「……いや……まだ、そいつに会ってないぞ、俺は……」
 人気のない場所で、通信端末のモニターに映った相手に向かって彼はこう告げた。
「外が騒がしいから、あるいは見つかったのかもしれないが……」
 そうだとすれば、お前の人選ミスだ……と付け加える。
『そう言ってくれるな。そこの監視システムが、我々の予想以上に厳しかっただけだ』
 それに関しては、お前が送ってきた情報が足りなかったからだ……と相手は言い返してきた。
 だが、こちらにしても言い分はある、と思う。
「……あの一件があったからな……」
 半月ほど前、この地のコーディネイターの一人が、知り合いの手引きで逃げ出そうとしたのだ。そのせいで、監視システムのバージョンが上がったのは数日前のこと。そのせいだろう、と口にすれば、
『この前のあれか』
 相手もまた小さくため息をついてみせる。
「あぁ……余計なことをしてくれたものだよ、連中も」
 こちらの予定をパーにしてくれて……と苦笑を浮かべた。
「ともかく、必要なデーターはいつもの手段で送る。会えなくても大丈夫なようにな」
『そうしてもらう方が確実か。タイムラグは否めないが』
 そのまま、彼らはさらに言葉を重ねていく。その様子を気づく者は誰もいなかった。


 使ってしまった救急キットの言い訳をどうしようか……と考えていたからだろうか。
「あちっ!」
 キラは見事に左手の指をやけどしてしまった。
「う〜〜っ」
 とっさに指をくわえながら、キラはこれで言い訳が出来ると思ってしまう。同時に、苦笑を浮かべてしまった。
 この家の主であるフラガが、そんなことを気にする相手ではなかったのだ。
 キラがここから逃げ出さない限り、多少のことは目をつぶってくれる。それこそ、勝手にあれこれ購入してこようと、物を壊そうと笑いだけですませてしまう。
 あるいは、部屋の中の物が一切なくなったとしても、キラさえいればかまわないと言い切るかもしれない。
「……でも……」
 他の者はそうは思わないだろう。
 そして、先ほどの彼を捜して地球軍の兵士達が動いている。ここに彼がいたことを気づかれてはいけない。
 そのための言い訳に、自分のやけどは使える。
 そして、多少の使用量の多さは、指を怪我したという事実でごまかせるだろう。そう判断をしながら、キラは自分の指の手当をし始めた。
 それから数分後のことだ。
 ここにも、地球軍の兵士らしき者たちがやってきた。
「あの……困ります……僕、少佐に……」
 ドアを開けた瞬間、彼らがそのまま室内に乱入しようとして来る。そんな彼らを、キラは困惑の表情を作りながら押しとどめようとした。
「すまないな。ちゃんと少佐には連絡をしておく。だから、ちょっと確認をさせてくれ」
 しかし、そんなキラの言葉を彼らが聞くはずもない。強引に――だが、室内での行動は慎重に――捜索を始める。もちろん、ゴミ箱に捨てられている救急キットの残骸も彼らの目に留まったが、キラの指を見て納得というような表情を作っていた。その事実に、キラは内心胸をなで下ろす。
「……何かあったんですか?」
 自分を見張るように立っている相手に、キラは訳がわからないという素振りで問いかけた。
「あぁ、ちょっとな。厄介なものが逃げ出して……それを捜索しているんだ」
 だから、お前さんに含むことは何もない……と付け加えたのは、間違いなくキラがフラガのお気に入りだからだろう。
「そうなんですか……大変なんですね……」
 すべての物を慎重な手つきでひっくり返している相手を見ながら、キラはこう呟く。
「何。これも仕事だ。お前さんの仕事が少佐のお世話と同じようにな」
 それに、彼は小さな笑いを漏らしながら言葉を返してくる。その言葉に、キラは少しだけ相手に親近感を抱いた。同時に、それはキラが彼らに逆わず、しかも従順だからだろう、と考えると少し悲しくなる。
 だが、今の自分にはそれを口に出すことも許されないのだ。
 そうしている間に、どうやら彼らは一通り室内をチェックし終えたらしい。
「すまなかったな。これに関して少佐に何か言われたら、本部へ確認をするようにと伝えてくれ」
 最後にこう付け加えると、彼らは部屋を出て行く。それを見送ると、キラは小さくため息をつく。
「掃除、した方がいいよね」
 微妙な位置の違いでも、後々使いにくくなるし……と付け加えながら、キラは動き始めた。
 彼らは複数で来ていたからさほど時間はかからなかったのだろう。しかし、一人で張ればそれなりに時間がかかってしまう。何よりもショックだったのは、せっかく用意しておいた食事の一部がだめになっていたことかもしれない。
 それらも含めて、処理を終え、キラはリビングに戻った。
「少佐?」
 そこに先ほどまでいなかった人物の姿を見つけて、キラは目を丸くする。同時に、出迎えに出なかったことを後悔してしまった。
「いつ、帰っていらしたんですか?」
 気がつかなくて申し訳ありません……とキラは素直に口にする。そして、そのままの表情で彼に駆け寄った。
「気にするな。ついさっきだ」
 そんなキラに向かってフラガは微笑みかけてくる。だが、キラが伸ばした指先を見て彼は眉を寄せた。
「……それよりも、どうしたんだ、それ……」
 誰かに何かをされたのか? と問いかけてくる彼に、キラは慌てて首を横に振ってみせる。
「……すみません。考え事をしていたら、つい……」
 手元がおろそかになって……とキラが口にすれば、フラガの口から盛大なため息がもれた。
「お前は……」
 本当に、と彼は口にしながらキラの体を自分の方へと引き寄せる。
「大丈夫です。すぐに治りますから」
 だから、困ることはない、とキラが口にすれば、
「いくらコーディネイターでも、痛みはあるだろうが!」
 このバカ、とフラガはキラを怒鳴りつけた。それが嬉しい、とキラは思ってしまう。
 他の人間であれば、怪我をしても気にすることはないはずだ。だが、彼は昔と同じように怒ってくれる。それは、彼がまだキラを自分と同じ《人間》として見ていてくれるからだろう。
「ったく……いくら優秀でも、これじゃ、心配で目を離せないだろうが!」
 言葉と共に、フラガはキラの指を自分の口へと引き寄せていく。
「少佐?」
 治療はしましたから……とキラは口にしようとする。だが、それよりも早く、フラガが口を開く。
「……そういや、いつから坊主は俺のことを名前で呼ばなくなったんだっけな……」
 昔は、名前で呼んでいただろう? とフラガじゃ問いかけてくる。
「……だって……」
 そういうことは禁じられているではないか、とキラは言外に主張した。
「わかっている。でもな……」
 二人だけの時は名前で呼べ……と彼は口にする。同時に、その唇がキラのそれへと近づいてくる。
「あの……ご飯……」
 出来ていますが……とキラは慌てて口にしようとした。
「それよりも、今はお前の方が喰いたいな、俺は……」
 飯はその後でいい……とフラガは囁く。同時に、キラは彼の腕に抱き上げられてしまった。
「少佐……」
 そのまま歩き出す彼に、キラは思わずこう問いかける。
「キ〜ラ?」
 違うだろう? と足先でドアを蹴飛ばしながらフラガが言い返してきた。その言葉には少しだけいらだちが感じられたのはキラの気のせいだろうか。
「……ムウさん……でも……」
 誰かに聞かれたら……とキラが付け加えようとしたときだ。その隙をつくかのようにしてフラガの唇がキラのそれに重なってくる。しかも、開いた唇の隙間から彼の舌がキラの口の中へと滑り込んできた。
「……んっ……」
 舌が絡められ、そのまま吸い上げられる。
 そう思った次の瞬間には、彼の舌がキラの上あごの裏をくすぐってくる。
「ぁっ……」
 その先に何が待っているか、キラは彼から教え込まれてきた。
 それがいいことなのか悪いことなのか、キラにはわからない。だが、出来ることなら……と思っていた相手がいたことも事実。その相手がフラガではなかったことは、キラにとって不幸なのだろうか。それすらも、今のキラにはわからない。
「……ムウさん……」
 シーツの上に下ろされた。そう思った次の瞬間にはもう、フラガの体がのしかかってきている。
「いい子にしていろよ」
 彼の指がキラの体から服をはぎ取り始めた。キラはまぶたを閉じると、それを黙って受け入れる。
「あっ……」
 露わになった肌をフラガの指がたどり始めた。それがもたらす快感に、キラは早々に逃げ込んでいく。快感におぼれれば、自分の体を征服しているのが誰なのか、考えなくてすむからだ。
「…………」
 キラの唇が、無意識のうちに誰かの名をつづる。だが、それは声にはならなかった。


「それって……かなりやばいってことじゃねぇ?」
 ミゲルの報告を聞き終わると同時に、ディアッカがこう呟く声が聞こえる。そうできるのも、この場にいるのが友人とも言える者たちだけだからだろう。
 正式な報告は既に終えられている。それに対する対策を、隊長であるクルーゼと本国の者たちが話し合っているはずだ。
「そうですね……あそこのシステムには迂闊に触れられない……と言うことですから」
 ニコルもまた何かを考え込むかのように頷く。
「さすがに、百名以上の同胞の命を危険にさらすわけにはいかないからな」
 イザークがあっさりとその答えを口にする。
「ナチュラルなど、どうなってもかまわないだろうが」
 こう付け加えたセリフは、あくまでも『彼らしい』とも言えるだろう。実際、ミゲルはあまりなセリフに苦笑すら浮かべていた。だが、アスランにしてみれば、彼の言い分も今は同意できるとまで思ってしまう。
「……その同胞達が何とかしようと水面下であがいているようだがな……」
 問題は、監視の目をかいくぐってい行動しているだけに、かなり制限されていると言うことだろうか、とミゲルが口にした。
「だが、そいつ……信用できるのか?」
 イザークがミゲルにそう聞き返している。初めてあった相手――しかも、ナチュラルにこびを売っているようにも思える相手を信用していいのか、とその言葉の裏に隠されているような気がするのは穿ちすぎというものだろうか。
「……少なくとも、あいつが好き好んで現状に甘んじているようには見えなかったな」
 イザークにミゲルがこう言い返している。
「一人のせいで全員に罰がくだされるとわかっていれば、迂闊に動けないって言うのは当然じゃないか?」
 そんな仲間達の会話を聞きながら、アスランはあることを考えていた。
 まさか、とは思う。
 だが、あの頃の状況から判断をすれば考えられないことではないだろう。いや、あるいはもっと他の要因があったのではないか、とすら思えてならない。
「アスラン?」
 この場で一言も口にしていないことを不審に思ったのだろうか。ニコルが声をかけてくる。
「……ミゲル……」
 それに直接答えを返す代わりに、アスランは彼に呼びかけた。
「何だ?」
 いきなり話題を振られたからだろうか――それとも話を中断させられたイザークを気にしてか――ミゲルがどこか警戒をするように聞き返してくる。
「お前の傷の手当てをしてくれた奴の、名前を聞いたか?」
 報告の中には一言も出てこなかったよな……と言うアスランに、ミゲルはいぶかしげ表情を作った。いや、彼だけではない。他の者たちも何事かというようにアスランを見つめてくる。
「……一応な……後で身柄を確認する関係もあるだろうと思ったし……キラ、と言っていた」
 その瞬間、アスランの中で仮説が確信に変わった。
「亜麻色の髪に菫色の瞳をした、俺と同じくらいの男、だな?」
 それでも、微かな望みにかけるかのようにアスランは口にする。彼であって欲しくないと。
「あぁ……もっとも、言動だけならニコルよりも幼いような気も……って何でそれを……」
 知っているんだ、とミゲルが聞き返してきた。
「アスラン?」
「知り合いか?」
 ここまで適合すれば認めないわけにはいかないだろう。アスランは素直に首を縦に振る。
「……俺も、本国に戻る前は……あそこに住んでいたからな……」
 こう言えば、普段は反目をしているイザークも興味を引かれないわけにはいかないらしい。驚いたように視線を向けてくる。
「ミゲルが出逢ったのが俺の知っている《キラ》なら、信用できる」
 少なくとも、自分は信じる、とアスランは言い切った。でなければ、他に誰を信じればいいのかわからないとも付け加える。
「俺も信じてかまわないと思うぞ」
 実際に顔を合わせたからだろうか。ミゲルもまたアスランに同意をして見せた。
「だけどなぁ……連中が事を起こすにしても、その日時がわからなければフォローのしようがねぇんじゃねぇ?」
 違うか、とディアッカが主張をする。それは他の者にしても同じだ。
「……一体どうすればいいんだ……」
 アスランが思わず呟きを漏らす。
「それに関してだが……」
 不意に、彼らの上に声が降ってきた。
「隊長!」
「いらしたのですか!」
 相手の姿を認めた瞬間、誰もが慌てて居住まいを正した。それをクルーゼは微かな笑みと共にかまわないと告げてくる。その事実に、アスラン達はほっと胸をなで下ろした。
「あの地で何かが起こり次第、こちらにも連絡が入ることになっている。と言うより、だいたいの日時の目星はついているそうだ。我々としても、あの日から今まで手をこまねいていたわけではないのだよ」
 言外に、既にあの地にザフトの者が潜入しているのだ、とクルーゼは告げる。その瞬間、ミゲルがさりげなく視線をそらしたのがアスラン達にもわかった。と言うことは、彼はその事実を事前に知っていた、と言うことであろう。あるいは、その人物に会うために彼は侵入したのかもしれない、それができなかった代わりに、キラと出会ったのだろうか。
「お前達は、いつでも動けるようにしておけ」
 だが、クルーゼはそれについて言及する代わりに、アスラン達に向かってこう命じた。
「はっ!」
 それに、アスラン達は即座に頷き返す。
 同時にアスランは心の中で『もうじき会えるよ』と記憶の中のキラに呼びかけていた。


 だが、事態はすぐには動き出さない。
 アスラン達はじりじりとした思いで待機を続けていた。



アスランがやっと出てきました。しかし、これ……今読むと赤面ものです(T_T)