協奏


「放してください!」
 周囲に少年の声が届く。だが、誰も彼の声に耳を貸す者はいない。いや、それ以前に誰もこの場にいない、と言った方が正しいのか。
「そう言うわけにはいかない。君を手放すわけにはいかないのだよ」
「大人しく、戻るんだ!」
 そうすれば、悪いようにはしない……と囁いてくる言葉に、少年は嫌悪を隠さない。
「誰が! 同じコーディネイターを傷つけるような事に手を貸すなんて、絶対、いやだ!」
 そう言いながら、少年は必死に抗っている。
「……あの人……」
 その光景をニコルが見かけたのは、本当に偶然だったと言っていい。
「コーディネイター……なら、助けた方がいいんだろうか」
 それとも無視をするべきか……とニコルはその場に佇んだまま考え込む。
 自分の任務を考えれば、見て見ぬふりをした方がいいのだろう。だが、彼が『コーディネイター』で、しかも『同胞』を『傷つける』事を強要されているのだとしたら、話は違うのではないだろうか。しかも、どう見ても少年は本気で嫌がっているとしか言いようがない。
「隊長だって、このくらいで怒られないよね」
 元々コーディネイターはナチュラルより絶対数が少ないのだ。なら、余計に見捨てることはできない。
 だが、自分一人で彼を無事に助け出せるか、と言うと難しいだろう。
 こう言うときは……
「不本意ですけどね。仕方がありません」
 昔取った杵柄と言うには悲しいものはあるが、それしか方法はないだろう。ニコルはそう判断をすると、大きく息を吸い込んだ。
「誰か! 変質者に襲われている人がいます! 強姦魔!!」
 この小さな体のどこにこれだけの声量が隠れていたのか。そう言いたくなるような大声が周囲に響き渡る。
 まさかこの光景を目撃されていたとは思わなかったのだろう。
 そして、他のものに助けを求められるとは……
 一瞬だが、男達の手から力が弱まる。
 その瞬間を、少年は見逃さなかったらしい。男達の手を強引に振り切ると、ニコルの方へと向かって駆け出してきた。
「こちらです!」
 そんな彼を手招くと、ニコルもまた駆け出す。
「こちらに、僕が借りているレンタルエレカがありますから」
 詳しい話はその時に、と言いながらニコルは少年を導いていく。
 もちろん、二人の後をあの男達も追いかけてきた。だが、次第に人目が多くなっていくる事に気がついたのだろうか。次第に距離が離れていった。だからといって、男らが自分たちを見失う可能性は少ないだろうとニコルは判断する。訓練された『軍人』であれば、いくらでも手段を持っているだろうと。
 だが、それを逆手にとって逃げ延びることも可能だろう。
 もうじき、自分はここを立ち去るのだし……その時に彼一人ぐらいであれば何とか出来るのではないか。ニコルはそう心の中で呟く。
「あれです!」
 こう言いながら、ニコルはまず少年の体をエレカの中に押し込んだ。そして、自分もまた運転席に体を滑り込ませる。同時にエンジンを始動させた。
 走り出してからようやく、少年の口から安堵のため息がこぼれ落ちる。
「……あ、りがとうございました……」
 そして、ニコルに向かってこう声をかけてきた。
「気にしないでください。同胞を見捨てられなかっただけですから」
 この言葉に、少年は目を丸くする。
「それじゃ……」
 少年が何を驚いているのか、ニコルにはわかった。いくら中立のヘリオポリスとはいえ、コーディネイターはほとんどすんでいないのだ。あるいは、初めて同胞にあったのかもしれない、とニコルは思う。
「えぇ。僕もコーディネイターです」
 だから、あっさりと肯定をしてみせる。
「……じゃ、これ以上迷惑をかけるわけには……あいつらは、絶対に僕を諦めない……」
 少しだけでも、奴らの目をごまかせるなら、自分にもできることがあるから……と彼が付け加えた言葉に、ニコルは思わず眉を寄せた。
「……ご自分でご自分の命を絶つ、とでも?」
 思わず唇から飛び出したのは、刺を含んだ声。だが、それにではなく、告げられた言葉の方に少年は驚いたようだった。ただでさえ大きいと言える瞳を見開いている。しかし、それは直ぐに伏せられた。
「……僕は、罪人だから……強要されてきたとは言え、今まで、同胞を傷つけることの手伝いをしてきたことは事実です。そして、このまま生きていても、同じ事だから……」
 それをやめるには、自分で自分の命を絶つしかないのだ、と少年は言外に付け加える。このコロニーの中ではどこにいても見つけられるし、ここから逃げ出す手段を自分は持たないのだから、と。
 あるいは、彼は自分がさがしている『もの』に関わっていたのだろうか、とニコルは彼の言葉を耳にしながら、考えた。
 だとしたら、彼が傷ついている理由も理解できる、と思う。同時に、自分の判断が間違っていなかったこともわかった。
「僕は……誰も傷つけたくないんです。コーディネイターもナチュラルも……どちらにも大切な人たちがいるのに……」
 どちらかだけ、選ぶことはできない……と彼は血を吐くような口調で告げる。
 この言葉に、自分と同じ年代だから、まさかとは思うが、彼は……ニコルの脳裏に、ある可能性が浮かび上がた。
「あなたは……第一世代なのですか?」
 おそるおそるというようにニコルは問いかける。
「……はい……」
 少年は素直に頷いて見せた。
「そう、ですか。だから、ここにいらしたのですね」
 中立であるヘリオポリスに。ここならば、表向きコーディネイターがいたとしてもおかしくない。
「そして、無理矢理協力をさせられた、と? あいつらはオーブの?」
「違います。あいつらは……自分たちをブルーコスモスだと……」
 同じコーディネイターの自分に、コーディネイターを殺すための道具を作らせるのは楽しい、と言っていた、と少年は付け加える。それだけでニコルにも、彼がどのような扱いを受けていたのか推測できてしまった。
「悪趣味な……」
 そして、なんと悪意に満ちた手段を使うのか、と心の中で付け加える。
「わかりました。僕がここを出るときに貴方も一緒に連れて行きます」
 とても彼をここに置いていくわけには行かない。彼を利用していた者たちがブルーコスモスだというのであればなおさらだ、とニコルは決断した。
「でも!」
「心配しないでください。同胞を保護するのも僕の仕事です」
 きっぱりと言い切るニコルの言動から、少年は何かを察したのだろう。
「……ザフト、の方なのですか?」
 信じられないと滲ませながらこう問いかけてくる。
「えぇ。ニコル・アマルフィーと言います。よろしければ、貴方のお名前も聞かせて頂けませんか?」
 でないと、これから困りますから……とニコルが微笑む。
「キラ、です。キラ・ヤマト」
 これにためらう必要はない、と判断したのだろう。少年――キラは自分の名を名乗った。