陽炎

「……サハラに行こうか……」
 急にこう言い出した父親に、キラは驚いたような視線を向ける。
「あなた?」
 それは彼の母親も同じだったらしい。どうして急に……という思いを込めて彼女も彼に呼びかけた。
「中立国とは言え……ここでも結局は差別がなくならない……キラにとってはあちらの方がいいと思うんだ」
 不安そうに体をすり寄せてきた息子の頭を撫でてやりながら彼は微笑む。
「……でも、父さん……」
 確かにサハラは現在、ザフトの勢力下にある。それはコーディネーターであるキラにとっては過ごしやすいと言うことになるだろう。だが、両親はあくまで『ナチュラル』なのだ。
 そして、ブルーコスモスのテロも。
 第一、父の今までの実績が無に帰してしまうのではないだろうか。キラはそう思って彼を見上げる。
「大丈夫だ。あちらからオーブに技術協力を受けたいという申し入れがあったのだよ。それがたまたま私の専門分野で、こちらでの経歴を捨てるものではなかったからね」
 だから、キラが心配しているようなことはないのだ、と彼は笑みを深めた。
「それに……」
 そのままいたずらっ子めいた表情でこう言葉を区切る。
「それに?」
 キラが小首をかしげつつ、次の言葉を促す。
「ザフトの勢力下であれば、アスラン君の居場所を探すのも楽になるかもしれないぞ」
 わざとらしく声を潜めると、父はキラにこう囁いた。
「父さん!」
 その言葉に、キラは弾かれたように顔を上げる。
「父親を甘く見てはいけないよ」
 そんなキラの反応に父はさらに笑みを深めた。
「君があちらこちらにハッキングをしてアスラン君の居場所を探していたのは知っている。そんな危険な方法をとらなくても、あちらに行けば堂々と探せるだろうね」
 ザフトに知り合いができればなおさら、と告げる父の首筋に、キラは思わず抱きつく。
「父さん、ありがとう」
 でも、それで本当にいいのか……という思いもキラの中にはある。
「……それはいいんだけど……お野菜って手にはいるのかしら……」
 だが、それを口に出すよりも先に、母がこんなセリフを口にした。
「……お母さん?」
「だって、お肉だけじゃ栄養に偏りが出るわ。それに、手に入る野菜が違うのであれば、レシピも考えなければならないでしょう?」
 返された言葉に、キラだけではなく父までも脱力感を覚えてしまったようだ。同時に、料理が趣味といえる彼女らしいセリフだとも思う。
「ともかく、まだ確定ではないからね。他にも行きたいという相手がいれば調整という形になる」
 もっとも、わざわざ危険の中に飛び込もうという者が他にいるかどうか……と父は付け加えた。
「……僕がコーディネーターでなければ……父さんにも母さんにも迷惑をかけなかったんだよね……」
 口に出すつもりはなかったはずなのに、ついつい声に出てしまったセリフ。
「キーラ」
「お前をコーディネイトしたのは私達だよ。なら、全ての責任は私達が負わなければいけない……と思わないのかな、お前は」
 両親のあきれたような声がキラの耳に届く。
「だからね。キラは自分がコーディネーターであることを恥じてはいけない。むしろ、胸を張りなさい。そして、可能ならばコーディネーターとナチュラル、二つの種族の架け橋になるんだよ」
 せめて、これから向かう場所だけでもいいから……と付け加えた父の言葉に、キラは小さく頷いて見せた。

 ある意味、これがキラにとってまどろみのような両親の愛を感じることができた最後の瞬間だったかもしれない……

 目の前に広がる爆炎。
 耳に届くのは断末魔の悲鳴だろうか……それとも、苦痛のうめきか。
 そして、血のせいではっきりとしない視界の中に映し出されているのは、自分をかばって体の半分を吹き飛ばされた母とその母を抱きしめていた父の腕だけ。
「……父さん……母さん……」
 絞り出すようにして口にした声も、囁きにしかならない。
 どうして……とキラは思う。
 これから、自分たちは新しい生活を始めるはずだったのに。
 希望も、楽しい計画もたくさん抱いていたのに……とキラは涙をこぼす。
 ただ一発の爆弾が、それを全て打ち壊してしまった……と。
 それを行ったのは、両親と同じナチュラル達。
 この車に乗っていた多くの者は、オーブから派遣されたナチュラル達なのに、どうして同じ彼らが攻撃を加えてきたのだろうか。
 でも、それを考える気力ももうない。
「僕も、父さん達と一緒に逝くのかな……」
 だとしたら、あちらでまた一緒に暮らせるだろうか。それとも、コーディネーターの子供なんてらないと言われるのだろうか。
「……待っててくれると、嬉しいな……」
 アスランにもう会えないのは辛いけど……と心の中で付け加えながら、キラは小さくため息をついた。
 そのまま、母の体を抱きしめていた腕を脇に放り出す。
 指先が何かガレキに触れた。
 ばたんと音を立ててそれが倒れる。
「……誰か、生きている者がいるのか?」
 その時だった。誰かがこう言っている声が聞こえる。
「見てくるわ」
 それに続いたのは、柔らかな女性の声。
「気をつけろよ。ブルーコスモスの馬鹿が潜んでいるかもしれない」
「大丈夫よ」
 同時に、軽やかな足音が近づいてくる。
 キラの視界に、艶やかな髪と唇が印象的な女性が現れた。
「……てんし、さま?」
 思わず、キラはこう呟いてしまう。だったら、父さんたちの所に連れて行ってください……と。
「アンディ!」
 彼女の唇から悲鳴がこぼれ落ちる。それを耳にしながら、キラの意識はゆっくりと闇の中へと落ちていった。