戦闘のためでなければ、ストライクに乗り込むことは苦ではない。
 キラはコクピットの中でスロットルを握りながらそんなことを考えていた。
『キラ? 大丈夫だね?』
 そんなキラの耳に、クルーゼの声が届く。その中に、心配そうな響きが含まれている、という事実に、キラは苦笑を浮かべる。
「大丈夫です」
 それでも彼を安心させるようにこう口にした。
『ならばいいが……無理はしなくていいのだからね』
 この言葉にキラはさらに苦笑を深める。そんなに自分は頼りなく見えるのだろうか。それとも、彼にも信頼されていないのか。だとしたら悲しいな……と思いつつゆっくりとストライクの向きを変える。
 友人達がいる以上、自分だけ逃げ出すわけがない。いや、そもそもクルーゼ柄逃げ出したいなんて考えるはずがないだろう……とも心の中で呟いた。
 その時だ。
 何かが視界の端をよぎる。
「……人工物?」
 デブリだろうか。そう思いながらも、キラはゆっくりとセンサーをでそれを探査した。そうすれば、それが何か小さな球体――とは言っても、ストライクと比較してだ――だとわかる。しかもだ。微弱ながら救命信号らしきものを発していた。
「故障、しているのかな」
 だから、信号が微弱で離れたところからではキャッチできなかったのだろうか。
 そんなことを呟きながら、キラはそれにストライクを近づけていく。
「こちら、ストライク。キラです」
 同時にヴェサリウスへと通信を入れた。
『こちらヴェサリウス。どうした?』
 そうすれば、即座に声が返ってくる。
「救命ポットらしきものを発見しました。映像を送りますので、確認して頂けますか?」
 その相手に向かってキラはこう問いかけた。
『了解』
 自分の言葉で、ヴェサリウスのブリッジ内でざわめきが起きたことにキラは気づく。その理由を考えるよりも先に、確認してもらわなければいけないな、と思って、映像を送信した。
『キラ、ご苦労だったね』
 しばらくして、満足そうなクルーゼの声がキラの耳に届く。
『それを確保して、帰投してくれるかな?』
「はい」
 彼の言葉に返事をすると、キラはストライクでそれをそっと掴む。
 そう言えば、こうするのは初めてはないな、とキラは心の中で呟く。
 フレイ達をアークエンジェルに保護したのも、元はと言えば、自分が彼女たちが乗った救命ポートを発見したからだ。
「僕には、本当に拾いものの才能があるのかな」
 そう言ったのはバジルールだった。
 もう、その日々も遠くなってしまったけど。
 すぎてしまえば、あの日々も思い出に変わってしまった。
 きっと、いつかは思い出しても微笑むことができるようになるのではないか。
 こんな事を考えながら、キラはそれをストライクの腕で抱えるようにしてヴェサリウスへと帰投した。

 救命ポットの周囲を大勢の人間が取り囲んでいる。その人波からはずれて、キラは与えられた部屋に戻ろうとしていた。
「どこに行くのかね?」
 そんなキラの体を力強い腕が抱き留める。
「……兄様」
 だって……と口にしながら、キラは彼の顔を見上げた。自分はザフトの一員ではないのだから、と。だから、この場にいない方がいいだろうと思ったのだと付け加えた。
「気にすることはない。むしろ、いてくれた方が、後々楽なのだよ」
 それにね……と彼は楽しげに付け加える。
「ラクス嬢はアスランの婚約者だからな。キラとも話が合うだろう」
 この言葉に、キラは思わず目を丸くしてしまう。
「アスランの……婚約者?」
 そんなこと、彼は一言も言っていなかったのに……とキラは呟く。そうすれば、クルーゼは意味ありげな笑みを浮かべてみせる。
「ともかく、最大の功労者が側にいなくては意味がないだろう?」
 キラの体を半ば抱え上げるようにして、クルーゼは移動を開始した。
「兄様!」
 その腕から逃げ出そうとすることは無駄だ、と言うことをキラは知っている。しかし、自分の意見も聞いてくれてもいいではないか、と思うのだ。
「アスランは?」
 キラの言葉を綺麗に無視をしてクルーゼはこう問いかけている。
「今、こちらに向かっているそうです。待ちますか?」
 やはり、この場に彼がいた方がいいのだろうか、という意図が見え隠れしていた。ということは、本当にアスランの婚約者がこれに乗っているのだろう。とキラは思う。
「その必要はないだろう。先に楽にすごして頂ける場所に移動して頂いた方がいいのではないかね?」
 開けたまえ、と指示を出す。それに待ちかねたというように整備クルーが救命ポットにとりついた。そして、ロックをはずす。
「ミトメタクナ〜イ!」
 次の瞬間、何とも間抜けな声と共にピンク色をした何かが飛び出してきた。
「トリィ?」
 それに呼応するかのように、キラの肩でおとなしくしていたトリィが鳴き声を上げる。その瞬間、それがキラ達の方向へ目的を変更したような気がするのは偶然だろうか。
「おやおや」
 それをクルーゼが難なく片手で捕まえたときだ。
「ご苦労様です」
 涼やかな声と共に人影がポットの中から飛び出してきた。
「ピンクちゃん?」
 そして、途中で止まると、何かを探すように周囲を見回す。
「ハロハロ〜〜!」
 そんな彼女に向かって、クルーゼの手の中のそれが返事を返すかのように声を出した。その反応は、やはりトリィに似ているような気がしてならない。
「ご無事で何よりですな、ラクス様」
 クルーゼが穏やかな口調でこう呼びかけた。
「助けて頂いてありがとうございます。クルーゼ隊長」
 そうすれば、少女は愛らしいとも言える微笑みを浮かべつつ近寄ってくる。その視線が、キラへと向けられた。
「ところで、そちらの方はどなたですの?」
 教えて頂けまして? と微笑む彼女に、
「貴方を救出したパイロットで、私の婚約者です」
 クルーゼがきっぱりと告げる。
「まぁ、そうですの?」
 満面の笑みと共に自分の顔をのぞき込んでくる少女が、どこかフレイに似ているように感じられたのは、キラの気のせいか。
 その答えはすぐに出てしまった。

 数時間後、意気投合した二人が、喜々としてキラで遊び始めたのだ。

「……でも、キラなら……もう少しシンプルな方が似合うと思うのよね」
 どこかうきうきとした口調でフレイが言葉をつづる。
「そうですわね……私やフレイ様と違って、キラ様はその方がお似合いになりますわね」
 すらりとしていて華奢でいらっしゃるから……とラクスも頷いた。
「本当に……オトコノコの恰好の方が似合っていたのも、そのせいよね」
 もっとも、その事実に気が付かなかった連中も多いけど……とせせら笑うようにフレイが口にする。特に、あの男が気が付かなかったのは幸いだったかもしれない、とも。
「フレイ……」
 黙って話を聞いていたキラは、思わず口を開いてしまう。
「それって……大尉のこと?」
 それとも、他の誰かのことだろうか。そう思いながら、キラは問いかけた。
「もちろん、大尉よ!」
 もっとも、それ以上に気に入らない存在がいることは否定しないが……とフレイが呟く。それが誰を指しているのか、キラにはわかってしまった。
「フレイ……」
 ため息混じりにキラは彼女の名を呼ぶ。
「なぁに、キラ」
 そうすれば、彼女は即座に言葉を返してくる。しかし、その言葉の裏に、忙しいのに……と言う別の声が被さっていることもキラは気付いてしまう。
「ラウ兄様、そんなに、嫌い?」
 一度、本気で確認しておかなければいけない……と思っていたのだ。今がそのチャンスかもしれない、と判断して、キラは問いかける。
「嫌いって言うより、うさんくさいの! 素顔も見せられない相手なんて!」
 悪い人じゃないとは思うわよ……とフレイは付け加えた。でなければ、こうして自分を自由に出歩かせてくれるわけがないんだし……とも。
「そうですわね」
 それだけではない。まるでフレイに同意をするかのようにラクスも言葉を口にした。
「クルーゼ様が有能な指揮官だ、と言うことはどなたも否定できませんが、個人的にどうなのかと申しますと悩むところではありますものね」
 悪い方ではないとは思うのですが……と彼女もまた、付け加える。
「……仲良しだね、二人とも」
 そう言えば、自分を着せ替え人形にするのも楽しんでいるし……とキラはため息をつく。
「あら……仲がよいことはよいことでございましょう?」
「そうそう。いいじゃない。いざとなったら、彼女が私の身元引受人になってくれるって言っているし」
 プラントに付いていって、じっくりと確認させてもらうわ……というフレイのセリフに、キラは目を丸くする。
「フレイ! 君はみんなと……」
「オーブには帰らないって、何度も言っているじゃない!」
 キラと一緒にプラントに行くの! とフレイはいつもの主張を繰り返す。
「大丈夫ですわ、キラ様」
 にっこりと微笑みながらラクスが言葉を受け継いだ。
「フレイさまとは仲良くなりましたの。ですから、私がお守りしますわ。何でしたら、キラ様も私の家に来てくださってかまいませんのよ」
 その方が楽しくていい……という言葉は間違いなく好意から出たものだろう。それでも、何か引っかかるものを感じてしまう。
「僕は……ラウ兄様の家に行くから……」
 ともかく、それだけは決定しているのだ、とキラは口にする。
「でないと……アスラン達がまたけんかを始めそうだし……」
 誰が自分を引き取るかで……と呟くように口にした。もっとも、それがアスランとラクスの争いになるような気がするのはキラだけではあるまい。
「……まぁ、いいですわ。時間はありますもの」
 はっきり言って、ラクスのこの言葉が非常に恐いと思ってしまうキラだった。

「どうすれば、いいのかな……」
 キラはため息と共にこう呟く。
「何が、だね?」
 そんなキラの耳に、クルーゼの声が届く。
「……兄様……」
 果たして、こんな事を彼に相談してもいいものなのだろうか。ただでさえ、他のことで忙しいだろうし……とキラは思う。
「心配事があるなら、相談してくれないかね? でないと、私が心配になってしまうよ」
 この言葉に、キラは無意識のうちに困ったような表情を作った。そうすれば、クルーゼの口元にも同じような笑みが浮かぶ。そのまま彼はそっと仮面をはずした。
「これならばいいかな? 今は、仕事中ではない」
 そのままキラの隣に腰を下ろしてくる。
 ここまでされては、話さないわけにはいかないのではないか。
「……フレイが、ラクスさんのうちにお世話になるって……でも、本当にいいのかな……とか、自分のこととか、アークエンジェルの人たちのこととか……考えてたらわからなくなっちゃって……」
 これからどうすればいいのかとか……とキラは付け加える。本当は自分で考えなければならない問題なのだし……とも。
「そう難しく考えることはないのではないかな?」
 しばらくして、クルーゼがこう口にする。
「フレイ嬢はキラの側にいたい、と思っている。ラクス嬢はそれを手助けしてやりたいと思っていらっしゃるのだろう? ならば、何も心配はいらない。あの方はそれだけの力をお持ちだ」
 それに、父であるシーゲル・クラインは穏健派として名高い方だ。ナチュラルであろうと、彼女の家でフレイが迫害をされることはない、とクルーゼも太鼓判を押す。
「アークエンジェルの乗組員達も同じだ。彼等に関しては条約で定められた処遇をすることになる」
 決して危害は加えないから安心していいだろう、と言うセリフにキラは少しだけ眉をひそめる。だが、それで精一杯なのだろう、とも思う。自分に対する処遇の方が特例なのだ、とも。
「キラに関しては、何も悩むことはない」
 優しい笑みを口元に浮かべると、クルーゼは断言をする。
「私が責任を持つと言っただろう? それとも、信頼してくれないのかな?」
 信頼してくれないとするなら悲しいね……とも彼は続けた。
「そんなことはないけど……でも」
 迷惑をかけてしまうのではないか。それが不安なのだ。
「迷惑などと言うことは何もない。むしろ、それなら私の方がキラに余計な迷惑をかけてしまっただろう?」
 だから、何も心配することはない。そういう彼に、キラは小さく頷いてみせる。
「でも、アスランとラクスさんが……」
 余計なことで騒いでいるような気もするのだ。
「そちらこそ心配はいらないよ。何なら、今すぐにでも籍を入れてしまうかね?」
 そうすれば、誰も文句は言わないと思うが……と言われて、キラは頬を赤らめる。
「でも、父さんと母さんにいてもらいたいし……」
 勝手にそんなことをしたら怒られる……とキラは呟く。
「それもそうだな」
 お二人を無視して話を進めるわけにはいかないか……と本気なのかどうかわからない口調でクルーゼは頷く。だが、そんな彼の仕草が、キラを安心させていたのは事実だった。
「ともかく、籍のことはともかく、私は君を自宅に引き取るつもりだ。ある意味、それが一番安全だからね」
 それはどういう意味なのだろうか。
 問いかけたくても、触れて欲しくないという雰囲気がクルーゼを取り巻いている。
「それに、キラ一人であれば、いくらでも贅沢をさせてあげられるよ、私は」
 そう言いながらキラの瞳をのぞき込んできた。その蒼い瞳には優しい光しか浮かんでいない。
「……はい、兄様」
 だから、キラは小さく頷くだけしかできなかった。

 退屈であれば、フラガ達に会いに行けばいい。
 現在の所、彼等の方も協力的だから、その程度ぐらいのことはかまわないよ。
 クルーゼがこう言ってくれたのは今朝のことだ。その言葉の裏に何か意図があるような気がしてならない。だが、彼等の安否を知りたいと思うのも本音だ。それに、クルーゼが自分を傷つけるはずがない、と信じていることも事実。
「でも、本当にいいのかな……」
 途中で誰かにとがめられるのではないか。自分がそれで怒られるだけならばいい。しかし、クルーゼに迷惑がかかってしまうのでは困る。
「……アスランか誰か来てくれれば、いろいろと聞けるんだけどな」
 でなければラクスでもいいんだけど……とキラは呟く。
 その瞬間、いきなりドアが開いた。確かクルーゼがロックをかけていってくれたから、彼以外の人間は開けることができないはず。と言うことは、何か用があって戻ってきたのだろうか。
「兄様、どうしたの?」
 そう考えながらキラは振り向く。
「残念ですが、私ですわ」
 しかし、そこにいたのはクルーゼではなくラクスだった。
「ラクス?」
 どうやって……とキラは思わず呟いてしまう。
 だが、彼女が手の中に持っているものを見て、納得できてしまった。
「驚かせないでよ、ラクス」
 せめて、開ける前に声をかけて欲しかった……とキラは苦笑を浮かべる。
「だって、早くキラに会いたかったんですもの。私だけではなく、この子もそう考えていたのですわ」
 にっこりと微笑みながら、彼女はこう言い返してきた。
「……まぁ、いいけど……」
 丁度、相談したいこともあったから……とキラは彼女を見つめる。
「あらあら、何でございましょう」
 私にできることですか? とラクスが嬉しそうな表情で問いかけてきた。
「みんなの所に行っていいって兄様に言われていたんだけど、艦内を一人で歩くのはまずいかなって思って」
 だから、付き合ってくれると嬉しいな……とキラは小首をかしげてみせる。
「そんなことならおやすいご用ですわ」
 にっこりと微笑むとラクスはこう言ってくれた。
「でも、それなら、何か差し入れを持っていった方がよろしいかもしれませんわね」
 女性の方々には、特に……と彼女は小首をかしげる。
「ラクス?」
「皆様があの方々を粗末に扱っているとは思いませんけど、女性であればそれだけでは満足できないものではありません?」
 たまには甘いものとかも欲しいのではないか……とラクスは笑う。その気持ちはキラにもわかる。わかるのだが……
「でも、ここじゃ無理でしょう?」
 自分の分は、クルーゼはアスランがどこからか入手してきてくれるが、みんなの分までねだるわけにはいかないのではないか、とキラは思う。
「任せておいてくださいませ!」
 しかし、一人で盛り上がっているラクスに、何も言うことはできなかった。

 数分後、この戦艦の中にどうしてこんなものがあるのだろうか。そういいたくなるようなお菓子やその他のものを持ってラクスは戻ってくる。
「これでよろしいでしょう」
 フレイも喜ぶはずだ、と彼女は付け加えた。
「ラクス……」
「まずは、皆様のお顔を見に行きましょう」
 キラとの話はその後でもできるから……とラクスは慈愛に満ちた微笑みを浮かべる。
「ごめんね」
「気になさらなくていいのですよ、キラ。お友達であれば、このくらい当然ですわ」
 こういう彼女に、キラはようやく微笑みを返した。

「キラ!」
 ドアを開けた瞬間、フレイがこう言って飛びついてくる。
「……フレイ……」
 その勢いを殺すことができずに、キラはそのまま背後に流されてしまう。
「こらこら」
 そんな二人の体を止めてくれたのは、フラガだった。
「キラはともかく、お前さんは勝手に部屋から出るとまずいだろう?」
 しかし、そんな彼の言葉はフレイの耳に届いていないらしい。
「心配してたんだから! 本当に、何もされてない? あのロリコン仮面に!」
 二人きりで、あの部屋にいるんでしょう? という言葉にキラは苦笑を浮かべる。
「兄様は、僕より九歳年上なだけだよ」
 前にも言ったけど、ロリコンというのはかわいそうだ……とキラは付け加えた。
「でも……」
 しかし、フレイは納得してくれない。いったいどうすればいいのかな、とキラは思わず首をひねってしまう。
「……大丈夫ですわ。昨晩は、クルーゼ隊長はブリッジにいらっしゃいましたもの」
 だから、キラに不埒なまねはできないはずだ……とラクスがほわほわとした口調でとんでもないセリフを言ってくれる。
「ラクス……」
 それはそれで、別の問題が持ち上がるのではないか、とキラは思う。しかし、ラクスはまったく気にする様子がない。
「それよりも、皆様に甘いものをお持ちしましたの。お好きでない方には申し訳ありませんが」
 気分転換にはなるだろう、と彼女は付け加えた。
「でも……」
「皆様個人に、恨みがあるわけではありませんもの。」
 それよりも、お互いをよく知った方がいいだろう……とラクスは告げる。
「そう言うことなら、ありがたくいただけば?」
 艦長も副長も、甘いものは好きだろう? とフラガが奥にいるメンバーに声をかけた。それに、彼女たちも小さく頷く。
「では、どうぞ。お茶も用意して参りましたわ」
 ラクスが率先して動き始める。そんな彼女を自分も手伝わないと……と思うのだが、フレイとフラガの二人にしっかりと抑えられているせいでままならない。
「あの……二人とも……」
 離してくれると嬉しいかな、とキラが小首をかしげたときだ。
「本当にお嬢ちゃんだったんだなぁ、キラは」
 フラガがこう言いながら、さりげなく手を胸元に移動させてくる。そのまま、決して大きいとは言えない胸を包まれてしまった。
「……大尉……」
 何をしているのか、と言いたいのだが、うまく言葉が出てこない。
 だが、救いの手はすぐに現れた。というより、目の前にいた……と言うべきか。
「何してるんですか!」
 フレイの叫びと共に破裂音が響き渡る。次の瞬間、フラガの頬に真っ赤な手の跡がついたのは言わずもがなであろう。

「いい表情だな」
 こういうクルーゼの口調が恐い……とキラは思う。だが、それを口にすることはやめておいた方がいいだろうと判断をしておく。
「……悪かったな……」
 フラガはこうため息をつくだけだ。
「それよりも、わざわざのお呼び出しの理由は?」
 他の連中に聞かせたくないことなのだろう、と聞き返す。
「……お前達の処分が決まった」
 そうすれば、クルーゼはこう言い返してくる。
「本国での捕囚生活だ」
 もっとも、危害を加えられる事はない。ただ、制限区域から出られないこと、そしてこちらの指示をする作業を行ってもらうことになる……と彼は付け加えた。
「もっとも、地球軍が捕虜交換に応じれば話は変わってくるだろうがな」
 それでも、当分の間はプラントで暮らしてもらう事になる。
「……それだけか?」
 それだけなら、別段他の者達がいるまえで話してもいいのではないか……と思う。それをしなかったのには、それなりの理由があるのではないか、とフラガは判断したのだ。
「……お前は、悪いが別扱いだ」
 クルーゼがため息と共にこう言ってくる。
「お前を野放しにすると、とんでもないことになりそうだからな」
 気がつけば、子供の一人や二人、どこかに生まれそうだし……というのは冗談なのだろうか。それとも別の理由からか、とフラガは視線で次のセリフを促す。
「お前は私預かりだ。新機体の開発に付き合ってもらおう」
 それが一番安全だろう……という言葉に、目の前の男がかなり苦労をしたのではないかとフラガは推測をする。
「……お前……」
「別段、貴様のためではない」
 気にするな……とクルーゼはあっさりと口にした。
「そう言うことだからな。事前に話しておいた方がいいと思っただけだ」
 さらにこう付け加える。
「……俺に、逆らう権利はございませんって」
 従うしかないだろう……と言い返す。
「こき使ってやるから、覚悟しておけ」
 この言葉に、フラガは苦笑だけを返した。

「……オーブからの迎えが、明日来るそうだ」
 キラを食事に誘いに来たアスランがこう告げる。
「キラの友人達と、オーブの民間人達は、それであちらに帰れるよ」
 だから、何も心配しなくていい……と彼は微笑む。しかし、キラはすぐに頷くことはできない。
「キラ?」
 どうかしたのか、とそんなキラにアスランは問いかけてきた。
「……地球軍の人たちのことか?」
 かすかに声に棘が混じる。
「あの人達なら、心配はいらない。不本意だけど、条約で決まっているからねからね」
 手厚くとまでは言わないが、それなりに保護されるよ……と彼は口にした。だから、キラが心配することはない、とも。
「……それは、ラウ兄様にもちゃんと聞いたから……」
 だから、納得はできないが心配もしていないのだ……とキラは言い返す。
「そう……」
 キラの言葉の裏に隠されている感情に、アスランは気がついたのだろうか。
 それとも、ここで《クルーゼ》の名前が出たからか。
 複雑なものを滲ませた声がアスランの唇からこぼれ落ちる。だが、それをキラはあえて気づかなかったことにした。
「じゃ、何?」
 それとも、俺には言えないこと? と彼もまたいつもの口調で問いかけてくる。
「……ちょっと、悩むかな……」
 いろいろな意味で……とキラはため息をつく。
「キラ?」
「こらこら。ため息をつくと幸せが逃げるって言うぜ」
 アスランの問いかけに被さるように別の声が耳に届いた。それが誰のものだったろう、とキラは考える。
「……何しに来たんだ、ディアッカ」
 しかし、その答えはすぐにわかった。というよりも、アスランが言葉と共に相手をにらみ付けたのだ。
「何って……俺もこれから休憩なんだけど?」
 いいだろう。一緒でも……とディアッカは笑う。
「それに、お前だって変な噂を立てられたくないだろう?」
 いくら幼なじみとはいえ、それぞれ婚約者がいるんだし……と付け加える彼に、キラはそういうものなのか、と小首をかしげる。アスランであれば、クルーゼもさほど気にしないのではないか、とも思うのだ。
 だが、ラクスの方はどうだろう。
 いや、その周囲の人たちか……とキラは心の中で呟く。
「……ラクスさん、本気なのかな……」
 無意識のうちにこう声に出してしまう。
「何が、だ? キラ」
 こう聞き返されて、キラは自分が言葉を声にしていたのだと初めて気づく。だからといって、今更なかったことにはできない。
「……本気で、フレイをプラントに連れて行くつもりなのかな、ってそう思っただけ」
 フレイにとって、どちらの方が幸せなのかわからないから……と。
「難しい問題だな」
 それに、アスランだけではなくディアッカも異口同音に言葉を返してきた。

 予想通りと言うべきか。
 当日になっても、フレイはしっかりと騒ぎを起こしてくれた。もっとも、本人はこれが騒ぎだと思っていないだろう、
「だから、あたしはキラと一緒にいるの!」
 フレイはこの叫びとともにキラの腕にすがりついている。
「でも、フレイ……」
 そんな彼女にサイが最後の説得を試みていた。というのも、彼の背後にはオーブから迎えに来てくれた軍人がいるのだ。
「キラも一緒に帰るなら行くわよ! それができないから、一緒に行くの!」
 どのみち、オーブに帰っても一人なのだ。ならば、キラと一緒にいたい、と彼女はキラの腕に回した自分のそれにさらに力をこめた。
「……フレイ……」
 そんなフレイに向けて、キラが言葉をかける。その言葉に、フレイが顔を上げた。
「僕も、フレイは帰った方がいいと思うんだけど……」
 少なくとも、オーブにいればサイやミリアリア達がいる。だから、いつでも会えるだろうし……とキラは微笑んだ。
「……でも、あんたには会えないわ……」
 それが一番いや! とフレイは叫ぶ。
「他のことなら我慢するわよ! でも、あんたに会えなくなるのはいや! そのくらいだったら、コーディネイターを我慢する方がましだわ」
 だから、絶対に一緒にいるの! とフレイは主張を繰り返す。
「だけど、フレイ……」
「やっぱり……」
 そんなフレイに、何とか意見を変えて欲しくてキラとサイは必死に言葉を口にている。
「よろしいではありませんか」
 しかし、そんな彼等の努力を無にしてくれる存在がここにはいた。
「……ラクス……」
 だから、どうしてこう言うときにそんなセリフを言ってくれるのか……とキラは恨めしくなる。何とか彼女を説得できるかと思っていたのに、と。
「フレイさんのことは私が責任を持ちますわ。ですから、ご心配はいりません」
 そんなことを言い切っていいのか。それこそ、国家問題になるのではないか、と思わずにはいられない。
 しかし、ラクスはもちろん、フレイはまったくそれを無視しているようだ。
「キラ……諦めてくれ……」
 そんな二人を見ていたからだろう。サイがこう囁いてくる。
「サイ……」
 自分の婚約者だろう、フレイは……とキラは思う。
「もう、俺には無理だ……」
 そのようなことができる人間は、きっといないだろう……と彼は付け加えた。
「サイ……そんな……」
 ある意味、彼だけが頼みの綱だったのに、とキラは思う。しかし、完全にサイはさじを投げている。
 結局、フレイとラクスの連合には、誰も勝てないのか。
 キラは盛大にため息をつく羽目になってしまった。

 ゆっくりとオーブの船が離れていく。その光景を、キラ達はデッキから見つめていた。
「本当によかったの?」
 どこか寂しそうな表情を浮かべているフレイに向かって、キラはこう問いかける。
「それに、フレイのお父さんって……」
 大西洋連合の事務次官だったのではないか。今回のことで、立場が悪くなる可能性もあるだろう、とキラは思う。
「大丈夫よ」
 そんな彼女に対し、フレイは妬けに自信たっぷりの口調で言葉を返してくる。
「パパがあの地位についたのは、実力じゃないもの」
「え?」
 実力でなければ何なのだろうか。
 そう思って、思わず彼女の顔を見つめてしまう。
「パパ、上層部の弱みを握っているの。後は、コネ。だから、あたしのことぐらいで放り出されるわけないわ」
 そんなことになったら、戦争どころじゃなくなるもの……と彼女は微笑む。
「いいの、それで……」
 こう言うしかできないキラだった。



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