奇襲作戦が失敗した。
 そう耳にしたはずなのに、男は、満足そうな笑みを浮かべている。
「どうやら、見失っていた小鳥が自ら出てきてくれたようですね」
 ならば、と男は続けた。
「目的地を探りなさい。あそこに残るならともかく、さらにどこかに飛んでいこうとするかもしれませんからね」
 その時は、追いかけなければいけないだろう、と男は付け加える。
「何があっても、あれだけは傷つけないように。そして、親鳥の所に戻る前に捕獲するよう、大佐には伝えておいてください」
 確実に、あれを取り戻すように……と男は口にした。それに、側にいた男は静かに頭を下げる。そして、そのままその場を退いていった。

 目の前で、キラとフレイが何事かをやっている。そのそばに淡い色の毛糸があるところから判断して、編み物でもしているのだろうか。
「……お気楽なことだ……」
 ここも戦場であることは変わりないのに……とシンは呟く。
「だから、じゃないの?」
 それを耳にしたのだろう。ルナマリアがこう言い返してきた。
「ルナ?」
 何を言っているんだ、とシンは彼女をにらみ付ける。
「ここが戦場だからこそ、キラさん達には気分転換をする余地がないのよ? だからといって、部屋に閉じこもっているわけにもいかないわ」
 妊娠しているなら、おとなしくしているべきなのではないか、とシンは思う。確かに、それでストレスを感じるかもしれないが、だが周囲のことを考えれば、その方がいいだろう、と考える。
「妊娠しているからこそ、運動が必要なんだ」
 シンの表情から何かを読み取ったのだろう。レイが口を挟んできた。
「母体が健康を維持できなければ、子供を無事に出産できないからな。必要な運動はしなければいけない。それ以上に、禁止されていることの方が多いらしいがな」
 妊娠中の女性は、いろいろと制約があるそうだ、と彼は付け加える。
「詳しいわね」
「……ラウ――クルーゼ隊長が調べていたからな。間違いなく、キラさんのことで、だろう」
 時期的に見て、とレイが苦笑を浮かべた。
「クルーゼ隊長が、何故だ?」
 バルトフェルド隊長であれば当然かもしれないが、とシンは口にしてしまう。
「キラさんのご両親と面識があるから、だそうだ。それに、あの人が入院していた頃、ギルも治療に関わっていたからだろうな」
 個人的に彼女を気にかけているから……とレイは説明をする。
「入院?」
「……前の戦いの時にな……戦争の影響で、体調を崩されたんだよ」
 一時は命の危険すらあったらしい……と言う言葉に、シンだけではなくルナマリア達も眉をひそめた。
「だから、だろうな。キラさんを知っている人間が、皆、あの人を心配するのは」
 言外に、キラを傷つけるようなことをするな、と言われているような気がするのはシンの錯覚だろうか。
「第一、戦場とはいえ、ここはザフトの本拠地の一つだ。しかも、ここは共有の場だしな。気分転換をしていたとしても、文句を言えないのではないか?」
 ここが、軍人専用の区域ならばともかく、基地内で働いている民間人も使用できる談話室だ。何よりも、部屋よりも開放感があるから、気分的に追いつめられなくてもすむだろう、と。
「そうよね。部屋からここまでなら、散歩に丁度いいとは言えないけど、それなりの運動ができるし、何かあっても対処できるものね」
 人でも期待できるし、とルナマリアが同意を示す。
「あれって、赤ちゃんの靴下かな……」
 今までメイリンが黙っていた理由は、それを確認するためだったのか。あきれていいのか何なのか、わからないセリフまでシンの耳に届く。
「そうでしょう? でも、キラさん、初めて作るみたいね」
 別段、引っかかるような言葉ではない。
「……編み物なんて、本当に趣味の世界だもの。そういうあんただって、今までに何回マフラーを作りかけてやめたのかしら?」
 しかし、ルナマリアの口調に、何やら別の意味が隠されているような気がする。一瞬だが、メイリンもまたまずいというような表情を作ったのだ。
「そういうお姉ちゃんだって!」
 たくさん放り出していたのを自分だって知っている、とメイリンが反論をし始める。
 その会話から推測すれば、お互いがそれぞれ放り出したものの存在をばらされたからそんな表情を作ったのだ、と考えた方が正しいのだろう。
 しかし、どうも気になる……とシンは心の中で呟く。
 それはどうしてなのか。
 だが、周囲の者たちにはどうでもいいことだったらしい。
「二人とも、いい加減にしておけ」
 あきれたようにレイが二人の間に割って入った。
「そうは言うけどね、レイ!」
「女としては……」
 そんな彼に向かって、二人は共同戦線を張ろうとする。もっとも、レイの方が一枚上手だったらしい。
「そういうのだったら、それこそキラさんの子供のために何か編めばいい。経験があるのなら、もう少しこったものも作れるのじゃないのか?」
 そのできばえでキラさんに判定をくだしてもらえばいいだろう、と彼は付け加える。
「……そうね……それがいいわ」
「キラさんに喜んでもらえるでしょうし、ジュール隊長にもほめてもらえるかもしれないわ」
 そういう問題なのか、とシンは思う。だが、メイリンはあくまでもまじめらしい。
「ジュール隊長はキラさんの旦那様よ?」
 あきれたようにルナマリアがこう告げる。
「でも、あこがれるのはかまわないじゃない! ジュール隊長とキラさんって、本当に素敵だし」
 キラとは許されるならこれからも友達とまではいかないけど、付き合って欲しいのだ、とメイリンは言う。
「そのためには、やっぱり、ジュール隊長にも覚えが良くないとダメでしょう?」
 確かに、それは正しいのかもしれないが、やはりどこか論点がずれているような気がしらならない。
「本当にあんたって子は……」
 まぁ、いいけどね……とルナマリアがとうとうさじを投げる。
「それよりも、毛糸と編み棒を何とかしないと……入手できるかしら」
 売店で、と言いながら彼女はさっさと立ち上がった。
「あ、私も行く!」
 負けてなんていられないもの……とメイリンも後に続く。
「……いいのか、あいつら……」
 本来の任務も忘れるんじゃないのか、とシンはその背中を見送りながら口にした。
「そこまでバカではないだろう」
 いくら何でも、とレイはもう関心がないというように手元の本に視線を戻す。
 それはいつもの態度だと言えばそれまでかもしれない。
 なのに、何か引っかかるものを感じてしまうのは何故か。
 あるいは、自分だけが何も知らないような疎外感と言うべきかもしれない。
 それはきっと、キラに関係していることなのだろう。それをどうすれば知ることができるのか。シンはそれを考え始めた。