月面――コペルニクスシティ。
 かつてはナチュラルとコーディネイターが共に暮らしていたこのドームシティは、そのあちらこちらに植えられていた《桜》でも有名だった。
 人口の中の自然。
 それを求めて、花の時期は宇宙に暮らす多くの者たちがこの地を訪れていた。
 ナチュラルであったり、コーディネイターであった旅人達。
 彼らがもたらすざわめきが、この地にさらに活気を与えてくれる。
 同時に、誰もが認識を新たにするのだ。
 まだ大丈夫だ、と。
 危険な綱渡りのような平和とはいえ、まだ続いていくだろう。
 自分たちは共に過ごすことができる。
 二つの種族の間に戦争なんて起こらない。自分たちはいつまでもこの綱を落ちることなく進んでいけるのだと。
 だが、それは幻想だったのか。
 それとも《平和》だけを見つめていたが故に気づかなかっただけなのか。
 ある日いきなり、世界は一変してしまう。
 何の前触れもなく地球軍が牙を剥いてきた。
 彼らの目的はこのコロニーを手に納め、地球軍の施設とすること。そして、現在ここに住んでいるコーディネイター達の人権を取り上げ、自分たちの道具とすることだった。
 コーディネイターは人為的に作られたもの。
 だから、自分たちの道具なのだ。
 それが彼らの主張。
 逃げ出すことができなかったコーディネイター達に残された選択肢は二つ。そんな彼らの道具として生きるか、それとも、彼らの手に落ちる前に自分の命を絶つか、だけだった。
 後者を選べたものはまだましだったかもしれない。
 掴まり、地球軍の者たちの前に引き出された者たちの多くが、その矜持を取り上げられた。
 もちろん、素直に受け入れられたものなどいない。
 だが、逆らう者たちはどれだけ幼いものでも、情け容赦なく殺されていった。
 目の前で繰り広げられていった惨劇が、残りのコーディネイター達から次第に《抵抗》の二文字を奪い去っていく。
 その代わりに彼らの心に広がっていったものは《諦め》


 そして、月は、彼らにとっての《牢獄》となった……


 いきなり、それが少しだけ反応を見せた。
 その事実に、キラは小さなため息と共に自分の首筋へと手をやる。そこには、一見すると何かのアクセサリーとも取れる細い首輪が嵌められていた。だが、それはアクセサリーなどではない。これは、キラが《コーディネイター》である印。これがある以上、キラはただの《道具》でしかないのだ。
 それでも、自分はまだましなのだ、とキラは思う。
 《個人》の《所有物》であるキラは、必要があれば外出もできるし、《主》の家の中では自由に過ごすことができる。そして、彼の家まで来る相手は、キラが《コーディネイター》だからといって不当な扱いをすることはないのだ。
 それは、あるいは彼らがこうなる前からの顔見知りだからかもしれない。
 自分を所有している相手――フラガは、キラにとって兄とも叔父とも言える存在だった。だから、彼は自分を守るために手元に置いてくれたのかもしれない、とキラは考えている。
 しかし、それとキラの希望が全て通るかというと全く別問題だろう。
 実際、キラが一番拒みたいと思っている行為に関しての拒否権は彼の手の中にはないのだ。彼がそんなことを考えていたなんて微塵も考えたことはなかったし……と。自分がそうなるとすれば、別の相手……を望んでいたのは事実だった。しかし、現実として、彼はそれをキラに強要してくる。そして、今のキラはそれを受け入れるしかないのだ。
「……それに関しても、もう、慣れたけどね……」
 諦めた、と言う方が正しいのだろうか。どちらにしても、ここに縛り付けられている以上、仕方がないことだ……とキラは自分に言い聞かせる。
「それよりも、たばこ……」
 早く買って帰らないと、あの人が帰ってきてしまう……と口にしながら、キラはいつもの自動販売機へと急ぐ。
 あと一息でそれに辿り着く、とキラが思ったときだ。
「何で、コーディネイターがこんな所をうろついていやがるんだ!」
 どこからか逃げ出してきたのか……と言う言葉と共に強引に腕を掴まれる。そのまま相手はキラの体を壁に押しつけた。
「……あ、あの……」
 たばこを買うように言われていたのだ……とキラは口にしようとする。しかし、きつく襟首を掴まれているせいでそれができない。
 いや、声を出すことだけではなく、呼吸をすることも難しいのではないか。
 キラが息苦しさを覚えたときだ。
「ちょっと待て」
 別の声がキラの耳に届く。
「……こいつ、確かフラガ少佐のところの奴だぜ? 少佐に何かを言われて出てきたんじゃないのか?」
 ならば、自分たちが文句を言うべきことではない……とその兵士が口にする。
「本当か?」
 だとしたら、まずいぞ……とキラを掴んだまま、聞き返す。この言葉に、後から口を挟んできた方の兵士がしげしげとキラの顔を覗き込んできた。
「間違いない。マードック軍曹のところで何度も見かけている」
 彼らのお気に入りの奴だ……と彼が付け加える。
「ちっ!」
 紛らわしい……といいながら、ようやく兵士はキラの襟首を離した。
「さっさと帰れ!」
 そして、自分のミスを誤魔化そうというのか――それとも別の理由からなのか――キラに向かってこう怒鳴ってくる。その事実に、キラはむっとした。だが、それを態度に表すことはできない。
「悪いな……」
 もう一人の方はそれほどコーディネイターに偏見を持っていないのか。柔らかな口調で言葉をかけてくる。
「ちょっと騒動があったんでな。他の連中にも声はかけておくが……少佐の用事が終わったのなら、できるだけ早く戻れ」
 そして、早口でこう告げると、そのままキラから離れていく。
「……一体何が……」
 あったのか、とキラは思う。
 彼らの言動から判断して、それに《コーディネイター》が関わっているらしいとだけは間違いないだろう。しかし、それにしては反応がない。いや、全くなかったわけではないが、いつものようなことにはなっていない……と心の中で呟きながら、キラは首筋に触れる。
「あの程度の反応って言うことは……また誰かが脱走をしたって言う事じゃないんだろうな。ただ、僕たちの居場所だけは確定したがっているようだけど……」
 では、ザフトが……と考えかけて、キラはやめる。
 そうだとしても、どうすることもできないのだ。
「……ともかく、たばこを買って帰ろう……」
 今、最優先をするべきことはこれだ……とキラは自分に言い聞かせながら歩き出した。




と言うわけで、アンソロの再録です。引っ越しまでに終わるかなぁ(^_^;