アークエンジェルに着いてみれば、確かに艦内の様子がおかしい。
 そのくせ、整備クルーをはじめとした男性陣は所在なさげにうろついているのだ。
「あぁ、間に合ったな」
 その中の一人がイザーク達の顔を見てこう口にする。
「マードックさん。と言うことは?」
「さっき医務室に行ったらしい。と言うことで、俺たちは立ち入り禁止だそうだ」
 まぁ、むさい男が側をうろちょろしていても鬱陶しいだけだろう……と彼は苦笑を浮かべた。
「……医務室?」
 しかし、イザークもディアッカも未だに状況が飲み込めない。
「いったい誰が?」
「俺が知ってるわけないだろう?」
 イザークの呟きに、ディアッカがすぐにこう言い返してくる。
「……何だ? 教えてなかったのか?」
 二人の会話に、マードックがシホにこう問いかける声が耳に届いた。
「時間がもったいなかったものですから」
 まぁ、行けばわかりますよね……と彼女は珍しくフレイによく似た表情を作る。
「そうだな。行けばいやでもわかるか」
 シホの言葉に、マードックもどこか楽しげな表情で頷いて見せた。
「俺らはともかく、その二人なら無条件で近づけるだろうしな」
 イザークであれば、医務室の中にも入れるかもしれない……と彼は付け加える。その言葉に、イザークは『まさか』という表情を作った。
「……どうやら、気が付いたようだぞ」
「そうですね」
 まぁ、気づかない方がおかしいのだろうが……とシホが微苦笑を浮かべる。
「……子供が、生まれるのか?」
 俺の……と先ほどまでとは違った意味でイザークは呆然とした表情を作った。
「そう言うことだ。行ってやるんだな、お父さん」
「まだしばらく時間がかかると思いますが……でも、隊長がいらしたことをキラさんにお知らせしたいですし」
 そうすれば、キラも安心するだろう……とシホも口にする。
「良かったじゃないか、イザーク。まぁ、間に合わなかったとなったら、あいつに何を言われるかわかったものじゃないがな」
 ディアッカがこう言いながら、イザークの背中を叩いた。それに促されるまま歩きだそうとする。しかし、イザークはすぐに足を止めた。
「イザーク?」
 どうしたんだ? とディアッカが不思議そうに問いかけてくる。
「ディアッカ」
「何だ? 恐くなったのか?」
 イザークの呼びかけにディアッカがからかうような口調でこう言い返してきた。
「誰がだ!」
 それにイザークは即座に怒鳴り返す。
「お前に頼みたいことがあっただけだ!」
 自分が用意をすればいいのだろうが、キラの側にいてやりたい。だから、ディアッカに頼むしかないだろうと思ったのだ、とイザークは口にする。
「そう言うことか。わかった」
 どうせ、キラに関わることなのだろう? と彼は苦笑とともに問いかけてきた。否定をしても意味がないから、イザークは素直に首を縦に振る。
「探して、手にはいるだけ買ってきて欲しいものがある」
 この言葉とともに、イザークはディアッカに『耳を貸せ』と仕草で示した。そうすれば、彼は心得たように近づいてくる。その耳に、二言三言囁けば、彼はにんまりと嗤って見せた。
「そう言うことなら、行ってきてやるよ。ついでに、おっさん達にも手伝ってもらえばいいんじゃないのか?」
 どうせ、暇をもてあましているんだろうし……と付け加えれば、側で聞いていたマードックも頷いてみせる。
「それに関しては任せる」
 こう言い残すと、イザークは今度こそキラの元に行くために歩き出した。

 しかし、マードック達がデッキでうろちょろしていた気持ちもよくわかる。こう言うときに、男ができることは何もないのだ。
「立ち会いはしないんでしょう? だったら、そこで子供の名前でも考えていて!」
 イザークの顔を見たフレイが吐き捨てるようにこう口にした。そして、そのまま医務室に戻っていく。
「キラは……」
「大丈夫よ。あんたが来たことだけは教えてあげる」
 だから待っていなさい、と重ねて付け加えられれば、イザークとしては反論ができない。
「だからといって、子供の名前……」
 そんなことを言われても、男か女かもわからないのに……とため息をつく。それさえわかれば、ある程度は候補を決めてきたのだが。
「まったく……」
 好き勝手言ってくれるものだ、とイザークはため息をつく。
「まぁ、諦めるんだな」
 そんな彼の耳に、ある意味、耳になじんだ声が届いた。
「バルトフェルド隊長」
 視線を向ければ、両手にカップを持った彼の姿が確認できる。鼻腔をくすぐる香りから判断すれば、コーヒーだろうか。
「あぁ、そんな表情をしなくていい。君の分はこちらだよ」
 苦笑とともに差し出されたカップには、紅茶が入れられている。その事実にバルトフェルドには悪いがイザークはほっとする。
「それにしても、こちらに着いたとたんにこれでは、驚いただろう」
 くすりと笑いながら、彼はイザークの隣に腰を下ろしてきた。
「そうですね」
 確かに驚いたことは驚いたが、これならばまだましだろうと思う。
「でも、キラがさらわれたとかなんかではないだけマシです。もっとも、うちの母の自制が効くかどうか、わかりませんが」
 今、一番恐いのはこちらかもしれない……とイザークは心の中で呟く。
 今はまだ自制が効いているようだが、実際に子供が生まれたと知ったらどうなるだろうか。
 とはいうものの、現状で最高評議会と太いパイプを持っている彼女を、デュランダルがそう簡単に出国させるとは思わない。だが、彼女の場合無駄に機動力があるから問題なのだが。
「エザリア様かね……」
 どうやら、名将と言われる彼でも、エザリアだけは苦手なようだ。苦笑とともにこう呟く。
「いずれは足を運んで頂くか……キラを帰さなければならないのだろうがね。できれば、あの子と赤ん坊の体調が万全になってからの方がいいだろうな」
 でなければ、どうなるかわかったものではない、と本音を漏らす。
「しばらくは、俺も側にいられると思うのですが」
 大規模な戦闘がないのであれば、本国勤務に回してもらえるのではないか。そう考えるのだ。
「あぁ、そうしてもらえると安心だね。俺からも頼んでおこう」
 バルトフェルドの言葉であれば、誰だって無視をできないはずだ。それに、クルーゼだってそれに関しては協力してもらえるのではないか、とイザークは考えている。だから、彼等二人の言葉であれば大丈夫だろうと思う。
「それにしても……こう言うときに男は無力だね」
 何もできることがない、とバルトフェルドは苦笑を浮かべる。
「そうですね」
 キラの顔も見せてもらえない。声をかけることも許されないのはさすがに悲しいが、だからといって、側にいてもどうしようもないと言うこともわかっていた。
「と言うわけで、ここでおとなしく俺とお茶をするしかないわけだ」
 それでも、一人でいるよりはマシだろう? と問いかけてくる彼にイザークは素直に首を縦に振る。
「しかし……俺も《おじいちゃん》なのか、もう」
 まだ三十代なのだが……とバルトフェルドはぼやく。
「それを言うなら、うちの母も同じ条件ですが?」
「……確かにそうだな。あぁ、このことはエザリア様には……」
「言わないでおきます」
 苦笑とともに言い返せば、彼は同じような表情を返してくる。
「ともかく……無事に生まれてくれればいいのですが」
 医師達は皆、今のキラの体力であれば大丈夫だろう、と口にした。だからこそ、自分もキラも子供を作ることにしたのだが……だからといって、絶対という言葉はないと言うこともわかっている。
 人為的に性別を転換された者の中で出産にこぎ着けたものは今までにいないのだ。
 そう考えれば、不安を感じても仕方がないだろう。
「一応、議長がうちの医師の他に専門家を手配してくれているからね。心配はいらないとは思うが」
 それでも不安だよなぁ……とバルトフェルドも呟く。
「祈るしかできないというのは辛いものですね」
 このような状況であれば、まだ、かつてのアークエンジェルが陥った状況の方が楽なのではないか――もちろん、本人達には決して口にすることはできないが――とまで思ってしまう。
 自分の手で何とかできるのであれば、失敗しても何を恨むこともない。
 しかし、手の届かないところで大切な存在が失われるかもしれないとなれば、やはり心穏やかではないのだ。
「それでも、最高のメンバーがそろっているのだからね。そう考えれば、少しは気分が楽になるか」
 こう言いながらバルトフェルドはカップに口を付ける。
「そうですね」
 同じように、イザークも手渡されたカップの中身を唇に含む。少し冷めてはいるが、口内に広がった紅茶の香りが少しだけ心を落ち着けさせてくれる。
 そのままさりげなく視線を巡らせれば、廊下の隅に所在なさげにこちらを見つめている三つの人影が確認できた。
「どうやら、耐えきれずに顔を出した者達もいるようですが?」
 こう告げれば、バルトフェルドも彼等を見つけたらしい。
「おやおや。怒られるとわかっているだろうに」
 それでも我慢できなくなったのかね……とバルトフェルドも口にする。
「どうしますか?」
「……どうしたいかね?」
 自分であれば文句を言われるだろうが、イザークであれば大丈夫だろう、と言われても困る。しかし、放っておいても鬱陶しいだけではないか。
「仕方がないですね。下手に禁止をしてとんでもない行動を取られても仕方がないですし……」
 だったら、目の前で監視をしていた方がいいのではないか。そう思う。
「かもしれないね」
 どうやら、同じ結論に達したらしい。バルトフェルドは苦笑を深めると視線を彼等へと向けた。
「お許しが出たから、こっちに来なさい。ただし、おとなしく座っていられれば、だが」
 そしてこう声をかけた瞬間だ。
 まさしく転がるような勢いで彼等はイザーク達の側に寄ってくる。
 そのまま、医務室のドアをにらむように彼等は腰を下ろした。