「ダコスタ君、お水」
 ベッドに突っ伏している彼に声をかけながら、キラはわざとらしいため息をついてみせる。
「ありがとう」
 ダコスタもダコスタで――明らかに演技とわかるのだが――辛そうな仕草で腕を上げた。そして、キラの手からグラスを受け取ると、常備しているらしい胃薬を取り出す。
「二人とも……言いたいことがあるならはっきりと言ってくれた方がうれしいんだけどね」
 彼らのそんな様子に苦笑を浮かべつつバルトフェルドがこう言ってきた。もちろん、それは自分が悪いとわかっているからだろう。
「というか、驚いているだけです。隊長が、まさかあんなにだだっ子みたいな仕草をするとは思っていなかったので」
 そんな彼に、キラがこう言い返してきた。
「だから言っただろう? 隊長はキラの前でだけは格好をつけているのだと」
 キラが見ていないところでは、いつもこんなものだ……といいながら、ダコスタが薬を口の中に放り込む。
「……でも、安心できるかも」
 そんなダコスタに心配そうなまなざしを向けながらキラがこう呟く。
「父さんも……しっかりしているようで抜けてたし……」
 完璧な人なんていないから……とキラが付け加えたときだった。
「えっ?」
 いきなり背後に引かれる。キラがそう感じた瞬間、彼の体はバルトフェルドの腕の中にしっかりと抱きしめられていた。
「本当に可愛いね、キラは」
 何ていい子なんだ、と付け加えながら、バルトフェルドはキラの頬に自分のそれをすりつけている。その様子には、先ほどまでの不機嫌さはまったく見られない。
「……くすぐったいです! やめてくださいってば」
 がっしりと抱きしめられて逃げ出すことができないキラは必死にこう訴える。だが、それはバルトフェルドの耳には届いていないらしい。
「キラが来てくれて、本当によかったよ、今回は」
 逆にスキンシップが激しくなっていく。
「ちょっと! 隊長ってば!」
 ひげやもみあげが当たってくすぐったい。ついでにちょっと苦しいから放して欲しい、とキラは叫ぶ。
 ここまで言われては仕方がないのだろう。
 バルトフェルドは渋々腕の力を緩めた。
 だが、キラの体を腕の中から解放してくれる気配は全くない。どころか、その体を抱き上げると、膝の上に抱えるようにしてソファーに腰を下ろしてしまう。
「あの……バルトフェルドさん?」
 一体何を、とキラは彼の顔を見上げた。
「悪いね。しばらく大人しくしていてくれないか? 僕がもう少し冷静になれるまでね」
 そんなキラに、笑顔を向けながらこう言ってくる。その口調があまりに真剣なものだから、キラは黙って頷くしかできなかった。
「……隊長……」
 ダコスタもまた、まじめな口調でバルトフェルドに呼びかける。
「どんなに気に入らない相手でも、同じザフトの一員である以上、認めないわけにはいかない。それはわかっているのだがね。さすがにこちらの努力をまったく理解してくれない相手とは顔も合わせたくない、というのは事実だ。それが僕一人だけのことならともかく、実際に命をかけて行動しているのはダコスタ君を始めとする一般の兵士達だし……」
 何故、それがわからないのか……とバルトフェルドは忌々しそうに吐き出した。
「いっそ、全てを放り出してでも抗議をすればいいのだろうが、そうすればダコスタ君達が困ることになるし……僕としても、隊を見捨てたなどと言われたくないしね。アイシャとキラの二人だけなら、どんな状況でも守ってやれる自信はあるんだが……本当に厄介だね、あの男は」
 何か、一矢報いる方法はないのだろうか、と呟く彼に、キラはこのまま放っておいていいのだろうか、と思ってしまう。
 もちろん、彼の言葉が問題なのではない。何よりも自分たちのことを大切にしてくれていると彼の言葉から伝わってくるのだ。ダコスタに視線を向ければ、彼は嬉しそうに瞳を輝かせている。
 とはいうものの、くだらないことをバルトフェルドが考えつく前に何とかした方がいいだろうと言うこともまた事実だ。
「……いっそ、あの人が飲み物を頼んだときにお塩でも混ぜますか?」
 ドリンクサーバーにちょっと仕掛けをすれば可能だけど……とキラは口にする。目的の人物のIDを読み込んだとき、ただ一度だけ動作するようにすれば、不具合ですむのではないか、と。
「……キラ?」
「そりゃ、ちょっとシステムに細工しないといけないですし……」
 いけないことだとはわかっているが、とキラは付け加える。当然、バルトフェルドが怒るとかあきれるだろうと予想していてのセリフだったのだが……
「できるのかな?」
 だが、彼の口から出たのはこんなセリフだった。
「隊長!」
 キラと同じ事を考えていたのだろうダコスタが、驚愕を滲ませた声で彼に呼びかける。
「何、そのくらいのイタズラなら命の別状があるわけじゃないだろう? それに僕以外のみんなの気持ちも晴れるだろうしね。みんなを巻き込んでしまえばかまわないんじゃないかな」
 いっそ、司令官も抱き込むか……と人の悪い笑みを彼は浮かべた。
「……そこまで嫌われているの? あの仮面の隊長さん?」
「否定できないところが、ザフトの一員としては悲しいところだね」
 キラの問いかけに、ダコスタがため息混じりに言葉を返す。
「まぁ、こうなれば隊長命令だ……と言うことでキラにとばっちりが及ぶことはないだろうけど……」
 だけど、ザフトの隊長達がそんなイタズラを……とダコスタは頭を抱えてしまった。
「……僕、余計なことを言った?」
 バルトフェルドが最悪のことをしないように……と思って口にしたセリフがとんでもない事態を引き起こすことになってしまったのだろうか、とキラは不安になってくる。
「そんなことはないよ。むしろいいアイディアをくれたと思う。でなければ、本当に厄介な事態が持ち上がっていたかもしれないからね」
 いや、誰かが殺人未遂を起こしてもおかしくない……とまでバルトフェルドは口にした。それを耳にしたキラは、本気で会議中どんな会話があったのだろうかと思ってしまう。同時に、何をしてでもバルトフェルドが凶行に及ばないようにしないとまずいだろうとも。
 もちろん、他の隊長達がそんなことをしてもまずいのだろうが。
「と言うことだ。キラは、それのための準備をしておいてくれるかい? 僕は他の連中と打ち合わせをしてくるから」
 何、みんな諸手をあげて賛成してくれるよ……と言う言葉に、キラは直ぐに頷くことができない。むしろ彼の表情は本気でこわばっていると言っていい。
 だが、それにバルトフェルドは気づいていないようだ。
 キラの頬にキスをすると、その体を自分の膝の上から下ろす。そして口元に笑みを刻んだまま部屋の外へと出て行った。
「……ダコスタ君……本当にいいのかな?」
 その後ろ姿を見送りながら、キラは思わずこう呟いてしまう。
「隊長があそこまで暴走しているんじゃ……やって貰うしかないだろうね。まぁ、刃傷沙汰に及ぶ事を阻止したと言うことで、他の人たちには納得して貰おう」
 と言うより、自分が納得したいのではないか……とキラはダコスタの様子から判断をする。
「それにしても……隊長にあそこまでさせるなんて……その人、何て言ったわけ?」
 多少の事じゃあそこまでならないだろうとキラは口にした。
「……地上軍は……多少のミスをしても命に関わるようなことはないから、気楽でいいですな……だそうだ」
 確かにあれはかちんと来たな、とダコスタも声に微かだが怒りを滲ませる。
「そんなことを言う方なんだ」
 知らないくせに、とキラも少し怒りを覚えた。
「じゃ、遠慮しなくてもいいのかな」
「お手柔らかにな」
 キラのセリフに、ダコスタは苦笑を浮かべる。
「うん。知らない人にはわからないようにしておくよ。一回起動したらプログラム自体が消えるようにすればいいよね」
 彼の言葉に頷き返しながら、キラは頭の中でプログラムを組み立て始めた。