傀儡の恋
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背中を駆け上がっていくこの不快感は何なのか。
そう思いながらラウはベランダへと出る。
「……あの空は……」
おそらく、成層圏に近いところで戦闘が行われているのだろう。
しかし、いったい何処の手の者達だろうか。
「いったい、誰がこの平和を壊そうとしているのだろうね」
可能性があるとすれば《一族》か。
だからこそ、ブレアは自分を切り離したのかもしれない。万が一、今回の企てが失敗したときの布石として。あるいは、手に負えないような状況になったときの押さえとしてだろうか。
どちらにしろ、彼等はキラを戦場に引き出そうとしていると言うことだ。
「そうさせないために、私はここにいるのだがね」
いくら恩ある相手であろうと、これだけは譲れない。
「ブレアはどう考えているのやら」
小さな声でそうつぶやく。
彼の真意はいまだにはっきりとはわからない。それでもキラに危害を加えようとしていないことは事実なはずだ。
それでも命令をされたらどうなるのだろう。
「……ともかく、あれに関する情報を集めなければ」
もし、本当に戦闘が行われているのであればここにも火の粉が飛んでくる可能性がある。
もっとも、情報収集に関してはすでにバルトフェルド達が動いているだろうが。それでも自分でやらなければ落ち着かない。
「……それにしても、いやな色だね」
あそこでどれだけの命が消えているのだろうか。
かつてはそれを煽ったこともある自分が言うべきセリフではないのかもしれないが。
「また戦争になるのか?」
キラが悲しむね、とつぶやいたときだ。海岸線に向かってふらりと移動していく人影を見つけた。
ひょっとして、誰かが寝ぼけたのか。
一瞬、そんな思いが脳裏をかすめる。
だが、すぐそれを否定した。
子供にしては大きい。だが、大人よりは華奢な体躯はまだ少年と言っていいのではないか。
髪色が淡ければソウキスかとも思う。
だが、視界の中でゆっくりと移動していく人影の髪の色は闇に紛れそうなほど濃い。
「……キラ?」
すぐにそう思い浮かばなかったのは、無意識に彼を除外していたからだろう。いや、もっと正確に言えば、彼であってほしくないと思ったのだ。
「追いかけないといけないね」
せっかく良くなってきた彼の心の傷がまた開いてしまうかもしれない。
いや、そうでなかったとしても、自分がこの光景を彼に見せたくないのだ。
だから、とすぐに彼の後を追いかける。
海岸まで来たところでその背中に追いついた。
「また戦争が始まるのでしょうか」
ラウの気配に気がついたのだろう。振り向くことなくキラが問いかけてくる。
「どうだろうね」
言葉と共に彼のすぐそばまで歩み寄った。
「だが、それ以上に平和を望んでいるものは多いと思うよ」
ようやく大切な者達を失わずにすむ世界を手に入れたのだ。それが少しでも長く続いてほしいと願っているものは少なくないはずだ。
それは民衆の中に多い。
彼等の声を無視できるものがどれだけいるだろうか。
普通の為政者であれば難しいだろう。
だが、と心の中で小さなため息をつく。あの男ならばどうだろうか。
「後は、為政者次第だろうね」
本心を告げる代わりにこう言う。
「大丈夫。マルキオ様も動いてくださるよ」
少しでもキラを安心させるためにラウは笑みを浮かべる。
「もちろん、私も微力を尽くすつもりだ」
任せておきなさい。そう続ければキラは小さくうなずいて見せた。