「さて……と」
 アイシャの姿が視界から消えた瞬間、バルトフェルドは口元に刻んでいた笑みを消した。
 だが、それをまっすぐに向けられてもアスランは表情を変える事はない。それがただのやせ我慢だとしてもたいしたものだ、と思う。同時に『そう言えば彼は、ザラ国防委員長の跡取りだったな』と心の中で呟く。
 だからといって、彼の行為を認めるわけにはいかない。
 アスランがしたことは、間違いなく命令違反だ、といえるからだ。
「この場ではゆっくりと話も出来ないからね。移動をしよう」
 人目もあるしね……と付け加えた方のセリフが実は彼の言いたいことなのだ、とどれだけの人物が気づいているだろうか。
「ほら、立てよ」
「移動しましょう、アスラン」
 少なくともこの二人はわかったようだ。
 ディアッカとニコルが口々にこう言いながら、アスランの両手を取って立たせようとする。
 そして、自分の部下達も、だ。
 彼らはさりげなく周囲に展開をしている。それは、アスランを医務室へと向かわせないためだろう。
 その事実を、彼は理解しているのだろうか。
「自分で立てる」
 そんな二人の手を振り払うとアスランは立ち上がった。その翡翠の双眸の奧には、まだ怒りと憎しみが見え隠れしている。それが誰に向けられたものなのか、思い当たる節が多すぎてバルトフェルドにも絞り込むことが出来ない。
 しかし、と思う。
 はっきり言って、目の前の少年が抱いている怒りは間違いなく《私怨》だ。あるいは八つ当たりだと言ってもいいのではないか。
 だが、本人はそうとは思っていないだろう。むしろ、自分がしていることが正しいと信じているようだ。
 確信犯、と言う言葉を当てはめてもいいかもしれない、とバルトフェルドは小さくため息をつく。
 顔はまったく似ていないのに、彼の言動は父である《パトリック・ザラ》を思い起こさせる。それが遺伝子から伝わったものなのか、それとも教育で身につけたものなのかまではわからない。
 あるいは、プラント本国に戻ってからの彼にそうなるような引き金とも言える出来事があったのだろう。それは、キラが知っている《ユニウスセブンの悲劇》にだけよるものではないのではないか。もっと他に、何かが目の前の少年の上に降りかかったのかもしれない。
 あるいは、あの《仮面》が彼らに何かを吹き込んだという可能性も否定できないのではないか。
 強硬派のパトリック・ザラに気に入られているだけあって、彼はナチュラルへの偏見を隠そうとはしない。そして、戦闘に勝つためであればどのような手段でも厭わないのが彼だ。
 そのせいで、ヘリオポリスが崩壊をし、あの心優しい子供が戦争に巻き込まれる意事になったか、と思えば、だたでさえ好印象を持っていないバルトフェルドの中で、彼の存在は最低ランクまで下がってしまったとしても無理はないだろう。
 そして、アスラン・ザラはそんなラウ・ル・クルーゼのお気に入りだったという。
 イザーク達が地上に降りてきてから――あるいはそれ以前から――そんな彼の薫陶を受けていたとしてもおかしくはないだろう。
 もっとも、これらも全てバルトフェルドの推測にしか過ぎないのだ。
 真実は本人しか知らない。
「では、大人しく移動しようか」
 こう言いながら、バルトフェルドはさりげなく周囲の者たちに視線で命令を出す。
 あの状況のキラをさらに追いつめさせてはいけない。
 そうさせないためには、目の前の少年を自分の執務室まで連れて行かなければならないだろう。
「わかりました」
 アスランが素直に頷いて見せた。
 そんな彼の仕草すら疑ってしまう自分がいることに、バルトフェルドは苦笑を浮かべてしまう。
 だが、彼にしてもここまで大事になってしまえば、これ以上の失態をするようなことは望まないはずだ。
 そうなってしまえば、無条件で本国へと報告を入れなければならない。どのような結果が待っていても、彼がキラに近づくのは難しくなるのは分かり切っているはずだからだ。
「あぁ……ここのドアの修理も頼むよ」
 建物を出ながら、バルトフェルドは部下の一人にこう声をかける。
「かしこまりました」
 アイシャの蹴りでも破られないようにしておきます……と付け加える彼に、
「いや、万が一のことがあると困るからね。そこまではしなくていいよ」
 また、誰かが閉じこもるようなことがあったときにとバルトフェルドは苦笑を返した。だが、二度と彼にはそのような真似をさせない、と心の中で付け加える。
「では、そのように」
 さて、何処まで相手がそんな自分の心情に気づいているのか。
 そんなことを考えながら、バルトフェルドは歩き始めた。その後をアスランを中心にした紅服の三人が続く。
 周囲からアスラン・ザラに向けられる視線は好意的とは言い切れないものだ。だが、それすらも彼は気にかける様子を見せない。
「本当、たいしたオコサマだ」
 これがキラにだけではなく、もっと他のことにまで目を向けられるようになれば、あるいはこのくだらない戦争を終わらせるための大きな力になってくれるかもしれない。
 だが、今のままではその逆の働きしか彼はしないだろう。
「……さて、どう説得するべきかな」
 あっさりと切り捨てるには惜しい人材だ、と思う。
 それに、そんなことをすればキラが悲しむだろうことはわかっていた。彼女は少しでも交流があった人々を見捨てられる性格ではないのだから、と。
 そんな彼女もまた、戦争を終わらせるためには必要な存在だ。
 二人のうち、どちらがより必要な存在か、と言えば間違いなく《キラ》だろうとバルトフェルドは思う。
 彼女は、コーディネイターもナチュラルも区別することはない。そして、彼女の周囲の者たちもだ。そして、そこからさらにその輪は広がっていくだろう。
 その中には、イザークやディアッカの存在ももちろん含まれている。
 だから……とバルトフェルドは思うのだ。
 アスランもまた、その輪の存在を立ちきろうとするのではなく、中に入ってくれればいい、と。
「どのような難しい状況でも、何とかしてきたのが僕、だけどね」
 そうして手に入れてきたものが多い。
 いや、そうしなければ手に入らなかったものが多い、と言い直すべきなのだろうか。そして、その最たるものが《アイシャ》だ。その彼女と同じくらい――と言っても、相手に抱いている感情は全く別だが――手に入れたいと思っているのが《キラ》なのかもしれない。
「不可能を可能にする男、と言っていたのは、彼だったな」
 彼と出会ったのも、キラが縁だった。
 敵であるにもかかわらず、思わず気に入ってしまった相手の顔を思い出して、バルトフェルドは小さく笑う。
「もう少し時間があれば、彼らもここに残ってくれるように手はずを整えられたかもしれないんだがな」
 だが、それは今となっては不可能だ。
 ならば、とバルトフェルドは表情を引き締める。今、手元にいるものだけでも何とかしよう、と心の中で決意をした。それが、どれだけ難しい問題であっても、キラの笑顔という報酬が望めるのであれば、挑戦するに値すると判断する。
「その前に、盛大に本音をぶつけ合って貰おうかね、オコサマ達に」
 イザークが戻ってきてくれれば一番いいのだが、彼はキラの容態がわかるまで医務室を動かないだろう。
 だが、その代わりをディアッカがしてくれるのではないか。
 完全に出来なくても、彼が来るまでのつなぎにはなってくれるだろう。
 そして、もう一人……ニコル・アマルフィの出方も見なければならない。
 こんな事を考えているうちに、彼の視線の先には、基地として使っている建物の玄関が見えてくる。バルトフェルドは一瞬だけ視線を医務室の方へと向けると、そのままその中へと足を踏み入れた。



虎さんの回です。彼が口にしているのは鷹さんのセリフですね。何とか、不可能を可能にして欲しいです。