あれが自分たちの手の届く場所まで来ている。 今なら、あるいは……と思わずにはいられない。 可能性は少ないが、それでもあの体に触れることは可能なのではないか。 シャニはそう思う。 「どうせ、死ぬんだしさ」 だったら、最後に好きなことをして終わらせたい。 別段、死ぬことに関しては何とも思っていなかった。ただ、お仕置きと称してアズラエルに薬を取り上げられる苦しさがなくなるのは嬉しいかも、とシャニは心の中で付け加える。 「一回でいいから、あれ、抱きしめてみたいんだよな」 それができれば、後はどうでもいいや……と思う。それだけが、今の自分にとって幸せと繋がることなのだから。 「だから、もっと近くまで来いよ」 誰にも邪魔されずに、抱きしめられるように……とシャニは目を細める。 「一つぐらい、願いが叶っても、いいんじゃねぇ?」 彼の色違いの瞳は、キラだけを見つめていた。 その視線に気がついた、と言うわけではないだろう。だが、キラはしっかりとシャニ――フォビドォンへと視線を向けていた。その事実が無性に嬉しい、と思ってしまう。 「あんたなら……俺が消えても、覚えていてくれるかな?」 ふっとこんなセリフが唇からこぼれ落ちる。 だが、そうなればいいとシャニは直ぐに心の中で付け加えた。そうすれば、少なくとも《実験体》としての自分ではない存在を覚えていてくれる者が、一人はいると言うことだ。それが例えマイナスの感情だったとしてもかまわないし、とも。 「もっと近くに来いよ」 だから、早く……とシャニは微笑む。 それは幼子が母親に向けるそれとよく似ていた。 キラの姿を確認した瞬間、バルトフェルドは周囲の者たちに護衛を命じる。 「アンディさん」 しばらくして、イザークに肩を抱かれたままのキラが彼の前に姿を現した。その表情に疲れが滲んでいるような気がするのは、錯覚だろうか。 「大丈夫かい? 呼び出して悪かったね」 養い子に向かってこう問いかければ、 「いえ。皆さんよりは疲れていませんから」 と微笑み返してくれる。そう言ってくれるだろうとは予想していても、そこまで無理をしなくてもいいのに、とバルトフェルドは勝手なことを考えてしまった。 「それよりも、何かありましたか?」 どうやら、自分が呼び出したのには特別な理由がある、と彼女は考えているらしい。それに関しては否定するつもりもないが、ただ、本当の理由を知られれば他の者たちに袋だたきにあうかもしれない、と心の中で苦笑を浮かべた。 「あれらのね……OSが他のものとは微妙に異なっているらしいのだよ。で、プロテクトが堅くて、こちらからのアクセスが出来ない。もし中でパイロットが動けないようであれば問題だろう?」 だから、プロテクトを外して欲しい。バルトフェルドはこう口にする。 「それはかまいませんが……」 「三機全て、ですか?」 キラの言葉を遮るようにイザークが問いかけてきた。どうやら、彼はここに『キラがいる』という現状が気に入らないらしい。そんな彼の反応に、バルトフェルドは満足感を覚えた。 「いや。一機でかまわない。他の者については、キラ君の手順を参考にうちの者がやるよ」 ただ、時間が惜しいのでね……とバルトフェルドは眉を寄せる。 「君が見つけてくれたデーターからすれば……彼らは長時間薬物を摂取できないと、正気を保てないらしい。それに関する薬剤と研究者は既に抑えてあるからね。後は本人達だけだ」 そうすれば、きちんと保護できるのだが……付け加えれば、キラは何処かほっとしたような表情を見せた。本当に彼女は、誰かが傷ついたり苦しんだりすることがいやなのだな、とバルトフェルドは判断をする。 「保護、ですか」 だが、イザークはバルトフェルドの言葉の裏に複雑な事情というものを読みとったらしい。こう問いかけてきた。 「そう、保護だよ。まぁ、いろいろと事情がある、と言うことだ」 それに関しては、イザークはともかく、キラは知らなくてもいいだろう。彼女には、彼らの命が脅かせることはない、とだけ告げておけばいいか、と判断をする。 「少なくとも、彼らには生きていて貰わなければいけないんだがな。大人の事情という奴だが……」 だが、自分の責任で彼らにはきちんとした処遇を行うつもりだ、とバルトフェルドはキラを安心させるように付け加えた。 「そう言うことだからね。出来るだけ早くやってくれるかな?」 キラが自分の言葉をどう受け止めたのかわからない。だが、その表情は緊張で強張っていた。 「……わかりました……」 でも、パソコン……とキラは周囲を見回す。そんなもの、持ってこなかった……と彼女が小さな声で呟くのがバルトフェルドにもわかる。 「大丈夫。私が持ってきてあるよ」 次の瞬間、ダコスタが声をかけてきた。察しの良い彼は、バルトフェルドからの命令を聞いて気を利かせたのだろう。そう言うところが得難い部下だ、と内心で満足そうな笑みを浮かべる。 「ありがとうございます……後は、ケーブルを……」 つないでください……と言いながらキラは一番近くにある機体――フォビドォンを見つめた。 そのままゆっくりと歩み寄っていく。 当然のようにイザークがその傍らを歩いていった。 いや、彼だけではない。 今まで側で話を聞いていたアイシャもさりげない素振りで彼女の後を追いかけていく。 二人が付いていれば大丈夫だろうか。 そうは思うものの、今ひとつ不安を消すことが出来ない。その理由が何であるのか、バルトフェルドにはわからなかった。 ただ、同じ不安をフラガも感じているらしい。 と言うことは、鍛え上げられた《戦士》としての本能が何かを感じているのだろうか、とバルトフェルドは眉を寄せる。 「だが、今回の件に関してだけは、あの子以上に適任者がいないからな」 でなければ、わざわざキラをこんな危険な場所へと呼び出したりはしない。 自分も何かあれば直ぐに動けるように。そう思いながら、バルトフェルドは成り行きを見守っていた。 キラがパソコンを膝に抱えるようにして、整備兵が用意したいすに腰をかける。 そして、何事かを命じるためにイザークが彼女から視線をそらした時だ。 いきなりフォビドォンのハッチが開く。 バルトフェルド達がこう認識した瞬間、ハッチから飛び出してきた人影がキラに駆け寄る。 「キラ!」 「危ない!」 フラガとバルトフェルドの口からそれぞれ言葉が飛び出す。それにイザークが反応を見せた。 「貴様! キラから離れろ!」 そして、キラの体を抱きしめている相手のこめかみに銃口を押しつける。 「イザークさん!」 キラがそんな彼を制止するように名を呼んだ。 何故か、と思えば、相手はただキラを抱きしめて、その髪の香りをかいでいるだけらしい。自分に危害を加えていないのだから、そこまでしなくていいのではないか、とキラは訴えたいのだろう。 「……何なんだ、ありゃ……」 目の前の光景に虚をつかれたのだろう。フラガが呆れたように呟く声がバルトフェルドの耳に届く。 「僕に……聞かないでくれるかな?」 イザークに引きはがされようとしているのに、逆にしっかりとキラを抱きしめている相手にバルトフェルトにしてもどうしていいのかわからないのだ。 「シャニ! てめぇ!」 「一人だけ抜け駆けするんじゃねぇ!」 その上、同じように籠城していたはずの二人までこう叫んで飛び出して来るとは思ってもいなかったと言っていい。 「……ともかく、キラに危害を加える様子だけはなさそうだな」 「のようだねぇ……」 これでいいのか、と言うように、二人の唇からはため息がこぼれ落ちた。 シリアスなはずなのに……何処かコメディっぽく感じるのは気のせいでしょうか。 しかし、シャニ。ひいきされているだけのことはありますね。三人の中で一番の役得(苦笑) |