このままでは、キラにはどうするべきなのか決めることができないのではないか。ニコルはそう判断をする。
「抜け駆けだろうとなんだろうと、キラさんさえ納得してくださればいいわけですから」
 搦め手を使うか……と呟く。でなければ、自分たちの間でキラが苦しむだけだろうとも。
「この場合は……母上にも協力していただくのが一番ですよね」
 にっこりとニコルは無邪気な笑みを浮かべる。
 そして、その表情のまま彼は、本国の、自分の自宅へと回線を開くよう、オペレーターへ命じたのだった。

「……あ、の……」
 ニコルにちょっとと呼び出されて付いてはきたものの、キラには今自分がどのような状況に置かれているのか、今ひとつ理解することができなかった。
『だからね。遠慮しないで家に来てくれると嬉しいの。ニコルはほとんど宇宙に出ているし……二人だけだと寂しいのよ』
 ニコルによく似た容貌の女性が、モニターの向こうで微笑んでいる。
 それが、彼の母親だ、と言うことはなんとかキラにも理解できた。だが、彼女の口からどうして『歓迎する』だの『お嫁にくる気持ちで』などという言葉が飛び出しているのだろうか、と首をかしげてしまうのだ。
 好きな色や食べ物の話だったのだ、最初は。
 気がついたらいつの間にか彼女の中では『キラ』が『家に来る』ことは決定事項になっているらしい。
「ですから……その……」
『それにね。我が家の知り合いの病院が直ぐ近くにあるの。そこなら、キラ君の治療も安心してお任せできるし、私もお世話をしやすいわ』
 しかも、キラがそれに関して口を挟もうとすれば、柔らかな態度で遮られてしまう。
「……僕は、あの……」
 どう言えばいいのだろうか、とキラは本気で思ってしまう。
「ご迷惑をおかけしてしまいますし……」
 他の人たちはそれぞれ自活をするらしい。もちろん、最初のうちはそれなりの援助が与えられるらしいが。だから、自分もそうするつもりだったのだ、とキラは思っていた。そうすれば、誰の迷惑にもならないだろうと。
 それでもなんとかキラは自分の気持ちを正直に口にした。
『それでは、ニコルが安心できないって言うの。だから、本当に気にしないでね』
 だが、それでも彼女はこう言って微笑むだけだ。
『それに……入院している間はお仕事もできないのでしょう?』
 さらに付け加えられた言葉はもっともなものだと言っていい。だけれども、本当にいいのか、と思うのもまた事実なのだ。
「キラさん。母もこう言っておりますし……僕もそうしていただければ本当に嬉しいです」
 目の前の女性と同じ微笑みを浮かべながらニコルがこう言ってくる。
「でも、ニコルさん……」
「どうかなさいましたか?」
「……アスランが……」
 自分の所にいればいい、と言われたのだ、彼に。どうせ、自分だけしか使っていない部屋だし、普段は誰もいないのだから、自由にしてくれていい、と。
 キラ自身、誰にも迷惑をかけずに過ごせるなら、それでもいいのでは、と思い始めていたこともまた事実だ。
「でも、それでは僕が不安で任務に支障が出てしまうかもしれませんね」
 だが、ニコルにこう言われてしまっては悩むしかない。
 そんなことで、彼に万が一のことがあっては悲しいだけではすまない、とも思うのだ。
「……ニコルさん……」
 助けを求めようにも、この場にいる二人はキラを自宅へ招こうとしている当人達だし、こういう時に限ってアスラン達は勤務で戻ってくる気配を見せない。
「そう言うわけで、僕のために家へ来てくださるとありがたいです。イザークやディアッカだって、そう言う気持ちで自分の家へ来いとおっしゃっているわけですから。多分、僕たちの誰かの所へ行けば、彼らだって安心すると思いますよ」
 アスランだって、キラさんがお一人で過ごされるのをいいとは思っていないはずですし……とニコルはさらに笑みを深めながら言葉を口にした。
「……そう、なんだろうけど……でも……」
 自分のことで誰かの手を煩わせるのは申し訳ない、とキラは思う。自分一人でも大丈夫だから、と。
『最初のうち……体の方の治療が終わるまでならかまわないでしょう? その後のことはその時に考えればいいわ』
 ね、と微笑みながらも、彼女の背中には妙なプレッシャーがある。そして、隣にいるニコルからも同じものが感じられる。
 キラが陥落するまで、あと一息なのではないか。
 自分でもそう思ってしまうキラだった。

 アスラン達の勤務が終わった――あるいは休憩に入った――と思われる時間のことだ。
「キラ!」
 彼の名を呼ぶ声と共に三人の姿がまっすぐにキラへと向かってくる。
「……みんな……お仕事、終わったの?」
 そんな彼らの勢いに、キラは思わず腰を引きかけながらこう問いかけた。
「それよりも、キラ! ニコルの家にお世話になることに決めた、って本当なの?」
「昨日はそんなこと言っていなかっただろう!」
「……一体いつの間に……」
 周囲を囲まれ、頭の上から声が降ってくる。それにキラは恐怖すら感じてしまった。思わず身をすくめれば、三人とも慌てたように手近ないすに腰を下ろす。もっとも、キラを逃さないように、とその周囲を固めているのは事実だったが。
「キラ。怒らないから教えて? いつ、そんなことを決めたの?」
 にっこりと微笑んでいるはずなのに、どうしたことかアスランの周囲の気温が下がっているような気がしてならない。
「……だって……おばさまが……」
 アスランを本気で怒らせてはいけない。それはある意味キラの中で確固たる思いだった。だから、なんとか彼を説得しなければならない、と思って言葉を口にし始める。だが、周囲の空気に、それは直ぐに飲み込まれてしまう。
「おばさま……というのは、ニコルの母上のことか?」
 イザークの問いかけに、キラは首を縦に振って見せた。
「さっき、通信で……待ってるからって……」
 言われて、断り切れなかったのだ……とキラは半ば泣きそうになって口にした。
「二人ががりで説得をされて、断り切れなかったって言うわけだ」
 状況が推測できたのだろう。アスランがため息と共に言葉を吐き出す。
「ニコルの性格は父上ではなく母上に似た、と言うところか」
「二人ががりじゃキラが断れるわけはないのか」
 イザークとディアッカもそれぞれが納得したというように頷いている。
「まぁ、おばさまなら大丈夫だろう」
 ちゃんとキラの面倒を見てくれるだろうと、アスランがため息をつく。
「だが、それと今回の件を認めるかというのとはまた別の問題だよな」
 抜け駆けは許せない、とディアッカが口にした。
「そう言う手段を使うなら、俺だって家にちゃんと連絡をいれてだな、キラに納得して貰ったって」
「確かにな」
 全く、抜け目がないというかなんというか……とイザークも相づちを打つ。
「仕方がないでしょう? 母がどうしてもキラさんに来ていただきたいと言っていたのですから」
 ですから、本人に説得の機会を与えただけです……とニコルの声が4人の耳に届く。
「どうだか……お前の言葉を額面通り受け止めるとでも?」
 イザークが冷笑と共にこう言い返す。
「皆さんがどう思おうと、キラさんがお決めになったのですから、今更それを覆して、キラさんを混乱させたりしないですよね?」
 そんなイザークにニコルは笑顔と共にこう言う。
「キラを一番混乱させているのはお前だと思うがな」
「あなたが横から口を挟まなければ大丈夫だと思いますけど?」
 イザークとニコルのこの会話に、キラは困ったような表情を作る。そして、そのまま助けを求めるかのようにアスランとディアッカを見つめた。
「放っておけ、キラ。今回のことに関しては俺も怒っている」
「お前が悪くないって言うのはわかっているんだがな」
 だが、二人も今はイザークに味方をしたい心境らしい。こう言い返してきた。その言葉に、キラは泣きそうになる。
「と言うことで、イザークが納得するまで言い争わせておけ。でないと、後々まで残るからな」
 終わってしまえば納得するんだから、とディアッカは笑う。
「そうだな。最後までさせておけ」
 でないと、今後の作戦に支障が出る可能性がある、とアスランも付け加えた。
「それよりもキラ。この前言われていたディスク、見つかったんだが……見に来るか?」
 ディアッカが雰囲気を変えるかのようにこう問いかけてくる。
「そうしよう、キラ。俺たちは今日はもうフリーだ」
 アスランもにっこりと微笑みながらこう言った。同時にキラの腕を取る。
「でも……」
 キラがまだ彼らのことが心配だという表情を崩さない。だが、それを気にする様子を見せない二人によって、そのままその場から連れ去られてしまった。
 その後、ニコルとイザークの決着がどう付いたのか、キラは知らない。ただ、ニコルの家へお世話になると言う事実だけは翻らなかったが。



ニコルとニコル母のタッグは強かった……と言うことですね。ニコルと違ってニコル母は天然です。決して腹黒いわけではありません。ニコルはわかっていてやっているようですけどね(苦笑)