻繁に行っていれば、それが周囲の者に気がつかれないわけはない。マードックがこう声をかけてくる。 「いえ……今日中に終わるのか、とちょっと不安になって……」 キラはとっさにこう口にした。それを信じてくれたのだろうか。マードックが磊落な笑顔を向けてきた。 「大丈夫だ。他の連中はどうすることも出来なかったんだぞ」 多少時間はかかってもいいから完璧なものを作ってくれ……と彼はキラの頭に手を置いてくる。それはキラを安心させようとしてのセリフだろうが《他の連中》と言うのがコーディネイターだとするのであれば、今頃彼らはどうなったのだろうかとキラは不安になってしまう。 「だから、さっさとコーディネイターを使ってくれと言っていたんだが……」 だが、この言葉からどれはナチュラルなのだ、とキラは理解をした。内心で胸をなで下ろしながら、 「ならいいのですけど……」 と視線を伏せる。結果的に彼を騙している、と言う事実が後ろめたくなってきたのだ。だからといって、今更やめるわけにはいかない、と自分に言い聞かせる。そうすれば困るのは、間違いなく同胞達なのだ。 「んなに気にするなって」 そんなキラを安心させようとするように、マードックはキラの頭を撫でてきた。その事実がキラにさらに罪悪感を抱かせるとは思ってもいないだろう。 「邪魔したな」 と言うと、そのまま立ち去ろうとする。 その時だ。 「キラ!」 フラガの声がキラが作業をしているデッキ内に響き渡った。どこから、と思って周囲を見回せば、キャットウォークから二人を見下ろしている彼の姿が確認できる。 「どうなさったんですかい、少佐」 先に答えを返したのはマードックだった。 「坊主ならここにいますが」 この言葉に、フラガは足早に階段を下りてくる。 「そろそろ飯時だからな。どうせなら一緒に喰おうって思っただけだ」 そのくらいはかまわないだろう? といいながら、彼は二人の側まで歩み寄ってきた。 「もうそんな時間ですかい。もちろんですぜ」 フラガに笑みを返しながら、マードックは頷いてみせる。そんな彼らの様子を横目で見ながらキラは内心焦っていた。もうじき、キラがしかけたプログラムがマザーを乗っ取るはずなのだ。同時に、昼食を取るために集められる同胞達が行動を開始する手はずになっている。予定では、キラもその中にいるはずだったのだが……フラガと食事を取るのであればそれはできない。だが、逆に言えば失敗に終わっても安全だといえるのだろうか。 それとも……とキラは思う。 本当に彼はキラ達の行動に気づいていないのだろうか。それとも、知っていて……とキラの中で疑問が湧き上がってくる。 今、初めてキラは《ムウ・ラ・フラガ》という人間がわからないと思い始めていた。 自分が知っている彼は、以前は優しい隣人であり、自分たちにとってはいい兄貴分だった。 そして、今はキラの絶対的な支配者だと言っていい。 だが、今目の前でマードックと会話をしている彼はそのどれにも当てはまらないような気がしてならない。 「……少佐……」 キラが呼びかければ、フラガが視線を向けてきた。 その蒼い双眸は、全てを見通しているかのような静けさをたたえている。それが怖い、ともキラは思う。 「何。今日は無理矢理全部『食え』なんて言わねぇよ」 安心しな、とフラガは微笑みを浮かべた。 「さすがにあれを何度も見せられちゃぁな」 そして付け加えた言葉に 「って、どうかなさったんですかい?」 とマードックが問いかける。 「こいつ、無理矢理喰わせると吐くんだよ」 だからな、とフラガが顔をしかめれば、マードックもまた眉を寄せてた。 「確かに、もう少し太らせた方がいいんでしょうが……」 それじゃ逆効果だろうと呟く。その表情には、納得できたとはっきりと描かれている。同時に、キラのおびえがそのせいだと勝手に決めつけてしまったらしい。 「まぁ、食えるときに食えるだけ食ってこいって」 からからと笑いながら、彼はキラを立たせる。そして、フラガの方へと押しやった。 「許可が出たようだな。と言うわけで、行くぞ」 そんなキラの腕をフラガは掴む。そして、そのまま歩き出した。 「本当に、大丈夫なのか?」 ドームの内壁と外壁の間にある、管理用の通路。そこに身を潜めながらイザークが呟く。 「隊長がおっしゃったんだ。信じないわけにいかないだろう?」 それに答えを返したのはミゲルだ。 「そう言うことじゃなくて……そのプログラムが本当に作動するのかって言いたいんだよ、俺は」 誰が作ったかわからないが……とイザークはそんなミゲルに食ってかかる。 「誰であろうと、間違いなく同胞だ。信用しないわけにはいかないだろう?」 そんな彼にアスランはこう告げた。だが、その内心では間違いなく《キラ》だろうと確信していた。彼であれば、そのくらい可能であろうという確信があるのだ。 「そうだよな。万が一、それが失敗していたとしても、ある程度の混乱は見込める。あちらが最後の決断を下す前に、俺達が制圧をしてしまえばいいだけのことだ」 アスランの真意を知っているわけではないだろう。だが、ミゲルは彼に同意を示すように言葉を口にする。 「そうですね。ようは、地球軍に混乱が起きてくれればいいだけのことです」 プログラムが完全でなくても、それはこちらがマザーを抑えてしまえばいいだけのことだ。あれを解除するにはその後でもいいだろうとニコルが付け加えた。 「そうだな」 混乱さえ起きれば、いくらでも隙をつくことが出来る。身体的能力を考えれば、自分たちの方が有利なのは分かり切っているからな、とディアッカもまた頷いて見せた。 「大切なのは、俺達が同胞を救い出せるという事だろう?」 その前段階はどうであれ……とミゲルが結論付ければ、それ以上イザークは反論できないらしい。 こうなれば、彼はそのプライドにかけて任務を遂行するだろう。それならば、もう、彼については心配はいらない。そう判断をすると、アスランは意識を切り替える。 このコロニーのどこかにいるはずのキラ。 彼は、目の前に広がる光景をどう受け止めているのであろうか。 「……許せないな……」 幼い頃、自分たちが遊んだ公園も、今は亡き母と共に過ごした家も、既に見あたらない。あるいは存在しているのかもしれないが、自分たちの思い出は地球軍によって踏みにじられてしまった。 そして、あるいは《キラ》も……と思えばアスランははらわたが煮えくりかえるような怒りを感じてしまう。 だが、それでも辛うじて《キラ》は生きている。 ミゲルの話から推測をすれば、自分が知っている頃と基本的には変わっていないようなのだ。ならば、自分の側にいれば――例えどれだけ彼の心が傷ついていたとしても――元通りの関係を築くことは出来るだろう。いや、それ以上も……とアスランは願う。 「ともかく、ここからキラを救い出すのが先決か」 それでなければ何事も始まらない……と付け加えたときだ。 「マザーのシステムが切り替わりました!」 ハッキングを行っていた兵士が叫ぶようにしてこう告げる。 「お前ら!」 「わかっている!」 ミゲルの言葉に、その場にいた全員が身構えた。 「……キラ……今、行くからね……」 アスランもまた、自分の装備を確認する。そして、内部へ通じるドアへと視線を移した。 「……何?」 外から爆発音が響いてくる。その事実に、キラは反射的に身をすくめてしまった。自分たちの計画では、そのようなことが起こる予定ではなかったのに、どうして爆発が……と思ったのだ。 確かめないと……同時に、そんな想いがキラの中に湧き上がる。 「キラ」 その思いのまま腰を浮かしかけたキラの耳に、フラガの制止の声が届いた。 「……でも……」 何があったかを……とキラは口にする。 「無謀って言葉の意味は知っているよな?」 そんなキラに、フラガは呆れたようにため息をつく。そして、そのまま自分が立ち上がった。 「俺が見てくる。お前はここにいろ」 いいな? といいながら、フラガはそのままドアの方へと足を進めていく。 「……でも……」 それではフラガが……とキラは思う。 どんな状況にあったとしても、彼のことはやっぱり好きなのだ――それが彼が望んでいる関係かどうかは別にして――だから、彼が危険なところに行くというのに、自分だけ残るなんて……とキラは思う。 「ここにいろよ」 いいな、と強く言われてしまえば、キラにはそれ以上反論を口にすることが出来なかった。 「……わかりました……」 小さな声でキラはこう告げる。 「でも……ムウさんも気を付けてください……」 怪我をされたら悲しいから……とキラが付け加えれば、フラガの手が彼の肩を掴んだ。そして、そのまま一気にフラガの腕の中に引き寄せられる。 「ムウさん?」 一体何を……とキラが問いかけるよりも早く、フラガの唇がキラのそれを塞いでしまう。 だが、それは一瞬のことだった。 「わかっているって」 俺を誰だと思っているんだ? と言いながら、フラガは今度はキラの頭を撫でる。 「まぁ、心配されるのは悪くないな」 特にキラになら……といいながら、フラガは低い笑いを漏らした。 「いい子だから、俺以外が何を言ってもここを開けるなよ? そうしたら、ご褒美にいい物を持ってきてやるよ」 言葉と共に、フラガの唇がまたキラの頬に落ちてくる。そして、ようやく腕の中の体を解放すると彼はそのまま部屋を出て行った。その後ろ姿を見送りながら、キラは小さくため息をついた。 「……他の人たちは……予定通り動いているのかな?」 安全なところにいてくれればいいんだけど……と呟きながら、キラは首に付けられた枷に手を当てる。これはいま、効力を失っているはず。実際に確認はしていないが、そうなっているはずだという確信がキラにはあった。だから、逃げ出そうと思えば十分に可能だろう。 しかし、こんな事態までは予想していなかった。 まるでキラのプログラムが動き出すとタイミングを合わせたかのようではないか。 「……ザフト、なのかな?」 あの人なのだろうか……とキラは心の中だけで付け加える。あの日、キラが彼に告げた言葉から今日のことを推測したのだろうか、と。 だが、それを確認することは出来ない。 ここにいなければならないのだ、自分は。 フラガの負担にならないためにはそれしかないだろう。 「僕は……」 同胞だけではなく、自分を守ってくれた彼も裏切りたくないのだ……とキラは考える。 「……卑怯者だよね」 どちらにもいい顔をしたがるなんて……とキラは自嘲の笑みを浮かべた。 と言うわけで、ザフトの作戦が開始されました。再会まであと一息ですね。 |