目の前に慣れ親しんだ光景が広がっている。
 ここを『懐かしい』と思ってはいけないのだろうが、と思いながらもキラはバルトフェルドの膝の上から降りた。
「大丈夫だとは思うが、気を付けるようにな」
 絶対転ぶんじゃない、とバルトフェルドが言ってくる。
「大丈夫ですよ……多分……」
 ゆっくり歩くし、恥ずかしいが手すりがあるところは手すりを掴むから……とキラは苦笑混じりに言葉を返す。
 フレイが側にいてくれれば、彼女が自分の分まで足下に気を付けてくれるのだ。もちろん、キラだってそれなりには気を付けている。だが、何かを考え出すとどうしても注意が散漫になってしまうのだ。
「わかった。俺が行くまでハッチのところで待っていなさい」
 自分が一緒であれば、何かあった場合対処ができる。それは確かにそうなのだろうが、とキラは小さくため息をつく。
「そんなに、信用されていませんか、僕は……」
 過去のあれこれを思えば、それも仕方がないことだ……とは思う。だが、自分だってあれから少しだけとはいえ成長をしたはずなのに、とは思う。
「そうではないよ。ただ、俺がかまいたいだけだ」
 無駄のない仕草でキラの側まで歩み寄ってきたバルトフェルドが微笑みとともにこう告げる。同時にその腕にキラの体を抱きかかえた。
「お義父さん!」
「最初からこうした方が安全だったんだな」
 自分が側にいれば、興奮で我を忘れた面々でも一発で頭が冷えるだろう。彼はそう付け加える。
「……それって……」
「あまり深く考えなくていい」
 低い笑い声とともに彼は歩き出した。
「……何なんですか、もう……」
 そんな彼の言動にキラは思わず頬をふくらませる。
 しかし、そんな彼女の疑問はあっさりと解消された。
「キラ!」
 シャニの声が聞こえる。そう思った次の瞬間、彼の顔がキラを見上げているのがわかった。それでも、何の衝撃も感じなかったのは間違いなくバルトフェルドに抱きかかえられていたからだろう。
「こらこら。アイシャやナタルになんと言われていたんだったかね?」
 もっとも、彼は飛びついてきたわけではないから、この程度の注意ですんでいるのかもしれない。
「……忘れてた……」
「思い出したなら、次から気を付けなさい。当分、キラの護衛は君に頼まなければならないようだしね」
 フレイと一緒に……という言葉に、シャニが嬉しそうに笑う。
「……護衛って……」
 そこまで大事にしなくても……とキラは考える。
「何。この子のことはまだ序の口だよ」
 というより、これはまだましな部類だろうね……とバルトフェルドがとんでもないと言えるセリフを口にしてくれた。
「そうなんですか?」
「ソウナンデスヨ」
 ちゃかすような口調でキラに言葉を返してきたのは、フラガだった。
「悪い。ちょっとあっちに意識を取られている隙に逃げられてな」
 それに、と彼が指さしたのはもちろんシャニである。
「この子は、まだ、聞き分けがあるから大丈夫だったよ」
 問題はオトナの方だよな……とバルトフェルドが笑う。
「あぁ、それはそうだ」
 普段、落ち着いていると考えられている人間の方があてにならないとは思わなかった……とフラガも頷いてみせる。
「……あの……それって……」
 誰のことなのか、とキラは本気で聞きたいと思う。
「……見てもらった方が確実だよな」
 フラガが意味ありげにバルトフェルドへと視線を向けた。
「俺だけじゃないから、大丈夫だろうしな」
 バルトフェルドも頷いてみせる。
「と言うわけで、シャニ。キラに抱きつこうという奴は遠慮なく転がせ。ただし、ケガはさせるなよ」
「了解」
 何か、本当にいいのかと言いいたいような指示ではある。だが、彼等が大まじめだ、と言うことは必要なのだろう。しかし、どうして……と本気で首をかしげたくなってしまう。
 しかし、ガイアの背から床に降りた瞬間、彼等が何を心配していたのか、はっきりとわかった。
 顔見知りの整備員達が一斉に駆け寄ってきたのだ。その勢いにキラは反射的にバルトフェルドの首にしがみつく腕に力をこめてしまう。
「お前ら! キラを驚かすんじゃない!」
 フラガの怒鳴り声が周囲に響く。それに多くのものがその場に足を止めた。
 だが、それも効果を奏さなかったものが約一名。
 指示されたとおり、シャニが相手がキラにたどり着くまえに遠慮なく足払いを仕掛けていた。
 次の瞬間、地響きとは言わないが、それなりに大きな音が周囲に響く。ひょっとしなくても、顔から床にダイブしたことはわかってしまう。
「……マードックさん?」
 大丈夫ですか、とキラはバルトフェルドの腕の中から問いかけた。
 それを合図にしたかのようにむくり、とマードックが体を起こした。
「……あの……どこかケガをしたのですか?」
 その瞳から滂沱の涙が流れ出していることに気づいてキラはさらに問いかけの言葉を彼にかける。
「お前さんが母親になるなんてなぁ……」
 しかし、マードックの口から出たのは、まったく予想もしていなかったセリフだった。
「……あの……」
「あんなに、壊れそうだったのに……」
 そう言いながら、彼はさらに涙をこぼす。
「……まぁ、そう言うことだ……」
「あきらめろ、キラ」
 つまり、危険人物その一は彼だった、と言うことだろう。
 悪気がないから、さらに始末に負えないのだ……と言うことか。
 だが、彼等の話だと後一人はいるはず……とキラがちいさなと息を吐き出したその時である。
「いつまで、そんな不潔なところに妊婦をおいているんです! ただでさえ、検診を十分にできていたとは限らないのですよ。さっさと医務室に彼女を連れてきてください!」
 新たな声が耳に届く。それがドクターのものだと言うこともキラにはよくわかっていた。
「あちらは、仕事熱心なだけだ」
 言外に、彼が危険人物その2だ、とバルトフェルドが告げてくる。それにどう反応すべきなのか判断ができないキラだった。