「……キラ……」
 ベッドに横たわりながら、イザークは愛しい名前を呟く。
 彼女の容態が急変する可能性はなくなったが、今までのことを考えれば予断を許さないだろう。
 本当であれば、寝顔だけでもいいから確認しに行きたいところだ。だが、アスランの愚行を呼び起こすような行動は慎めとバルトフェルドに言われている。自分でもその可能性が否定できない以上、迂闊な行動は出来ないだろう。
「まぁ、明日には、あいつらはカーペンタリアに帰るんだ。お姫様の顔を見に行くのはその後でもいいだろう」
 そんなイザークを慰めようとしているのか――それとも、牽制しようとしているのか――ディアッカがこう、声をかけてくる。
「わかってはいるが……」
 それでも、止められない感情があるのだから仕方がない、とイザークは心の中で付け加えた。
「お前の、そんななりふり構わない態度って言うのも、初めて見たといや、初めて見たがな」
「お前は、何が言いたい!」
 ディアッカの言葉に、イザークは弾かれたように体を起こす。そのまま、ディアッカを睨み付けた。
「そういうお前だから、キラに好かれたのかなって思っただけだ」
 憎まれても仕方がないポジションだったろう、お前……とディアッカはそんなイザークの視線を軽く受け流す。それは、彼がイザークとそれなりに時間を共有してきたからだろうか。
 だが、彼の言葉は的を射ているのではないだろうか、とイザーク自身も思う。
 自分勝手な逆恨みの結果、愚行を行ったのは間違いのない事実だ。それで、キラが自分を恨んだとしても仕方がないはず。だが、彼女はイザークの存在を受け入れてくれただけではなく、信頼感すら寄せてくれているのだ。
 それが、自分の行動ゆえか、と思えば嬉しい……と言っていいのだろうか。
「喜ぶに喜べないな」
 イザークは小さくため息をつく。
「あのバカみたいに変な方向でなりふり構わないのと、本気で嫌われるがな。もっとも、当人がその事実に気づいたかどうか」
 それがこれからの状況に大きく関わってくるかもしれないな……と、ディアッカはまじめな口調で口にした。
「あいつには《幼なじみ》って言う強みがあるのは紛れもない事実だからな」
 あれだけされても、嫌われていないと言うことは、それなりの信頼関係があった、と言うことだろう……とディアッカは付け加える。
「お前は、俺を止めたいのか? それともあおっているのか……どっちだ?」
 イザークはそんなディアッカに思わず詰め寄ってしまう。
「楽しんでるに決まっているだろう? 他人の色恋沙汰なんて、周囲は楽しむしかできないからな」
 しれっとした口調でディアッカはこう言い返してくる。
「もっとも、お姫様からの相談なら、本気で対処法を考えさせて頂くがな」
 彼女の方はちゃかせないから……とディアッカは言い切った。
「……その言葉が嘘でないなら、妥協してやろう」
 自分に関してはかまわないが、キラにだけは不誠実な態度を取るな、とイザークはディアッカに釘を刺す。
「もちろん、そのつもりだって」
 自分はまだ、死にたくない……とディアッカは言い返してくる。
「彼女に下手なことを教えれば、間違いなく、赤毛のお嬢ちゃんだけじゃなくアイシャさんやバルトフェルド隊長の怒りも買うだろうからな」
 正確に言えば、この基地の者たち全員の怒りを買うだろう……とディアッカは苦笑を浮かべた。
「当たり前だろうが! その前に俺がお前を殺してやるから、安心しろ」
 イザークはディアッカに宣言をする。
「あいつを護るのは俺の義務だからな」
 それだけは譲るつもりはない、と告げるイザークに、
「わかっているって」
 義務うんぬんはともかく、護ってやりたいのは自分も同じだ……とディアッカも言葉を返す。
「だから、さ。今は我慢しろって」
 それも、キラを護ることになるんだから……と言われれば、納得するしかないイザークだった。

 同じ頃、アスランは黙って窓の外を見つめている。そんな彼に気兼ねをするようにニコルは静かにベッドに座っていた。
 それでも、彼が何か行動を起こそうとすればすぐに止められるようにだけはしておく。
「……俺は……」
 その時だ。ニコルの耳に、アスランの呟きが届く。
「俺は、キラを護りたかっただけなのに……」
 もう、誰にも傷つけさせないように……と口にする彼は、あるいはニコルの存在を忘れているのかもしれない。そう判断すれば、ニコルは声を出すことすらはばかられる。
「……俺が、キラを傷つけたのか……」
 それほど、彼にとって先ほどのキラの表情は衝撃的だったのだろうか。
 それとも、フレイのキラに対する真摯な態度を目の当たりにしたからだろうか。
 どちらがよりアスランの心を揺さぶったのかは当事者でないニコルにはわからない。それでも、彼の頑ななまでの考えを変えさせる何かが先ほどの画像にあったのは疑いようがないだろう。
「それでも……キラの隣にいるのは俺でなければいけないんだ……」
 アスランは自分に言い聞かせるようにこんなセリフを呟く。
 しかし、それは明らかに力を失っている。
 昼間までの彼からすれば、とても考えられない様子だ、とニコルは思う。いや、自分が知っている彼の言動の中で、これほどまでに落ち込んでいる《アスラン》というのは初めてかもしれない……とすら考えてしまった。
 それだけ、ニコルの記憶の中のアスランは毅然としていた。
 もっとも、そんなアスランにしても信じられないような言動を取っていた時期があったことをニコルは覚えている。今思い起こしてみれば、それは全てストライク――と言うよりも《キラ》と言うべきだろうか――が関わっていた。
 つまり、アスランは最初から彼女がストライクに乗っていたことを知っていた、と言うことなのだろう。
 だから、イザークはアスランに『自分たちを信用していなかったのか』と怒鳴りつけたのか、とニコルは納得をする。そして、その事実が――理由はイザーク達とは違うかもしれないが――悲しいとも。
 アスランにとってのキラの存在は自分たちよりも重かっただけなのだ、と言うことはわかる。そして、それだけの価値がキラにある、と言うことも認めることは出来た。
 だが、アスランが自分たちに相談をしてくれなかったのは悲しいを通り越して悔しいかもしれない。イザークやディアッカはともかく、自分だけは彼に信頼されていると信じていたのだから。
 そんな自分にも、彼はキラの存在を教えてくれなかった。
 もし、彼が一言でも教えてくれていれば、あるいは……と思わずにいられない。
「……キラ、俺は……」
 だが、そんな自分の判断を、アスランも後悔し始めているのだろうか。
 それとも、まだ諦めていないのか。
 ともかく、彼の言動がこれ以上キラを傷つけなければいい。そう思えるくらい、彼女の存在を気に入っている自分がいることに、ニコルは気がついていた。
 そして、彼女とナチュラルの友人達が再び出逢える日が来ればいいとも思ってしまう。
 こんな事を考えられるのは、自分がナチュラルに嫌悪感を抱いていないからなのだろうか。それとも……とニコルは自分の中に芽生えた疑問の答えを探し始める。
 結局、二人とも空が白んでくるまでそのままの体勢を崩すことはなかった。




キラを巡る恋敵その後のシーンですね。しかし、アスランの静けさがある意味怖い、と言うべきなのでしょうかね(^_^;