しかし、事態はキラの予想に反して急速に動き出す。


「……遅くなるんですね。わかりました……いえ、待っています」
 モニターに映し出されているフラガに向かってキラは微笑みかける。
『無理しなくていいぞ。何時になるかわからないんだからな』
「だって……それが、僕の役目でしょう?」
 キラがこう言えば、フラガはほんの少しだけ寂しそうな表情を作った。だが、すぐにそれは消える。
『本当に、お前は可愛いよな。わかった、できるだけ早く帰ってやるよ』
 だから待っていろ……と告げると、フラガは通話を終わらせた。彼の姿が消えたモニターを見つめながら、キラは小さくため息をつく。
「せっかく作ったご飯が冷めちゃうね」
 そして、その場から離れながらこう呟いた。
「でも……作業をする時間ができた、と思えばいいのか」
 料理は温め直せばいいんだし……と口にしながら、キラはそのまま窓際のディスクへと歩み寄る。そこには、キラ用に……とフラガが与えてくれたパソコンがある。キラは手を伸ばすと、スイッチを入れた。
「……これさえ完成すれば……」
 全ては終わるはずだ……とキラは呟く。その間にも、キラの指はキーボードを叩き、作りかけのプログラムを呼び出す。
「みんな、自由になれるんだ」
 もっとも、これがフラガ達を裏切る行為だ、と言うことはキラにもわかっている。
「でも、このままじゃだめなんだ」
 このままでは、二つの種族の間の溝は大きくなってしまう。いや、それだけではない。目に見えない憎しみは、既にこの地の《コーディネイター》達の中に降り積もり続けているのだ。それがあふれる前に何とかしなければならない。第一、自分たちは《道具》なんかではないのだ、とキラは思っていた。だから、一度、全てをリセットし、それから新しい関係を築き直さなければならないだろうと。
「僕が、少佐を好きだ、と言うことは事実だから……」
 こう呟いた瞬間、キラの心の中に翡翠色の面影が浮かび上がる。だが、キラはそれを無理矢理かき消した。それは、もう手が届かないはずのものだから、いつまでも未練がましく抱えているわけにはいかない。自分にそう言い聞かせても、どうしてもそれを消すことが出来なかった。それでも無理矢理意識を変えるように言葉を口にする。
「ナチュラルがみんな……少佐みたいだったらよかったのに……」
 そうであれば、そもそもこんな状況にならなかったのではないか。
「好きだけど……でも……」
 できることなら……と思うこともある。だが、それもこれも、今更、口にしても仕方がないことだ、とキラは考えてしまう。
 その間にも、キラの指は次々とキーを打ち込み、プログラムを構築していく。
 それは、あと一息というところまでできあがっていた。後は、皆との約束の日までに完璧にするだけだ。
「……ナチュラルに対する憎しみを、これ以上深めないためには、早く何とかしないといけないんだ……」
 そして、再びあの日々のようにお互いが仲良く暮らせるようになって欲しい……とキラは呟く。
「他の人もそう思ってくれればいいけど……」
 言葉と共に、キラがため息を吐き出したときだ。
 かたんっと何かを倒すような音がキラの耳に届く。反射的に、キラはプログラムをシャットダウンした。
「……何……?……」
 ひょっとして、考え事に夢中になってしまって、誰かが入ってきたことに気づかなかったのだろうか。それだけならまだしも、今自分が作っているプログラムを見られたかもしれないと、キラは焦る。
 見られただけでプログラムの内容がばれるとは思わないが、それでも安全を考えれば不安要素は少ないに越したことはないのだ。
「少佐? 予定が変わられたのですか?」
 それとも、気のせいだったのだろうか。そう思いながらキラは言葉を口に出す。
「少佐?」
 しかし、間違いなく物音がしたし、フラガが急に予定を変えることもよくあることだ……とキラは思う。立ち上がると、音がしたと思われる方へと向かった。近づいていけば、軍人ではないキラにも『誰かいる』とわかる。
「……どなたです?」
 固い声でキラはこう問いかけた。もちろん、警戒を怠らない。だが、すぐにある可能性にキラは気づく。
「ひょっとして……コーディネイターの方、ですか?」
 先ほどの兵士達は間違いなく《誰か》を探していた。そして、それはコーディネイターだろう。あるいは、自分のように《個人》に預けられているコーディネイターが逃げ出したのだろうか、と。全員にペナルティが与えられないのは、相手の方に後ろめたいことがあるからなのかもしれない。
 こんな事を考えながらキラは慎重にドアを開けた。
 次の瞬間、彼の動きが止まる。
 そこにいたのは、間違いなくコーディネイターだろう。だが、キラが想像していた存在とは違う。
「……貴方は……」
 ザフトなのか……と言う言葉を、キラは辛うじて飲み込む。
「怪我をされているのですか?」
 その代わりに、キラはこう問いかける。彼の服を染めている緋色の方がキラには気にかかったのだ。
「……お前……」
 キラのこの言葉に、相手がようやく顔を上げる。しかし、その端正とも言える顔は痛みのためか歪んでいた。
「声を出さないでください。ここに盗聴器や監視カメラはありませんが……誰かに気づかれるかわかりませんから」
 キラはこう言いながら彼に向かって微笑んで見せる。
「今、手当をしますから……楽な姿勢をして待っていてください」
 本来であれば、誰かに通報をしなければならないのはわかっていた。だが、ザフトであろうとなかろうと、相手は《同胞》だ。そして、彼は自分たちとは違い、自由に羽ばたける翼を持っている。それを奪うことはしたくない……とキラは判断をした。それがなくても、キラは自分の目の前で傷ついている相手を見捨てたりは出来ないのだが……
「お前……」
 さっきとは違った意味で、相手が言葉を口にする。
「誰であろうと、自分の目の前で死なれるのはいやだ……と言うことですよ」
 キラは淡い微笑みを浮かべると、救急セットを取るために動き始めた。


「……お前、コーディネイターだよな?」
 彼――ミゲルがキラに手当をされながらこう問いかけてくる。
「……ええ……」
 隠しても仕方がないことだ。そう思って、キラは素直に首を縦に振ってみせる。
「何で、ここで大人しくしている?」
 これもある意味、予想していた質問だと言っていい。間違いなく、彼らにとって見れば一番聞きたいことだろうと。
「……自分一人であれば、確かに逃げるなりなんなり出来るかもしれませんが……そのせいで他の人たちにまで被害を及ぼすわけにはいきませんから……」
 これがある限り……とキラは首に付けられたモノへと触れる。それは、ある意味癖になりつつある仕草だ。
「僕は……まだ個人所属のコーディネイターですから、日常の監視は緩いですけど……そうでない人たちは常に監視されていますし……」
 軍人や、それに関わる人間のほとんどがコーディネイターをただの《道具》としてしか見ていないのだ……と言う言葉をキラは飲み込む。
「……個人所有?」
 ミゲルはミゲルで、キラの言葉に引っかかるものを感じたのだろう。こう問いかけてきた。それに、キラは苦笑だけを返す。
「……ともかく、ここの人はそう言うわけで何も出来ないんです」
 お互いがお互いの枷として存在している状況なのだ……とキラはミゲルに告げた。
「つまり……それを何とかすればいい、と言うことなのか?」
 ミゲルが何かを考え込むかのように呟く。あるいは、彼が危険を冒してまでここに潜入してきたのは、それが目的なのだろうか……とキラは思う。
「……そのプログラムは……ここの管理システムのOSに組み込まれています……」
 だから、迂闊に触れることは出来ないのだ……とキラは独り言のように呟いた。少しでも、彼に情報を渡しておいたほうが良さそうだ……と判断したのだ。
「お前……」
 そんなキラに、ミゲルが驚いたように声をかけてくる。
「怪我の方は、僕ではこれ以上の治療は無理ですね……早く、専門家に見せた方がいいと思いますよ」
 だから、早くこの地から逃げ出せ……とキラは彼に告げた。そうすれば、現状を報告できるだろうと。
「本当は……自分たちで何とかするつもりだったのですけどね」
 さらにこう付け加えたのは、自分たちもそれなりに動いているのだ、と彼に知って欲しかったからなのか。それとも、その方が彼がここから立ち去りやすいと思ったからなのか、キラ自身にもわからない。気がついたら、するりっと口をついて出てしまったのだ。
「……お前……」
 だが、ミゲルはキラの呟きを別の意味に受け止めたらしい。痛みとは違った意味で眉を寄せながら言葉を口にする。
「どうして『一緒に連れて行け』と言わないんだ?」
 そのくらいであれば、何とでも出来るぞ、とかれは付け加えた。
「……そうすれば、他の人たちに迷惑がかかりますし……それに、僕のように個人所有の者は自由と引き替えに、ここに位置確認用の端末が付けられているんです」
 この場から許可を得ずに移動しようとすれば、厄介な事態に陥るのだ……とキラは自嘲の笑みと共に告げる。だから、そのような者が万が一逃げ出そうとしても、ここからは逃げ出すことが出来ないし、即座に見つかってしまうのだと。しかも、誰かがそんな素振りを見せただけで、システムも強固なものへとなっていくのだとも付け加えた。
「……まじかよ……」
 さすがにそこまでとは思っていなかったのだろう。ミゲルが頭を抱えた。
「だから……僕はここにいなければならないんです……それに、僕を引き取ってくれた人は……昔からの顔見知りでなので……かなりましな生活をさせて貰っていますから」
 だから心配はいらないのだ、とキラは彼を安心させるように告げる。
「……わかった……」
 やがて、ミゲルが何かを吹っ切ったかのように口を開き始めた。
「ここで俺が無理強いをしない方がいい……と言うことだな?」
 下手にキラを連れ出せば、他の者を助け出す可能性が下がるのか、と彼は無理矢理自分を納得させるように呟く。
 そんな二人の耳に、外からのざわめきが伝わってきた。あるいは、彼の姿が見つからず、個人個人の家の中まで確認しようとしているのかもしれない。
「……世話になったな……」
 この状況で、ミゲルの姿が地球軍の者たちに見つかるのはまずい、などという所ではないだろう。そう判断したのか、彼は立ち上がった。
「必ず、俺達がお前らを解放してやるから……」
 だから、待っていろ……と告げると、ミゲルはそのまま窓の方へと向かう。そして、周囲の様子をうかがっている。
 やがて、どうやら無事に逃げ出せると判断したのだろう。ミゲルはそのまま窓の外へを身を躍らせた。
 その姿は、すぐにキラの視界から消える。
 だが、キラはすぐに動くことは出来なかった。
「……僕たちのことはいいから……無事に逃げ出してくれればいいんだけど……」
 しばらく経ってから、キラはこう呟きながら手を伸ばすと窓を閉める。そして、何事もなかったかのように見せるために部屋の中を整理し始めた。




ミゲル登場……わけもなくミゲルが出てくるのはこのころからでしょうか(^_^;