「……あの子供は?」
 執務を終えて戻ってきたバルトフェルドがアイシャにこう問いかける。
「まだ意識が戻らないわ」
 小さなため息と共にアイシャが言葉を返す。
「目を覚ましてもいいはずなんだけど……意識が現実を否定しているのかもしれないわ」
 それも無理はないだろうけど……と彼女は付け加える。
 あの後、一応少年とそれをかばっていたらしい女性らの身元を確認したのだ。その結果、こちらの要請に応じてオーブから出向いていた技師の家族だと直ぐに判明をした。
「……平和に暮らせると思ってくれたのだろうに……」
 そう言う目的……というわけではなかったのだが、とバルトフェルドはため息をつく。
 だが、あの施設に関してはオーブ以外に技術を持っているものはほとんどいない。いたとしても、その大半がレジスタンスに身を投じているのだ。
 オーブに技術協力を要請したとしても、来るのはすねに傷を持つものだろうとは思っていた。それでも『ナチュラル』を自分たちが優遇しているとわかれば、彼らもあるいは……と思っていたこともまた事実。
 そんな中、応募してくれたのは願ってもない人物だった。それがどうして……と思えば、子供が第一世代のコーディネーターだと。少しでも彼のために、と選択してくれた結果がこれか……と思うと本気で申し訳ないとも思う。
 失ってしまった命はいくらコーディネーターでも取り戻すことはできない。
 ならば……せめてこうして生き残った者だけでも、と思うのは僭越なのだろうか。
「そう思ってもらえるくらい、あなたががんばっていたって事なんでしょ」
 そして、その思いを貫いていけば、きっと……とアイシャは付け加える。
「だといいのだが……」
 少なくとも、自分の浅慮が彼から両親を奪ってしまったのは事実だ、とバルトフェルドは呟く。同時に、そうっと手を伸ばして少年――キラの髪をそうっと撫でる。
「少なくとも、彼にだけは……」
 その柔らかな髪の感触がさらにバルトフェルドの良心を刺激した。
 覆水盆に返らずとは言え、彼には罪は全くないのだから……
「だったら、なおさらがんばらないと……少なくとも、この地域からは戦闘を排除するぐらいできるでしょう?」
 それに、彼の両親を殺してまだ逃げ続けているものの捕縛も、とアイシャは彼に告げた。
「そうだな。彼がそれを望むかどうかはわからないが、復讐をする相手ぐらいは必要だろう。その権利はあるのだし」
 兵士達の志気も変わってくるだろうとバルトフェルドは納得したように頷く。そしてそのままきびすを返した。
「アンディ?」
 休んでいかないの? とアイシャが彼の背に問いかける。
「少しでも早い方がいいだろう? 彼が目覚める前に全ての準備を終わらせてしまいたいしな」
 それに、何かをしていないと落ち込みそうでね……という彼の言葉をアイシャが信じたのかどうか。
「そう言うことにしておいてあげるわ」
 ふわっと微笑むと、こう口にしただけだった。

 それから一週間後だった。キラが目覚めたのは。
「少年が目覚めたって?」
 大きな音と共にドアが開かれた。そう思った次の瞬間、バルトフェルドが部屋の中に飛び込んでくる。
「ダメよ、そんなに大きな音を立てちゃ!」
 だが、そんな彼の耳にアイシャの怒鳴り声が届く。
「……アイシャ?」
 即座に飛んできた声に、バルトフェルドは思わず動きを止めた。彼の視線の先では、アイシャが胸の中に何かを抱き込んでいる。
「どうやら、あの時のショックがまだ抜け切れていないようで……大きな音には過敏に反応をしてしまうのですよ、彼は」
 彼の疑問に答えを返したのは側に控えていたドクターだった。
「そ……うか。それはすまなかったな」
 彼の意識が戻ったことだけしか頭になかったよ、とバルトフェルドは素直に謝罪の言葉を口にする。
「そう言うところがアンディのいいところでもあるんだけどね」
 言葉と共にアイシャがかすかに腕の力を緩めた。そして、キラの顔をその隙間から覗かせる。
「こういう人なの。子供みたいでしょ?」
 だから許してやってね……というアイシャの言葉を聞きながらも、バルトフェルドは怒ることもできない。いや、正確に言えばキラの菫色の瞳に魅入られていたのだが。
「そうか……その色だったのか」
 思わずこんなセリフがバルトフェルドの口からこぼれ落ちる。
「何の話?」
 いきなり何を……とアイシャが彼に不審そうな視線を向けた。
「彼の瞳の色だよ。それだけは今まで見ることができなかったからね」
 綺麗な色だな、とバルトフェルドは感心したように呟く。
 それにアイシャは仕方がないというようにため息をついて見せた。
「ともかく、彼を脅かさないようにね。でないと、いつまで経ってもこうやって怖がるばかりよ」
 多分、トラウマが残る可能性は否定できないから……とアイシャは口にする。カウンセラーでもある彼女がこういうのであれば、間違いないのだろう。
「……わかったよ。極力、この近くでは戦闘を行わないようにしよう」
 だから、もう少し警戒を解いてくれると嬉しいな……とバルトフェルドが微笑む。それにキラはもう少しだけアイシャの腕の中から顔を出す。
「そうそう。そうしてくれると嬉しいな」
 そんなキラの仕草にバルトフェルドは目を細めた。
「ついでに、アイシャだけではなく僕にも甘えてくれると嬉しいんだが……そこまで一足飛びには要求できないか」
 その前に体の方も治しておかないといけないだろうし……と言いながら、バルトフェルドは視線をドクターの方へと向けた。
「そうですね……怪我だけでしたら後一週間ほどで完治するでしょうが……ただ、動かさなかった筋肉が元通りになるまではもう少しかかりますな」
 他にもあれこれ不具合が出るだろうと彼は告げる。
「それに関しては、私が面倒を見るわ。いいでしょう?」
「もちろんだよ、アイシャ。僕も出来る限り顔を出すようにしよう」
 ついでに、彼が許してくれるなら、いえの周囲も案内してあげようと付け加えた。その方が気分転換になるだろうと。
「君はね……幸せになる権利があるのだし、僕たちには君を幸せにしなければならない義務がある。だからね。一緒に暮らしてくれるかな?」
 この言葉に、キラは直ぐに返答を返してこない。だが、それでもいいとバルトフェルド達は思っていた。
 彼の中で、まだ整理が着いていないのだから、と。
「だからね。ゆっくりと物事を進めていこう」
 バルトフェルドのこの言葉に、キラは初めて小さく頷いて見せた。