アスランの部屋に移動してから、キラはことさら自分の肌を人目にさらさないように気遣っているようだった。どうやら、それは自分たちが彼の体に残されている傷を見て怒りをかき立てられるのがいやなのだ、とニコルは気づく。
「無理はないのかもしれませんが……」
 だからといって、あそこまで気にすることはないのに……とも思う。
「それにしても、ご自分からこれに触れられるとは思っても見ませんでしたね」
 あれほどまでにこれらを作ってしまったことに罪悪感を覚えていたというのに、とニコルは呟いた。それなのに、ある意味、積極的とも言えるような態度でキラは奪取してきた機体のOSの整備を進めている。
 それはありがたいと思うと同時に、何か違和感を感じずにはいられない。
「……誰かに強要されているわけではないでしょうに……」
 ここまで呟いたところで、ニコルはある可能性に気づいてしまった。
「まさか、とは思いますけど、ね」
 ひょっとして、自分たちの上司が関わっているのではないだろうか、とニコルは思う。そして、彼ならさりげなくキラをそうしなければならない状況に追い込むのではないかとも。
「ニコルもそう思うか?」
 一体いつから自分の呟きを聞いていたのか。アスランがこう声をかけてきた。
「えぇ。ミゲル達は純粋に喜んでいるようですが……キラさん、あれに触れる前に必ず小さく震えていらっしゃいますから」
 多分、かなりのストレスになっているはずだ、とニコルは付け加える。本来であれば、あれに触れるどころか目にすることも嫌だと思っているはずだ、とニコルはキラの様子から感じ取っていた。
「……多分、俺たちがあれを奪いにいっている間に、隊長に何か言われたんだろうな」
 キラがクルーゼの容姿を知っていたから、とアスランが言ってくる。自分たちが側にいたときは、彼がキラの前に姿を現すことはなかったのだから。
「と言うことは……かなり厄介ですね」
 何を言われたのかまではわからない。
 だが、クルーゼの言葉でキラが動いているのであれば、それを止めさせることは至難の業だろう。
「全くだ……隊長も余計なことをしてくれる」
 普段なら絶対アスランの口から出ることはないと思われるセリフ。それを自分に漏らしてしまうようなことがあったのだろうか、とニコルは眉をひそめる。
「キラさんに何か?」
 その原因は一つしか考えられない。
「……寝ていて、よくうなされている……」
 アスランのこの言葉に、ニコルも思わずため息をついてしまう。
「こちらに来てから、そんなこと、なくなっていらっしゃいましたのに……」
 保護して直ぐはよくうなされていたのだ。夜中に飛び起きたことも一度や二度ではない。それを知っているのは、ニコルがそんなキラに付き合って起きていたからだ。キラは彼に『寝てくれ』と言っていたが、そんなことができるわけはない。むしろ、キラのことが心配で自分が悪夢を見そうだ、と言えば、渋々ながらもキラは諦めた。だが、その裏では彼が喜んでいたこともわかっている。
 そして、アスランと再会してからも、ニコルがたわいのない話をしに来てくれることをキラが嬉しいと感じてくれていたことも。
「とはいうものの……あれについてはキラさんのご協力がなければどうしようもない、というのは事実ですが……」
 だからといって、本人の精神状態を悪化させてまで……とニコルは呟く。
「こう言うときに、自分の力不足が嫌になるよ。いくら第二世代と言ってみても、第一世代のキラの足元にも及ばないんだからな……結局は、あいつに負担をかけてしまう」
 ようやく治りかけてきた心に傷に塩を塗り込まれているように感じているだろうに……と口にするアスランの、握りしめられた拳が血の気を失っていた。
「……ともかく、方法は二つですね」
 キラに作業をやめさせるには……とニコルは言う。
「ニコル?」
 一体? とアスランが聞き返してくることは、もちろん、予測済みだ。
「さっさとあれらのOSを完成していただくか……隊長に自分のセリフを撤回して頂くかの」
 でしょう、と微笑みを向ければ、アスランにもニコルが何を言いたいかわかったらしい。
「後者は無理だ……と言うことは、俺たちが協力をしてさっさと終わらせる以外にないんだろうが……」
 だが、そうなっても彼らがキラを解放するだろうか……とアスランは呟く。
「していただかないと困りますよね。僕たちの言葉だけでも十分だとは思いますが……イザーク達も巻き込みましょう」
 キラがストレスを感じてうなされていると知れば、彼らも協力をしてくれるだろうとニコルは思っていた。そして、自分たち4人ががりであれば、クルーゼの命令以外はそう簡単に翻すことができないだろう、とも。
「……不本意だが、仕方がない……」
 本来であれば、キラのことに他の誰かを関わらせたくないとアスランは思っているらしい。その事実はニコルにもひしひしと伝わってきていた。だからといって自分も引き下がるつもりはないとニコルは心の中で呟く。
「とりあえず、ミゲルには釘を刺しておくか」
 あいつが一番心配だ、とアスランが酷薄な笑みを浮かべながら言葉を口にした。
「その時はお手伝いしますよ」
 ニコルも口元にだけ微笑みを刻みながら頷く。
「他にも、整備主任にも釘を刺しておきますか?」
「だな」
 キラのストレスを増長するようなことをしでかしそうな相手には少し遠慮して貰おう、と二人は結論を出した。
「……後は……本国に戻ってからのことですね」
 例えクルーゼ達が横やりを入れてきたとしても、同じ場所にいれば即座に対策を取れる。だが、キラが本国へ行き、自分たちが戦場へ戻ってしまえばそれも難しくなるだろう。
「キラさんを守って貰えるところへ預かっていただくのがいいのでしょうが」
 ニコルが真っ先に思い浮かべたのは自分の家族だった。父は穏健派だし、最高評議会の一員である。多少の横やりはシャットアウトできるだろうとも思う。それに、キラであれば、母が間違いなく気に入るだろうとも。
「……ニコル……これだけは言っておく。俺はキラのことで遠慮する気はない。俺たちの間に入り込もうとする相手にも、だ」
 そんなニコルの考えが伝わったのだろうか。アスランはさらに冷然とした笑みを深めながらこう言ってきた。
「それは、キラさんのお気持ち次第でしょう? 確かにアスランとキラさんは幼なじみなのでしょうが……だからといって、新しい絆を作ってはいけないというわけはないじゃないですか」
 だから、引き下がるつもりは全くない、とニコルも柔らかな笑みを唇に刻みながら言葉を返す。
「それに……言っては何ですけど、アスランとお父様――ザラ国防委員長のもとへキラさんを預けられたら……隊長以上にキラさんのストレスを煽るのではありませんか?」
 彼なら、キラを無条件でザフトに引き込むだろうとも。
「キラさんの場合、目に見えている体の傷よりも、心の傷の方が深い、と思いますが?」
 違いますか、とニコルはアスランをまっすぐに見つめる。
「……否定できないところが悔しいな……」
 自分の父だからこそどのような行動を取るかわかってしまうのだ……とアスランは微かに笑みに苦笑を浮かべた。
「だが、それとこれとは話が別だろう?」
 俺はニコル個人のことを問題にしているのだ、とアスランは目を眇める。
「そうですね。でも、それこそアスランに言われる事じゃないと思いますが?」
 キラが決めることだろうと、ニコルもまた微笑みを深めながら言葉を返す。
「……退くつもりはない、と言うことか」
「もちろんです」
 キラの微笑みを見たい。いや、それを向けてもらえればどれだけいいだろう……とニコルは彼を助けたときから思っていたのだ。そして、その想いはさらに強くなっている。
「キラさんとの約束、まだ全然果たしていませんから」
 正確に言えば、一つは偶然で果たすことができた。
「僕はキラさんに『嘘つき』と思われたくないです」
 それに、個人の想いを自由にできるとは思わないで欲しい、と付け加える。
「……俺は、キラに関しては引き下がるつもりはないからな……」
「僕もです」
 二人はそれぞれ口元に笑みを浮かべていた。だが、その周辺に漂う空気は全く正反対のものだった。



正面切っての宣戦布告。さて、この二人の場合、どちらが上手か……どちらにしても怖いような気がしますが(^_^;