とはいうものの、実際に女性用の衣服を目の当たりにすると複雑なものがある。
「サイズは合っていると思うが?」
 小さくため息をつくニコルに向かってオロールがこう言ってきた。
「わかっています」
 言葉と共に、ニコルは今着ている服を脱いでいく。そして、その代わりに手渡された服に袖を通した。
「キラさん?」
 だが、キラはいつまでも今身にまとっている服を脱ごうとはしない。そう言えば、シャワーを使うときも人目を気にしていた、とニコルは思う。
「どうかなさいましたか?」
「恥ずかしがるなって。男同士だろう?」
 からかうような口調でオロールが声をかける。
 それでも、時間がないのだ。
 ここでぐずぐずしている暇はない、と言う思いが言葉に表れてしまう。
「……ごめんなさい……多分、あまり見ていて気持ちいいものじゃないから……」
 それを的確に受け止めたらしいキラが、何かを決意した、と言うような表情でこう告げてくる。そして、そのまま自分が身にまとっていたシャツのボタンを外していく。しかし、それに比例するかのように彼の顔には苦渋の色が色濃くなっていった。
 それはどうしてなのだろうか。
 ニコル達のその疑問はあっさりと解決する。
「……っ!」
 思わず上げそうになった声を、ニコルは必死に飲み込んだ。それは彼だけではなく、ある意味視線をくぐり抜けてきたオロール達も同じだった。
 キラの白い肌に、縦横に傷が走っている。
 それはどう見ても、誰かが故意に――しかも楽しんで――つけたのではないか、と思われるものだった。服で隠れる場所だけと言うことに、さらに悪意を感じられる。
「……できれば見せたくなかったんですけど……」
 すみません……とキラは呟く。
「いえ……気になさらないでください」
 辛いのは自分たちではなくキラの方だ。そして、そんな彼の傷をえぐるようなマネをしてしまった自分の浅慮に、ニコルは吐き気すら覚えてしまう。
「時間がなかったとは言え、申し訳ないことを……」
「……無事に隊に戻ったら、それが何とかなるようにドクターに相談してやるから……」
 ニコル達は口々にキラに向かってこんなセリフを投げかける。もちろん、それが彼にとって慰めにならないだろうとはわかっていた。それでも、自分たちが彼にして上げられることがないか、と本気で思ってしまったのだ。
「ありがとうございます」
 だが、キラはこう言って微笑んでみせる。
 どうして、彼はここで微笑むことができるのか。そんなことすら思ってしまう。
 それ以上何も言わずに、キラは手早く服を身につけた。だが、その大きく開いた襟ぐりからはどうしても傷の一部が見えてしまう。キラ自身にとってそれは好ましいものではないだろう。同時に、目印を付けて歩いているようなものではないのだろうか、とニコルは思った。
「……スカーフか何か、用意してくれました?」
 ならば、隠せばいい。それもファッションの一部と見えるような方法で、と判断をすると、ニコルはこう問いかける。
「あ、あぁ……こんなのでいいのか?」
 その声で我に返ったのだろうか。慌てて頷くと、ぎくしゃくとした動きで何枚かのスカーフを差し出してくる。その中からキラが身にまとっているワンピースに合いそうな色のものを取り上げると、ニコルは彼に歩み寄った。
「ニコルさん?」
「そのままだと、よくよく見ればキラさんが男性だとわかってしまいますから」
 首を隠しましょうといいながら、ニコルは手慣れた様子でキラの首筋をスカーフで包み込む。そうすれば、当然のように傷も隠れてしまった。
「後は、ウィッグとカラーコンタクトですね。キラさん、大丈夫ですか?」
 自分でつけられます? と問いかければ、キラは微かに首をかしげてみせる。
「多分……」
 自信はないが、使い方は知っている、とキラは口にした。
「じゃ、これを。多分、これでお前さんの特徴的な瞳の色がごまかせるはずだ」
 個人的には気に入っているんだがな、と付け加えながら、オロールがキラにそれを手渡す。受け取るために手を差し出しながら、キラがふっと視線を遠くへ向ける。
「なんか悪いことを言ったか?」
 先ほどのことがあったからだろうか。オロールが不安を押し隠しながら声をかけた。
「いえ……昔、そう言ってくれた友人がいたので……」
 それを思い出しただけだ、とキラは微笑む。
「そうか……しかしもったいないな、それを隠すのは」
 くしゃっとキラの髪を撫でると、オロールは彼から離れていく。
 そんな彼に穏やかとも言える穂微笑みを向けると、キラはコンタクトを取り出した。そして、慎重な手つきで片方ずつそれを嵌めていく。そうすれば、予想以上に彼の印象が変わった。
 似合わないわけはない。オロールではないが、あの印象的な菫色の瞳がかくされてしまったことを残念に思っている自分がいることにニコルは気づく。
「ウィッグを着ける前に軽くメイクをしておいた方がいいですね」
 その事実をいったん脳裏から押し出すためにニコルはこう口にした。
「母のお遊びに付き合わされた経験が、こんなところで生きるなんて……」
 女顔に生まれたことを恨みたくなりますね……とことさら明るい口調を作りながらニコルは言葉を口にする。
「それは……僕も一緒です……」
 よく母親に女装させられたのだ、とキラも言葉を返してきた。
「あぁ、やっぱり……母親って、どこでも同じなのでしょうかね」
 息子だとわかっているでしょうに……と言いながら、ニコルは用意されたメイク道具をテーブルの上に広げる。それは、ほとんど最低限のものだったが、だからといって気が楽になるわけではない。
「キラさん、ご自分でされますか? それとも、僕がしますか?」
「……ニコルさんが?」
「不本意ですが、結構最近までおもちゃにされていましたので……」
 それに、一応軍でも教えられたし、と言いながらニコルはため息をつく。
「……自分で……」
 これだけなら使い方もわかるから、とキラもため息をついて見せた。どうやら、彼もある意味同じ状況だったらしい。
「わかりました」
 じゃ、さっさと終わらせてしまいましょう、とニコルは苦笑混じりに口にした。
「そうですね」
 キラはそう言うと共にファンデーションに手を伸ばす。
「がんばって、美人になれよ」
 無責任な大人達の声をBGMにしながら、彼らは最後の仕上げをし始めたのだった。



今回のキラはかなり不幸かもしれない……最後には幸せにします、意地でも。