痛いほどの静寂が、デッキ内を支配する。
「……キラ!」
 それを打ち破ったのはアスランの叫び声だった。
「僕……」
 てっきり、と言う言葉は、アスランの胸に吸い込まれる。それから微かに顔を浮かせて周囲を確認すれば、どうやら、誰かが相手を止めてくれたらしい。男は肩から血を流しながらゆっくりと漂っていく。そんな男に、他の者たちが素早く近づき、拘束をした。
「無事だな、キラ?」
 その事実にほっとため息をつくと同時に、穏やかな声がキラ達の耳に届く。
「隊長……」
 その手には、まだ銃が握られている。と言うことは、彼がキラを救ってくれたのだろう。
「申し訳ありません」
 本来であれば、彼の手を煩わせるべきではなかったのに、とキラは言外に口にする。
「仕方があるまい。誰も、このヴェサリウス内でお前を傷つけようとする者がいるなどとは考えていないのだからな」
 そんなことでは気が休まる間がないだろう……と言う言葉はもっともなものだ。そして、誰もそうなるとは思っていなかったはず。
「では、何故……」
 アスランがキラを抱きしめる腕にさらに力を込めながらこう呟く。
「わからん。まぁ、後でじっくりと聞かせて貰えばいいだけのことだろう」
 こう言いながら、クルーゼがうっすらと微笑む。その笑みの裏に隠されている感情に、キラはしっかりと気づいてしまった。いや、彼だけではない。アスランも何かを察したようだった。
「それについて……隊長にご相談申し上げたいことがあるのですが……」
 彼はしっかりとした口調でこう告げる。
「わかった。ただし、あちらを先にしていいかな?」
 言葉と共に視線をクルーゼは例の機体に向けた。その中にはラクスと彼――そして、彼女――がまだいるはずだ。地球軍のMAのコクピットがどのようになっているかはわからないが、決して広いとは思えない。
「……ラクスが怒ると怖いですからね……」
 キラは小さなため息と共にこう告げる。
「知り合い、なのか?」
 一瞬の間を置いてアスランがこう問いかけてきた。
「僕がヘリオポリスに行く前、少しの間だけだけど彼女の護衛に付いていたときがあったんだよね」
 それで顔見知りなのだ、とキラは教えてくれる。だが、不意におかしいという表情を彼は作った。そのまま小首をかしげながらキラはアスランを見上げる。
「って、知らなかったの?」
 婚約者だって言っていなかったっけ? と問いかければ、アスランは苦笑を浮かべた。。
「ほとんど形式的なものだし……ほとんど顔を合わせる機会がなかったからね」
 ラクスが忙しかった、と言う理由も否定できないけど、とアスランは付け加える。
「なるほどね」
 それなら納得、といいながら、キラはアスランの腕から抜け出そうとした。だが、アスランは解放してくれようとはしない。
「アスラン……一応婚約者の前でしょう?」
 それに、さすがに人目が気になる、とキラは彼を睨み付けた。しかし、まったく気にする様子を見せない。
「大丈夫だって。さっきのことがあったばかりだしね」
 それに、自分は知られてもかまわないのだ、とアスランは言い切る。
「第一、ラクスも割り切っているからね」
 自分たちの関係が表向きだけだ、と言うことは……と付け加える彼に、キラはわざとらしくため息をついて見せた。
「何があっても知らないよ、僕は」
 ラクスとあの人だけならともかく、もう一人《爆弾》がいる可能性も否定できないのに、とキラは心の中で付け加える。
 それを口にしないのは、アスランに対するせめてもの情けだったのかもしれない。それとも、教えた方がいいのだろうか、ともキラは悩んでいた。
 その間にもアスランはキラを抱きしめたまま移動を開始する。二人の前にはクルーゼの白い軍服が見えた。
 彼は床に着地すると同時に、周囲の兵に下がるように指示している。
 キラ達もそれに遅れるようにして彼の背後に着地した。ここでようやくアスランはキラを解放してくれる。
「悪い、キラ」
 さらに、ミゲルとラスティもまた近寄ってきた。
「すぐに動けなかった」
 気づいていたのだが、とラスティが頭を下げてくる。
「気にしなくていいよ。僕も動けなかったして……無事だったから」
 万が一、クルーゼに怒られるときは一緒にね、と付け加えれば、彼は苦笑混じりに頷いて見せた。
「それにしても、一体……」
 どうして、とアスランが口にしようとするのを遮るかのように、
「もう、出てきても大丈夫だ」
 クルーゼが呼びかける声が響く。
 それを待っていたのだろうか。
 機体の上部にあるハッチがゆっくりと開かれる。
 真っ先に現れたのは、特徴的な色のパイロットスーツだ。その体躯からクルーゼと同年代の男性だとわかる。
 地球軍のそれに、周囲の者たちは反射的に身構えてしまった。
「ムウ兄さん!」
 だが、キラだけはこう言って彼に向かって呼びかける。そうすれば、相手はヘルメットを外した。
「大丈夫だな、キラ。しかし、何でお前が襲われるんだ?」
 そいつのとばっちりか、といいながら、フラガはひらひらと手を振ってみせる。だが、すぐに何かに気がついた、と言うように視線を伏せた。そして、機内に手を差し伸べる。
 次の瞬間現れたのは、華やかなピンクの少女。
 それが誰かなどと問いかける者は誰もいない。
「ラクス様、ご無事で何よりです」
 クルーゼが笑みと共に声をかければ、彼女はふわりと微笑んだ。
「みなさまもご苦労様でした。私は無事ですわ」
 彼女の言葉が周囲に響いた瞬間、自然と歓喜のどよめきが上がる。誰もが、彼女の無事を祈っていたのだ。それは《ラクス・クライン》がコーディネイターにとって平和の象徴だからだろう。
 しかし、事態はそれだけでは終わらない。
 もう一つの人影がコクピットから姿を現したのだ。
「嘘だろう……」
 それが誰かを確認すると同時に、アスランがこう呟く。
「誰?」
 知り合い? とラスティが口にした瞬間だ。
「アスラン・ザラ!」
 その人物がアスランの名を口にする。その声から、相手が少女だ、と知られた。だが、とてもそのセリフは少女のものとは思えない。
 そう思っているうちにま、少女はアスランへとまっすぐに向かってくる。
「キラを守ると言ったのは、何処の誰だ! この腰抜け!」
 アスランを罵倒する声が周囲に響き渡ると同時に、少女の拳がアスランの頬にめり込んだ。



やっと、書きたかったシーンまで辿り着きました。アスラン哀れ……なのかもしれませんが、書いている本人は楽しんでいるから良いことにしてください。