アスランもまた、狭いベッドの上で外から伝わってくる喧噪を感じていた。
 だが、それも彼の注意をひくものではない。それよりももっと気にかかることがあったのだ。
「……まさか、ラクスが……」
 あんな手段に出るとは思ってもいなかった。それがアスランの本音だ。
 自分はともかく、彼女は束縛から逃れるために婚約を了承したはず。アスランはそう考えていた。
 しかし、それを逆手にとって自分を縛り付けようと言うのだ、彼女は。
「完全に俺を縛り付けられる、とは思っていないだろうが……厄介だな……」
 結婚が決まっているのに下手にキラに接すれば、間違いなく、キラの方が『悪者』と判断されてしまうに決まっている。ある意味、自分たちの結婚は――アスランの望みではないとは言え――プラントにとって大きな意味を持っているのだ。
 もしそんなことになれば、周囲からキラが疎まれてしまう。今の彼女の体調にとってそれは大きなマイナスだ。
「それがねらいですか、ラクス・クライン」
 キラのことが大切であれば、彼女が望む通り《親友》でいろと。そう言いたいのだろう、ラクスは。アスランの感情を知っていながら、もだ。
「……だからといって、素直に貴方の思惑に乗せられる俺ではありませんよ?」
 このままでは、間違いなく、キラはイザークにひかれていくだろう、そして、イザークもまたキラに対する思いを募らせるに決まっている。
「そんなこと、認められるわけないだろう……」
 キラは自分の隣で微笑んでいるのがふさわしいのだ。
 他の誰かに向けてあの微笑みを浮かべるのは我慢できない。
 キラのあの笑みは自分だけのものだ。
 この気持ちを《執着》と呼ぶならそれでもいい。自分にはキラだけが必要なのだから、とアスランは小さく呟く。
「どう、してやろう……」
 今は大人しく命令に従うしかない。それはわかっている。
 だが、何の手も打たずにこの地を離れるのはいやだ。
 キラを諦める気は全くないのだから。しかし、そのための手段はもちろん、手伝ってくれる相手も見つけられない、というのもまた事実ではある。
 ここでは、自分は歓迎されていない。この事実もまた、アスランには気に入らなかった。
 幸い、時間だけはある。
 ぎりぎりまでその手段を考えよう。無機質な天井を見上げながら、アスランはそのために脳を働かせはじめた。

「本当にわからない人たちですね!」
 安全な場所へ戻った瞬間、アズラエルは通信機に飛びついた。そして、地球軍の上層部に向かってこう、怒鳴りつけている。
 彼の怒鳴り声を耳にしながら、シャニ達は必要な薬物を口にしていた。
 その瞬間、全身の中に広がり始めていた嫌悪感はかき消される。
 だが、とシャニは思う。
 一瞬だけ触れた《キラ・ヤマト》の存在も、この薬と同じように心地よい感覚を与えてくれた。それは、精神的なものだったのだろうか。
「あいつ、良い匂いがしたな」
 そして、柔らかかった……と言うことだけは間違えようのない事実だ。
「そうだったのか?」
 シャニの呟きをしっかりと聞きつけたのだろう。クロトが興味津々、という様子で問いかけてくる。
 いや、彼だけではない。
 オルガもはやり興味があると視線で伝えてきていた。
「手首、凄く細かった。でも、肩とか柔らかくて……髪の毛も良い匂いがした」
 あの男が邪魔をしなければ、ここでもあの匂いと柔らかさを確認できただろうか。いやそれ以上に、あの澄み切った菫色を飽かずに眺めていられたかもしれない。
「……やっぱ、さっさとあれを処分して、連れてくれば良かったんだ……」
 そうすれば、自分たちも同じようにあれを感じられたのではないか。クロトはそう悔しがる。
「だが、あれを殺しては、彼女がここになじんでくれたかどうか、わからないぞ」
 むしろ、恨まれたに決まっている、とオルガが口を開く。
「どうやら、彼女は一度気に入った存在は、最後まで大切にするタイプのようだ」
 だから、アズラエルですら強引に事を進めようとしなかったのではないか。この意見に、シャニも同意だと思う。
「そう言うけどさ。結局は同じじゃねぇの? これから、あいつらを攻撃して、彼女を連れてくるんなら」
 もっと多くの人間が死ぬことになるのではないか。
 クロトのこのセリフももっともなものだろう。だが、とシャニは心の中で付け加えた。
「おっさん、全軍、ここに集結させる気らしい……」
 そう。
 まさしく、アズラエルはそのことでもめているのだ。
 それも当然だろう。そうすれば、唯一彼らに残された本拠地であるパナマを無条件でザフトに明け渡すことになりかねないのだ。
 自分たちの作戦だったとは言えJOSH―Aを地球軍は既に失っている。そして、その目的はほとんど達成されていない、と言っていい。
 それもこれも、あの菫色の華奢な少女の存在故に、だ。
 だからこそ、アズラエルは躍起になって彼女を手に入れようとしているのかもしれない。
「……まぁ、俺らはおっさんの駒だから……言われたとおりにするだけだけどさ……」
 何処か醒めたような視線でアズラエルを見つめながら、クロトが口を開く。
「でも、あれはそんな俺らでも、きっと受け止めてくれるんだろうな」
 だから、アズラエルの命令がなくても手に入れたい。
 そう思うのはシャニもオルガも同じだった。

 どうして、自分も地球に付いていなかったのだろうか。
 手の中の写真を見つめながら、ラクスはそんなことを考えてしまう。
 側にさえいれば、アスランがどれだけ暴走をしようとも止められる自信がある。だが、これだけ距離があれば、それは不可能だ。
「でも……必ず、貴方を守って見せますわ、キラ」
 彼女の存在があったからこそ、自分は心に秘めていた計画を実行に移す勇気をえたのだ。
 それよりも何よりも、キラの存在はラクスやシーゲルをはじめとする者たちにとって間違いなく理想なのだ。
 そんな彼女の、本当にささやかな望みを叶えてやりたい。
 キラは今までに、十分すぎるほどの犠牲を払ってきたのだから。
「平和になったら、また一緒に歌ってくださいね」
 その日のために、自分は一時、心を封じ込めよう。ラクスはその決意を固めるとそうっとテーブルの上に写真を戻す。そして、そのまま立ち上がった。


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キラを巡る人々の思惑……でしょうか。ほのぼのじゃないです(苦笑)
と言いつつ、三バカはほのぼのしているのかな? 後ろのアズラエルさえいなければね(苦笑)ラクスは相変わらず怖いです、はい。実はラスボスはラクスなのかもしれませんね。