珍しくも平穏といえる日々が続いていた。それがキラだけではなく、他の者たちの精神状態にも良い影響を与えている。
「……街に出てみるかい?」
 モラシムから回されてきたプログラムを作っていたキラの背に、バルトフェルドがこう声をかけた。
「でも……」
 その声に手を止めると、キラは彼を振り向く。仕事がまだたまっていると、彼は付け加えた。
「あら、行っていらっしゃいな。ついでに買い物を頼みたいし」
 そんなキラの耳に、バルトフェルドに味方をするようなアイシャの声が届く。
「それに、たまにはおやすみをしないと、パンクしてしまうわよ」
 ね、と言いながら、彼女はまっすぐにキラの顔を覗き込んできた。ここしばらく、休暇らしい休暇を取っていないだろうと。それは本人も自覚していたのか、キラはふっと視線をそらす。
「と言うことでアンディ。強制的に休暇を取らせても罰は当たらないのでしょう?」
 くすりと笑い声を漏らしながら、アイシャがバルトフェルドに視線を移した。
「もちろんだとも。隊長である僕がいいと言っているんだからね」
 そして、休暇はすべての者に認められている権利だ、と彼は付け加える。
「いやだというのならね、キラ。命令だよ。今日一日僕に付き合うこと」
 これならいやとは言えないよな……とバルトフェルドが笑う。
 こうまで言われては、キラとしても逆らうことができない。公私混同じゃないかという思いがないわけではないが、元々彼と出かけることに関しては『いや』だとは思っていないのだ。
「……はい……」
 それでも本当にいいのか、と言うようにためらいながら頷いてみせる。ダコスタあたりからそれを指摘されては、バルトフェルドが困るのではないか、と。
「キ〜ラ! 何でもそんなに心配しないの。ここはアンディが支配している場所でしょう? 街の様子を見てくるのも、彼の仕事。でも、ザフトの『バルトフェルド隊長』だと気づかれては意味がないわ。でしょう?」
 だから、普通の親子のマネをして目立たないようにして欲しいの、とアイシャがキラに声をかけた。そう言う理由なら納得してくれるでしょう、と。
「そう言う、事なら……」
 わかりました、言いながら、キラは今作っていたデーターを保存するとパソコンを終了させる。どこか、ほっとしたような色がその顔に浮かんでいた事に二人はしっかりと気づいていた。
「と言うことだから、着替えておいで」
 それから出かけよう、とバルトフェルドは笑う。
「と言っても難しく考えるんじゃないよ。普通の服でいいからね」
 この言葉にキラは頷くと、言われたとおり着替えるために自室へと向かった。普通の服でいいと言われたので、ジーンズと淡い水色のTシャツをクローゼットから取り出す。手早く作業着からそれに着替えて廊下に出れば、ダコスタとぶつかりそうになってしまった。
「すみません」
 とっさにキラの口からこんなセリフが飛び出す。
「いや、いい。私も注意を怠っていたしな」
 そんなキラに、ダコスタが笑いかけてきた。だが、直ぐにその表情が引き締まる。
「これを君に渡しておこうかと思ったんだよ。隊長達と一緒に出かけるのであれば、必要はないと思うが……万が一のためにね」
 こう言いながらダコスタがキラに差し出してきたのは、間違いなく銃だった。それを見た瞬間、キラの表情に嫌悪――と言うよりは恐怖だろうか――の色が浮かぶ。
「あぁ、心配いらない。これには殺傷能力はない。単に、相手を動けなくするためのものだから」
 子供が持っているおもちゃと変わらない、とダコスタは直ぐに説明の言葉を口にする。
「……でも……」
 銃と見えるモノを持っているだけでもいやなのだ、とキラは思う。だが、それを彼に告げたところで理解してもらえるだろうか、とも。
 使い方によっては、これでも十分人を殺せるのではないだろうか。
 そう思うだけで、呼吸が苦しくなってくるのだ。
 そのキラの体が不意に横から引っ張られる。そうキラが認識した瞬間、強い腕が彼の体を抱きしめた。
「ダコスタ君。キラにそんなモノを持たせるんじゃない」
 厳しい声が上から降ってくる。だが、キラにとってはそれは優しいと感じられるものだ。
「ですが……」
「君がキラのことを心配して、精一杯知恵を働かせてくれた、というのは理解するが……この子の心はまだ『武器』を『他人』に向ける、と言うことには耐えられないのだよ」
 かなり落ち着いたとは言えるが、まだ、生身の人間相手は無理だ、と。
「第一、僕が着いていて、キラを危険にさらすと思っているのかな? 他にも、どうせ君たちのことだから、ちゃんと護衛を配置しているのだろう?」
 なら、余計に大丈夫だ、と彼は口にする。それはダコスタに告げると言うよりは、キラに聞かせるためのものだった。
「彼らの多くが君よりもキラのことを知っているからね」
 一番最悪の状態だったキラを、とバルトフェルドが言う。
「わかりました。勝手なことをして申し訳ありません」
「だから、キラのためなのだろう? だから、怒るつもりはない。ただ、この子の状態を君が知らなかっただけだ」
 知りたければ、アイシャに聞けばいい、とバルトフェルドは付け加える。
「そうですね。隊長がお出かけになっている間にそうさせて頂きます」
 知らないことが言い訳になるのは一度だけ。二度目はないとダコスタは経験から知っていた。だから、彼はきっぱりとこう言い切る。
「そう言うところが君を気に入っている理由でもあるからね。がんばってくれたまえ」
 ダコスタに対する威圧を消すと、バルトフェルドはこういった。同時に、キラの体を解放する。それで、ようやくキラは彼がどのような服装をしているのか見ることができた。
「……あの……それ、本気ですか?」
 確か彼は目立たないように……と言っていたのではないか、とキラは思う。しかし、今のバルトフェルドの服装はとてもそれを実践しているとは思えない。
「もちろんだとも。何、心配しなくていい。この方が僕だとばれないからね」
 それは絶対嘘だ、とこの言葉を聞いた瞬間、キラは思う。逆に自分の存在を誇示していつようにしか思えないと。だが、それだからこそ護衛兵を側に置かずに自由に出歩けるのかもしれない、ともキラは考えた。この地で、彼に手出しをすることは『自殺行為』だと言っていいのだろうから。
「それに、あそこはここ以上に人が多いからね。このくらい派手でないと君がはぐれたときに困るだろう?」
 くくっと笑いながら、バルトフェルドはキラをからかうようにこう声をかけてきた。
「どうせ……」
 キラがむっとしたような表情を作る。
「からかっているわけでも馬鹿にしているわけでもないよ。単に、あそこは人が多いからね。最近、君はそんなに人が多い場所に行ったことがないだろう?」
 人酔いするかもしれないと思ってね、とバルトフェルドが慌ててキラに説明した。
「アイシャがその可能性があると心配していてるんだよ」
 だからといって、いつまでもここに閉じこもっているわけにもいかないだろうと。
「と言うことだ。納得したね?」
 バルトフェルドの言葉にキラは頷く。
「では、出かけようか。アイシャから買い物のリストも預かってきたし……これを買いそろえるだけでも一日かかりそうだよ」
 本当、女性はどうしてこう細々とそろえなければらないモノを見いだすのか、とバルトフェルドはわざとらしい口調で言う。それにキラは笑うべきなのかそれとも納得するべきなのか、本気で悩んだ事は言うまでもないだろう。
「……頼むから、私に聞かないでくれよ……」
 キラが助けを求めるまえに、ダコスタがこう口にする。
 困ったように小首をかしげたまま、キラはバルトフェルドに引っ張られるようにして歩き出したのだった。