「キラさん。今日はお休みされた方がいいと思いますが……」
 どう見ても、このまま作業を続けさせれば、キラは倒れてしまうのではないか。そう思わずにはいられない彼の顔色を見て、ニコルはこう言う。
「……でも……」
 だが、キラは素直に首を縦に振ってくれない。
「お顔の色が、ものすごく悪いです。このままだと、デッキよりも医務室に行かれた方がいいと皆に言われますよ? 今までずっと休暇なしだったのですから、今日一日ぐらい、かまいません」
 お願いだから、休んで欲しい……とニコルはさらにキラに言葉を投げかける。
「それに、今日は僕も勤務がない日ですから……おつき合いいただければ嬉しいですし」
 キラのためではなく、自分のために、と付け加えれば、キラは少し考え込むような表情を作った。そして、しばらく経ってから小さく頷いてみせる。
 そんな彼の様子に、ニコルは心の中でため息をつかずにはいられない。もっと自分のことを大切にしてくれればいいのに、と思いながら、それでも口元に微笑みを作った。
「ありがとうございます」
 そして、キラに言葉を返せば、彼もはにかんだような淡い笑みを返してくる。
「と言うことで……まずは食事にしませんか? 朝食、まだですよね?」
 キラの手を取りながらニコルはこう問いかけた。
「まだ、ですけど……」
「食べられないとおっしゃるのでしたら、飲み物だけでもかまいませんから、おつき合いください」
 ね、と言いながら、ニコルは少し強引にキラを立ち上がらせた。そして、そのまま通路まで引っ張り出す。そこまでされてしまえばキラも諦めるしかないのだろう。大人しく付いてくる。
 そんな彼の様子にほっとしながらも、ニコルはまたブルーコスモスに対する怒りを再燃させた。
 間違いなく、こんなキラの態度はあの日々の間で作られてしまったのだろうと思う。キラとアスランの会話の中で出てくる、幼い頃のキラは、どちらかというとアスランを振り回していたようなのだ。
 だが、その怒りを露わにすれば、キラはまた負担に感じてしまう。それがわかっているから、ニコルは心の中だけでとどめておくことにした。この怒りをぶつける機会は、これからいくらでもあるのだから、と。
 それよりも、キラの方が今は重要だ。
 無理矢理休ませたのも、こうして食事に連れ出したのも、キラの体調が最近また悪くなりかけているからなのだ。
 キラの中で一番の地位を占める……という争いでは対立していると言っていいニコルとアスランだが、キラ本人こととなればまた話は違う。
 お互いの行動をあれこれ牽制をしながらも、それでもキラにはそのことを気取られないように……というのが、アスランとニコルの間で結ばれた密約だった。
 今回はたまたまニコルの手が空いてアスランは任務があった。ただそれだけのことだ。普段はアスランがキラと同室なのだから、こう言うときぐらい、自分が独占してもかまわないだろう、とニコルは心の中でほくそ笑んだ。
「キラさんがお好きなものは何なのですか?」
 ともかく、情報量ではアスランに劣っているのは事実。
 そして、あの時にはそんな会話を交わす余裕がなかった。
 だから、と思いながらニコルはこんな問いかけをキラに向ける。
「……好きなもの、と言うのは?」
 いろいろとありますけど……とキラは逆に聞き返してきた。
「そうですね。例えば、食べ物でしたらなんですか?」
 こんな会話を交わせるようになったのもここ数日のことだ、と心の中で呟きながら、ニコルは言葉を口にする。それに、キラは少し考え込むような表情を作った。
「……ロールキャベツ、かな?」
 そしてこう告げてくる。
「母さんが、よく作ってくれたんだ……」
 と。
「そうですか……お母さんの味とは違うかもしれませんけど、厨房に頼めば作ってくれると思いますよ?」
 さすがに朝食にはヘビーだろうけど……と笑いながらニコルは気軽な口調で言葉を口にした。
「でも……ご迷惑じゃないかと……」
 メニューは決まっているのではないか、とキラは言外に付け加える。
「大丈夫ですよ、そのくらいなら。イザークなんて、よく、あれこれ作って貰っていますから。それに、僕もご相伴預かりますし、アスランもお好きだとお聞きしたような気がしますから」
 一緒に食べればいいだろう、とニコルが言えば、キラは微笑む。
「そうですね……アスランもよろこぶ、かな?」
 そして柔らかな口調でこう呟く。その瞳は、彼らが共に過ごしていた頃を見つめているのだろうか。こう考えると、ニコルは腹立たしい思いに襲われる。それはキラにではなく、間違いなくアスランへ向けられているものだろう。
 結局、彼の立場に自分がなりたかったのだ。
 キラに無条件で信頼してもらえる存在に。
「……がんばらないといけないですね」
 ニコルは口の中だけでこう呟いたつもりだった。
「何を、ですか?」
 だが、キラの耳にはしっかりと届いてしまったらしい。興味を惹かれた、と言うように問いかけられてしまう。
「あぁ、本国に戻ったところで、休暇がもらえることになっているのですが……その時にピアノのコンサートをと言われていたのを思いだしたんです」
 その練習をがんばらないと、とニコルは微笑みと共に誤魔化す。
「そう言えば、キラさんのお好きな曲を弾いて差し上げるお約束でしたね。食事の後に、僕の部屋に来ていただけますか?」
 キーボードは持ってきてありますから、とニコルは言葉を重ねた。
「……アスランはマイクロユニット製作の道具を持ち込んでいるし……ザフトって、ずいぶん自由なんですね」
 キラがぽつりと呟く。
「ザフトは、正確に言えば軍隊ではありませんから」
 勤務に支障が出ない程度の趣味なら逆に推奨されているのだ、とニコルはキラに説明をした。
「アスランや僕だけじゃなく、他のみんなも空き時間には趣味を追及していますよ」
 なかなか楽しい趣味を持っている人間もいるのだ、とニコルが言えば、キラはますます興味を惹かれた、と言うような表情を作る。
「そうですね。後で、ディアッカにも披露して貰うといいですよ。彼の趣味は別の意味ですごいですから」
 ニコルがここまで口にしたところで、二人は食堂へとたどり着いた。
 そのまま、キラを促すと配膳口へと向かっていく。
「キラ君、今日はちゃんと来たね」
 その中の一人が、キラの姿を見た瞬間、こう言ってくる。この声を耳にした瞬間、キラはまずいという表情を作り、ニコルはおや、と言う表情になった。
「キラさん?」
 そう言えば、ここ数日、アスランとキラは生活時間がずれていたはずだ、とニコルは思い出す。と言うことは、彼は朝食を取らずにデッキにいたのだろうか、と。
「……朝、どうしても食べられなくて……」
 そんなニコルの無言の怒りに気がついたのだろう。キラは肩をすくめながらこう白状をした。
「それで、お顔の色が優れなかったのですね」
 キラから目を離してはいけないのだ、とニコルは改めて認識をする。そして、これに関してはアスランとも相談しておかないとと。自分一人ではどうしてもキラから目を離すことになってしまうのだ。
「ともかく、今日はしっかりと食べてくださいね。明日のことは明日考えることにして……僕がおつき合いしますから」
 にっこりと微笑むニコルに、キラは小さく頷く。
「と言うわけで、キラさんはロールキャベツがお好きだそうですから……」
「了解。夜には出せるように仕込んでおくよ」
 この答えに、ニコルは満足そうに頷くと、彼が差し出してくれた二人分の食事を受け取った。

 失態だ、とアスランは小さくため息をつく。その表情のまま、寝息を立てているキラに視線を向けた。
「キラが無理をするって言うのは、俺が一番よく知っているはずなのに……」
 いくら勤務とはいえ、一瞬たりともキラから意識をそらしてしまった。そして、そのせいでキラが食事を取らずにいたことに気づけなかったという事実が歯がゆい。同時に、ニコルにその事実を指摘されたことが悔しいと思ってしまう。
「……ともかく、キラを一人にしておくことは難しい……と言うことか」
 だが、誰に預ければいいのだろうか、と言うと直ぐに思い浮かばない。
 ニコルが言うとおり、彼の両親の元へ預ければ、一番安全なのだろう。ニコルの両親は、今は行方がわからないキラの両親と雰囲気が似ている。だから、キラの心を和らげてくれるだろうし、彼らもまたキラを可愛がってくれるだろうことはわかっていた。そして、何よりもニコルの父は自分の父と同じように最高評議員だ。誰かがキラを利用としても突っぱねてくれるだろう。
 しかし、と思う。
 それでは、キラを自分だけのものにしておくことは難しい。あるいは、ニコルに奪われてしまうのではないか、と言う恐怖を感じてしまうのだ。
 もちろん、他にあてがないわけではない。
 ディアッカや意外なことにイザークまでもが自分の内へとキラを引き取ってもかまわない、と言っているのだ。
 だが、どこに預けても不安だ、と言うのがアスランの本音である。
「……母上が生きていたら……」
 一番よかったのだ、とアスランは心の中で付け加えた。
 幼い頃からのキラを知っていて、彼を手放しで可愛がっていた存在。
 そして、キラも実の両親と同じくらい彼女を信頼していた。
 例え、父が何を言っても、彼女であれば笑ってはぐらかしてくれただろう。そして、キラを二度と戦争の道具になんてさせなかったに決まっている。
 しかし、彼女はもういない。
 あの日……地球軍の愚かな行為によって、永遠に手の届かないところへ行ってしまったのだ。
 そして、あの日から父はプラントが勝利を収めるためなら、例え誰かの心を傷つけたといしてもかまわない、と思うようになった。
 だから、自分の家へキラを引き取れば間違いなく父に利用されるだろう。そして、今でさえ傷つきすぎている、と誰もが思うキラの心はさらに傷つき、そして、最後には壊れてしまうかもしれない。
「本当……どうするのがキラにとって一番いいのか……」
 自分の感情を抜きにすれば、答えはあっさりと出る。
 だが、その間情を納得させられないのだから仕方がないな……とアスランは小さくため息をついた。
「早く決めなきゃいけないんだがな」
 そう付け加えながら、アスランはキラの唇へとそうっと指を這わせる。
「この傷を消してやるのは当然のことだがな」
 キラが自分から肌を隠そうとするのは、彼の体に付けられた傷のせいだろう。それは見ていて痛々しいし、何よりも怒りをかき立てられるものだ。
 アスランがそう思うことすら、キラには辛いらしい。
「……そんなことないのに……キラのことで俺が一喜一憂するのは、当然のことなんだから」
 だが、今のキラにとってそれが負担だというのであれば隠すしかないのか……とアスランはため息をつく。
「お前にとって、どうするのが一番いいんだろうな」
 そして、自分にとっても都合がいい方法はないのか……とアスランは考える。
 答えはまだ出そうもなかった。



アスランとニコルがそれぞれモーションをかけ始めましたが、そのモーションに全く気づいていないキラ……まぁ、彼の場合は別に気にかかることがありますからね(^_^;