そういうわけで、今、キラ達はプラントにいる。 しかも、何故かクルーゼの自宅に押しかけてきていた。 「……あの変態にしては、ずいぶんと可愛らしい内装じゃない」 室内の内装を見回しながら、フレイがこう呟く。 「確かに、クルーゼ隊長のイメージではありませんわね」 フレイの後見役、と言うことでしっかり付いてきていたラクスも、室内を見聞しながら、こう口にする。 「そう?」 ともかく、クルーゼの立場を悪くしないようにしないとと思いながらキラは二人の前に紅茶が入ったカップを差し出す。 「だって、このクッションも手作りでしょう?」 そう言いながら、フレイは手にしていたクッションを抱き潰す。 「……作ったのは、僕、だけどね……」 苦笑とともにキラはこう口にした。 「えっ?」 それが意外だったのだろうか。フレイが小さく驚きの声を上げた。その反応はいったいどういう意味なのだろうか、とキラはちょっと悩んでしまう。 「確か、十歳の時だったかな? 母さんに教わって作ったのを、兄様にプレゼントしたんだ」 ついでにラクスの側にあるのは同じ年のクリスマスにプレゼントしたものだ、と付け加えた。 「あらあら」 そうすれば、ラクスはキラが指し示したクッションを取り上げる。そして、まじまじと見つめた。 「それなら、この可愛らしいデザインも納得できますわね」 クルーゼのイメージと合わないことも、と彼女は付け加える。 「……ひょっとして、他にもキラが作った物があるわけ?」 クッションだけ、というわけじゃないでしょう? と今度は興味津々で問いかけて来た。 「他にって……カバーとか何かかな」 母さん、そういうの好きだったから……とキラは口にする。 「しかし、十歳の頃って言うと、六年前? ずいぶんとまた大切に扱っているのね、あいつ」 そんなタイプとは思わなかったんだけど……とフレイがため息をついた。 「……フレイ?」 「だって、あんたと知り合いだったってことは、月にいたんでしょう、そいつも。でなきゃ、月に来たの? どちらにしても、ここに抱えて帰ってきたってことでしょう、あいつが」 しかもプレゼントだったのならきれいにラッピングされていたのではないか、とも。 この言葉を耳にした瞬間、キラはふっと視線を室内に彷徨わせてしまう。 「……まさかと思いますが……」 ラッピングまで全部取っていらっしゃるとか……という質問には、もう笑うしかできない。 先日、掃除をしていたときにそれを見つけたなんて、とても彼女たちには言えない……とキラは心の中で呟く。しかも、きちんとファイリングされていたなんて、とても……とも付け加えた。 しかし、二人にはそんなキラの態度だけで十分だったようだ。 「……あの男って……」 なんと言っていいのだろうかというようにフレイはため息をつく。 「キラに関しては、アスランもかなりのものだ、と思っておりましたが……それよりもさらに上の方がいらっしゃったのですね……」 感心しているのだろうか。それとも別の理由なのか。ラクスも同じようにため息をついた。 しかも、ラクスの口からアスランを引き合いに出さないで欲しいと思う。同時に、婚約者の前でもそうなのか、とあきれたくなった。 「……二人とも……」 そんなに変なことなのだろうか、とキラは思う。嬉しいと思ったんだけど、と小首をかしげなから問いかける。 「そのくらいできない男にキラの側にいることは許可する気はないけどね」 まぁ、ちょっと驚いたけど……とフレイは呟く。 「愛されていますのね、キラ」 いいことですわ、とラクスが微笑む。 「と言うことで、これから遠慮なく邪魔させて頂きますわね」 その表情のまま、彼女はこう宣言をする。 「ラクス?」 今までのことは遠慮していたと言うことなのか。そうも思うのだ。 「私たちの邪魔程度でキラを嫌いになるのでしたら、貴方にふさわしくない、と言うことですわ」 だから、どうしてそうなるのか。 そう言いたいキラだった。 もっとも、邪魔しにくるのは二人だけではなかった。 その日、誰も訪問者はいなかったはず。少なくとも、ここのセキュリティシステムはそう告げていた。 「アスラン……どうして」 それなのに、気が付けばリビングに彼がしっかりと腰を下ろしてくつろいでいる。しかもだ。その目の前にあるお菓子はキラが買ってきたものでも何でもない。と言うことは、アスランが自分で持ってきたものだろう。 「どうしてって、今日は休暇だったから」 キラの顔を見に来たのだ、と彼は、満面の笑みとともに口にする。 「そういう事じゃなくて……」 自分が聞きたいのはもっと別のことだ、とキラはため息をつく。 「僕、ちゃんと鍵をかけていたはずなんだけど……僕が忘れても、ラウ兄様がそんなミスをするはずないし」 それなのに、どうしてここにアスランがいるんだろうね、とキラは口にした。そうすれば、アスランがさりげなく視線を彷徨わせる。 「やっぱり、君が勝手に解除したんだ」 昔から、そう言うことは得意だったようだけど、犯罪行為をするようになるとは思わなかった、とキラは付け加えた。 「正確には、俺じゃない」 そう言いながら、アスランはソファーの方へと視線を向ける。 つられてキラもまた視線をそちらに向けた。 そうすれば、憮然とした表情で腰を下ろしているある人物の姿が確認できた。 しかし、彼は今ここにいるはずがない、とも思う。 夢を見ているのだろうか。 そう思って、自分で自分の太ももをつねってみる。しかし、痛みを感じても目の前の相手は消えない。と言うことは、間違いなく現実なのか。 「……おじさま……」 口を開いたキラは、それ以上言葉を続けることができなくなってしまう。 どんな理由があったにせよ、自分が彼等に弓を引いたことは事実。 目の前の人物はそんな自分を決して許せない立場にあるはず。 だから、と。 叱咤の言葉なら、甘んじて受け入れよう。しかし、自分の口から自分の選択の正当性を訴えることだけはしてはいけない。 そう考えて、キラは口をつぐむ。 「……今日は、お願いがあってね」 同じようなことを考えていたのだろうか。どこか重苦しい空気を身に纏いながらパトリックが口を開く。 「何でしょうか」 キラは緊張を隠せない、と言った口調でこう聞き返す。 「時間があるときでいい。レノアの墓へ、顔を見せに行ってくれないかね?」 そうすれば、彼女も安心するだろう。この言葉とともにパトリックは立ち上がる。 「父上?」 彼の行動に驚いたのはキラだけではなかったらしい。アスランが何かを確認するように彼に声をかけた。 「女性が一人でいる場所に、そう長居をするべきものではあるまい。また今度、他の者達と来るがいい」 帰るぞ、と彼は付け加える。 「……おじさま……」 そんな彼に、キラは思わず声をかけた。 「戦争に、巻き込んですまなかったね」 振り向くことなく、パトリックはこう告げる。そして、そのまま彼は玄関を出て行った。 「本当に父上は」 素直じゃないんだから……とアスランがあきれたように呟く。 「アスラン!」 「わかっています。キラ、また来るからね」 微笑みとともに、アスランもまたパトリックの後を追いかけていった。 「……どうせなら、直していってくれればいいのに」 二人の訪問のことを報告したついでに、キラはこう呟く。 「そう言うな。明日には、もっときっちりとしたシステムに変更してくれるそうだからね」 ご厚意だ、と、受け止めておこう……とクルーゼは苦笑混じりに告げる。 「兄様……」 「一応、あれでも上司と可愛い部下だからね」 困ったことに……と彼はさらに苦笑を深めた。 「それよりも、キラ」 おいで、と彼は腕を開く。その仕草にひかれるように、キラはそっと彼の腕の中に滑り込む。そうすれば、自然と彼の膝の上に座る形になった。 「どうやら、許可が下りそうだよ」 彼等との面会が……とクルーゼは微笑みながら、こう告げる。 「本当?」 そんなに簡単に出るとは思ってもいなかった。それとも、またクルーゼが手を回してくれたのだろうか。そんなことも思ってしまう。 しかし、それを問いかけるわけにはいかないだろう。 「あぁ……ただし、一人で行かせることはできないが」 監視役として誰かが付いていくことになるだろう。 「仕方がないですね、それは」 自分の立場も立場だし……と言いながら、そっとキラはクルーゼの方に自分の頬を寄せていく。 「まぁ、ニコルか……アスランあたりが行くように手配をするつもりだからね。安心したまえ」 彼等であれば、相手を阻害することもあるまい……と彼は続ける。 「……はい……」 しかし、それでいいのか……とキラは思う。自分だけと特別扱いをされているようにも思えてならないのだ。 「それと……ラクス嬢が是非にとも同行したい……とおっしゃっておられる」 当然、彼女も一緒だろうな……とクルーゼが苦虫をかみつぶしたような表情で付け加える。 「ラクスさんと、フレイも?」 きっと、ラクスが強引に事を進めたのだろう。それだけの権力を彼女が持っているらしいことはうすうす気づいていた。だからこそ、フレイが安全に暮らしていられるのだろうが、とも思う。 「そう言うことになるね」 キラにとってはいいことだろうが……とクルーゼはため息をつく。 「兄様?」 「ラクス嬢が動くと、マスコミも付いてくる可能性があるのでね……」 そいつらが、キラに目を付けないとも限らない。そうなれば、いろいろと不具合が出てくる可能性もあるか……と彼は呟く。 もっとも、最高評議会の方である程度はコントロールをするだろうが、とも付け加える。 「そう言えば……兄様」 ふっと思い出したというように、キラは口を開く。 「何だね?」 「帰りに……レノアおばさまのお墓によれます?」 なら、寄ってきたいのだが……と小首をかしげる。未だに、プラントの地理関係がわからないからこそのセリフだ。 「ふむ……少し距離はあるが、よれないことはあるまい。後で手配をしておこう」 こう告げる彼の頬に、キラはそっとキスを贈った。 どうやら、クルーゼの手配の中には『アスランを同行させる』と言うこともあったらしい。 「他の連中より、俺が一緒の方がいいか……と思ったんだが」 迷惑だったか? と彼は問いかけてくる。 「そんなことはないけど……いいの?」 キラはそんな彼に向けてこう聞き返した。 「ラクスが一緒だしな。それに……父上も許可を出したんだ。かまわない」 それに、自分が一番ふさわしいだろう……と彼は口にする。 確かに、アスランであれば彼等に関してもきつい態度は取らないだろう。それはわかっているのだが……それでもいいのか、とキラは思ってしまうのだ。 「まぁ、他にも何人か付き添うことになるだろうが……お前達の邪魔はさせないから、安心していい」 もっとも、モニターはされるだろうがな……と彼は苦笑を浮かべる。 「それは……仕方がないよね」 自分はもちろん、彼等もザフトにとっては《敵》なのだし……とキラは頷く。ただ、自分は建前上民間人で、クルーゼやアスラン達の知り合いだから比較的自由に動けるだけなのだろう。 フレイにしても、ラクスが側にいてくれるから、監視されていないだけなのかもしれない。もっとも、彼女は実際に戦闘に加わっているわけではないのだから、それは当然かもしれない。 「キ〜ラ……つまらないことを考えているだろう、お前」 言葉とともにアスランがキラの額をこづいた。 その瞬間だ。 「ちょっと! あんた、キラに何をするのよ!」 「女性にそれはあんまりではありませんの、アスラン」 今の光景を見とがめたのだろう。フレイとラクスがこう言ってアスランに詰め寄っている。 「……このくらい、いつものことだったぞ」 アスランがその迫力に押されながらもこう言い返してた。 「うん、そうだね」 キラもまさかこんなことになるとは思わなかった……と心の中で呟きながら頷いてみせる。 「だからといって、女性の顔に万が一傷を付けたらどうなさるおつもりでしたの?」 本当に信じられませんわね、とラクスはさらにアスランに詰め寄った。 「ラクス……本当に僕は気にしていないから……ね?」 それよりも、そろそろ行こうよ……とキラは苦笑を浮かべつつこう告げる。 「そうだな。遅れれば、それだけ面会時間が短くなるか」 いやだろう、それでは……とアスランも頷く。 「……仕方がないわね」 「後でゆっくりとお話をいたしましょうね、アスラン」 この言葉が、妙に恐いと思ってしまうキラだった。 どうやら、そんなにひどい扱いを受けている様子はない。 もっとも、捕虜になったという事実が彼等の上に重くのしかかっていたことは間違いないようだ。どこか疲れたような空気が彼等から伝わってくる。 「元気そうで、何よりだわ」 それでもこう言って微笑んでくれるのは、自分たちを心配してくれているからだろうか。キラはそう考えた。 「ラミアス艦長も、表情が軟らかくなられましたわ」 さすがはラクス……と言うべきなのだろうか。彼女はにこやかな表情を作るとこういった。 「そうかもしれないわね。ここでは、あまり緊張を強いられることはないもの」 ナタルなんて、暇に飽かせてレース編みを始めたくらいよ……と彼女はさらに苦笑を深める。 「それはよろしいことなのかどうか、わかりかねますわね」 でも、とラクスはさらに言葉を重ねた。 「今しばらく、おやすみを手に入れた、と思ってくださいませ。そのうち、ご希望になるのでしたら、お仕事を探して差し上げられるかと思いますし」 軍に関係したことではなく、もっと違う内容だが……と言う彼女に、ラミアスは目を丸くする。 「ラクスさん?」 「その方が、皆様にしても気分的によろしいでしょう?」 何もしないからこそ、かえって辛いのではないか。 そんなラクスの言葉は納得できる。 「そうかもしれませんね。むしろ、こき使われているはずのフラガ大尉の方が生き生きとしていますもの」 もっとも、と彼女は苦笑を深めた。 「……でも、私たちにできる仕事なんて、プラントにはないのではありません?」 「そんなことはありませんわ」 なくても作ります……という言葉が彼女のセリフの裏に聞こえるような気がするのはキラの錯覚だろうか。 「さすがだわ、ラクスさん」 「そうだね」 思わずフレイとこう囁きあってしまう。 「でも、嘘じゃないんだよな、彼女の場合」 さらにアスランが苦笑とともに口を挟んできた。 「いざとなれば、クライン議長だけはなく、うちの父をはじめとした最高評議会の方々も巻き込むつもりだろうな」 確かに、彼等はキラを強引にMSに乗せ、自分たちと戦わせていた。 しかし、それは艦内にナチュラルメインの避難民がいたからだ、と言うことであれば仕方がないと押し切れると彼女は考えているのだろう。 アスランはさらにこう付け加えてくる。 「まぁ、俺も仲間達もラクスの手助けをするし……隊長も口添えしてくださるに決まっているからな」 きっと大丈夫だろう……という言葉に、キラもフレイも頷いて見せた。 「ともかく、みんなが平穏に暮らしていられるだけでも良かったね」 「そうね」 自分たちだけ安穏としているわけではないとわかって……とキラ達は頷きあう。 「当たり前だろう。この戦争がいつまでも続くわけじゃない。言葉は悪いけど、その時、彼等の存在は大きな意味を持つ、と父上達は考えているのさ」 だから、何も心配しなくていい……という彼に二人は素直に頷いて見せた。 ラミアス達の元を辞した後、彼等はユニウスセブンの犠牲者達のために作られたプラントへと足を運んだ。 果てなく続く墓標の列に、さすがにフレイも眉を寄せている。 「……本当にバカだわ、地球軍は」 確かに、キラ以外の《コーディネイター》はどうでもいい、と思っていた。しかし、だからといって殺していいというわけではない、と思うのだ。 まして、中には年端もいかない子供達もいたのであればなおさらだろう。 「地球軍なのか……それとも、別の連中なのか……わからないけどね」 実行したのは地球軍だろうが、それを命じたのもそうだとは言い切れない。こう言いながら、キラはそっとフレイの肩を抱きしめてくる。 「……本当にあんたは……」 ただ、現実を突きつけられた自分よりも、実際に親しい相手を失った彼女の方が辛いはずだ。 それなのに、自分のことよりも他人のことを先に考えてしまうなんて、とあきれたくなる。 だが、逆に言えばこれが《キラ・ヤマト》という相手なのだ。 そういう相手だったからこそ、自分はそれまでの考えを翻してまで好きになったと言っていい。 「どうかしたの、フレイ」 ふわりと優しい微笑みが視界に飛び込んでくる。 「何でもないわ。ただ、狂信者の馬鹿さ加減にあきれているだけ」 コーディネイターが嫌いなら、関わらないようにすればいいだけだ。 実際、地球連合の支配地域に行けばそれが可能なのだし、と思う。 そうできない理由があるとすれば、現在の世界にコーディネイターの存在が必要だ、というただそれだけの理由なのではないか。 彼等の持つ技術力やなんかというものを、自分たちのために利用する。そうしなければ、優位を保てないから。そういう理由なのだ、と言うことにフレイもようやく気づき始めていた。 「そんなことのために命を奪われるなんて、本当に理不尽だわ、って」 たとえ、どんな相手だろうと、とフレイは付け加える。 「確かに、あたしだって昔はキラ以外のコーディネイターなんてどうなってもいいって考えていたけど……でも、これは違うわ」 気に入らないからと言って、全てを壊していいわけじゃないだろう。そう付け加える。 「その考えは正しいですわ」 ラクスが口を挟んできた。 「私どもの存在が気に入らないとおっしゃるのでしたら、それでもかまわないのです。ただ、そうであるのでしたら放っておいて頂きたいのですわ」 しかし、彼等の考えは違う。ラクスはそう付け加える。 「あの方々にしてみれば、私どもはていのいい《奴隷》なのです。勝手に生きてもらっては困る、と言うところなのでしょう」 しかし、それは自分たちの意志を無視したことではないか。その言葉にはフレイも頷ける。 「そうよね。どれだけ気に入らない存在であっても、一応、感情は持っているわね」 あの変態仮面にしても、キラを好きだという気持ちには間違いがないらしい。そして、それをキラが受け入れている、と言うこともだ。 忌々しいが、そうである以上、自分も認めないわけにはいかないだろう。 それでも、とフレイは心の中で呟く。邪魔をするぐらいは許されるだろう、と考えるのだ。 「それに、今は嫌いじゃないコーディネイターも増えてきたもの」 好きかな、と思える存在も……と付け加えればラクスが微笑む。 「それは嬉しいことですわ」 ここに眠る人々もそう思っているだろう、と彼女は付け加える。 「だといいんだけど」 フレイもキラも、思わず微笑んでいた。 プラントでの日常は今までとはうってかわって、平穏としか言いようがないものだっが。しかし、それはそれで問題だったかもしれない。 「……暇……」 キラは思わずこうぼやく。 せめて、クルーゼが側にいてくれればそれなりに付き合ってくれるだろう。でなければ、パソコンが手元にあればいいのに……と考える。 だが、いまだに戦時中である以上、隊長の地位にあるクルーゼにそんな時間があるはずはない。 そして、キラの趣味を知っている周囲の者がそう簡単に彼女にパソコンを手渡してくれるはずもなかった。 「こうなるんだったら……何か他の趣味でも持っておけば良かった」 母親の言ったとおりに……とキラはため息をつく。 「掃除にしても、料理にしても……ラウ兄様の方が上手だっていうのは、問題だって言うのもわかっているんだけど……」 まぁ、料理に関しては本当に気が向いたときにしか作ってくれない。こちらに来てからは、普段の食事は、キラが支度をしていた。だから多少とはいえまともになっているような気はする。 しかし、それもこれも、評価をしてくれる相手がいればこそわかるものではないか……とキラは思う。 「ほめてくれる人がいないと、やる気になれないんだよね」 自分の分だけなら、手抜きでかまわないし……ともキラは続ける。 「ともかく……時間つぶしのために、手の込んだものでも作ろうかな……」 取りあえず、レシピ通りに作ればとんでもない味になることはないはず。それに、新しい料理に挑戦をすれば、それは自分の身に付くだろう……とそう考えたのだ。 「学校にでも行けば、もっと確実なんだろうけど……」 自分の立場であれば、そんなことは許可されないだろう。ラミアス達のように捕虜収容所に置かれないだけマシなのではないか。そんなことすら考えてしまう。 「やめやめ」 後ろ向きになっても意味がない、とキラは呟く。そして、そのまま立ち上がった。 「今日は何を作ってみようかな」 書棚に歩み寄ると、クルーゼに買ってもらったレシピ集を取り出す。もうその半分以上の料理は実際に作ってみた。 「これを全部作り終わる前に、ゆっくりと味見をしてくれる人がいてくれる状況になってくれればいい、とも思う。 「取りあえず、フレイにでも声をかけてみようかな」 気が付けば、すぐ近くに引っ越してきている。それが誰の差し金かなどと確認しなくてもわかる。 「一緒に作っても楽しいよね」 過保護と言えばそれまでかもしれない。だが、こう言うときにはありがたいな、とも思う。 「そのまま泊まってもらおうかな」 フレイのことを考えれば、本当はオーブに戻った方がいいのだろう。だが、彼女がいてくれて助かっているというのも事実だ。 そんなことを考えながら、キラは今度は端末の方へと近づいていく。そして、登録された通話先から、フレイのナンバーを呼び出す。 そうすれば、すぐに応答が返ってくる。 「フレイ、あのね」 微笑みを浮かべると、キラは自分の提案を口にし始めた。 『もちろん、すぐに行くわ!』 そうすれば、想像通りの言葉を彼女は返してくれる。 「じゃ、待っているね」 兄様も今日は帰って来れないみたいだし……とキラは付け加えた。そうすれば、フレイは思いきり嬉しそうな笑いを浮かべる。 『それなら、好きなだけべたべたできるわね』 あれこれ持っていくわ、という言葉を耳にした瞬間、キラは少しだけ彼女を誘ったことを後悔してしまった。 こんな風にある意味、穏やかとも言える時間が過ぎていく。 もっともそれは自分を取り巻いているこの世界だけのことだ。一歩外に出れば、今でも戦いが続いていることをキラは知っている。 「……でも、僕にできることは、何もないものね……」 戦争を終わらせるために……とキラは呟く。 「せいぜい、みんなの無事を祈るぐらいかな」 「それで十分だと思いますわよ」 キラの呟きを耳にしていたのだろう。ラクスがこう声をかけてくる。 「そうね。キラの気持ちだけで十分だわよ」 当然のようにフレイもこう言ってきた。 「だから、あんたは誰が何を言ってこようとも、戦争に関わっちゃダメよ!」 そんなことは軍人である人々に任せておけばいい、とも彼女は付け加える。 「フレイ」 そんなことを言われても……とキラは思う。 「フレイさんは正しいですわ。そのために、軍人になられた方々ばかりですもの。キラのように巻き込まれて関わった方とは違います」 だから、彼等は責任がある。しかし、キラにはそれがないだろう、とも。 「むしろ、戦争とは違う場所で活躍をされた方がよろしいですわね、キラは」 それにフレイも、と彼女は意味ありげに微笑む。 「ラクス?」 キラは思わず、身構えてしまう。そして、フレイも同じように彼女を見つめていた。 「……何か、よからぬことを考えているわけじゃないでしょうね……」 それはそれで問題があるのではないか。フレイは言外に告げる。 「よからぬことだなんて……ひどいですわ」 ラクスがこの言葉とともに目を伏せる。それが演技だろうとわかっていても、こちらが悪かったのだろうか、と思わずにはいられない。もっとも、似たようなことをやっている相手には通用しない、というのは事実だ。 「だったら、何を計画しているのか、教えなさいよ」 内容次第では協力をするから、とフレイは言う。その言葉もなんだかなぁ、と思うのはキラだけだろうか。 「簡単ですわ。お二人の仲がよろしいところを皆様に見て頂くだけです」 本当は歌でも歌ってもらえばいいのだろうが……と付け加えるラクスに、キラは思いきり首を横に振ってみせる。 「という反応ですし……アスランとクルーゼ様にもダメといわれておりますから、やりませんわ」 残念ですけど……と言うところからすれば、二人が反対をしなければ本気でそうするつもりだったのか、とキラは思う。だとするならば、彼等に感謝するだけでは足りないかも、と思う。 「コーディネイターとナチュラルが何のこだわりもなく仲良くしている姿は、戦後、必要だと思いますの」 でなければ、ナチュラルをみなひとまとめにして恨み続けるものが減らないだろう、とラクスは口にする。それでは、いつまで経っても状況は変わらないだろう、とも。 「それはそうだね」 ラクスの思惑はともかくその考え方は間違っていない、とキラも思う。 「そう言うことなら、手伝って上げるわ」 フレイも同じように考えたのだろうか。即座にこういう。 「それは嬉しいですわ」 もっとも、それは戦争が終結をしてからの話だろう、とキラは心の中で呟く。ともかく、大切な人たちがみな、無事に帰ってきてくれればいい。そうも考えていた。 「ただいま、キラ」 そんな彼女の前に、不意にクルーゼが姿を現した。 「兄様!」 にこやかに微笑んでいる彼の姿に、キラもまた微笑み返す。 「休暇、ですか?」 それとも何か急用なのか、と口にしながら、キラは彼に駆け寄っていく。 「いや。他の隊は知らぬが、私は本国勤務だそうだよ。もちろん、アスラン達も同様だな」 キラの体を軽々と抱き上げながら、クルーゼはこう告げる。その言葉の意味が、キラにはすぐ理解できなかった。だが、一瞬遅れて彼女は答えを見つけ出す。 「兄様?」 終わったのですか、とキラは彼の顔を見つめる。 「そうだよ」 これでもう、キラが心配するようなことはない、と彼は続けた。近いうちにオーブにいる両親とも会えるだろうね……とも言われてキラは笑みを深める。 「よかった。これで、誰も傷つかずにすむのかな」 「アスハが動いているから大丈夫だろう」 オーブはあくまでも中立だからな……と口にすると、クルーゼはそっとキラを下ろす。そして、その頬に軽くキスをした。 「着替えてくるからね。できれば、コーヒーでも淹れていてくれると嬉しいかな」 この言葉に、キラは素直に首を縦に振る。 「今、淹れてきますね」 そして、そのままキッチンの方へ駆け出そうとした。 「慌てなくていい」 時間はゆっくりあるのだからね……と言う言葉に、キラは微笑み返す。 「そうでしたね」 もう、いきなりクルーゼが呼び出されることも、アスラン達が戦場に行くこともないのだ。だから、ゆっくりと時間を過ごしてもいいのだ、とキラは頷く。 「まだ、なれないみたいです」 戦争を経験した時期よりもそれ以外の時期の方が長いのに……と苦笑を浮かべながら口にすれば、 「心配しなくてもいい。私もだよ」 とクルーゼが言い返してきた。 「もっとも……できるだけ早くなれないといけないのだろうがね」 自分にしても……と彼は苦笑を浮かべる。 「では、着替えてくるからね。ゆっくりと用意をしてくれればいいよ」 それから、これからのことを相談しよう。彼はこういった。 「はい」 いろいろな意味で、このままではいられないことはわかっている。だが、自分がしてきたことを考えれば完全な自由を得られるとは思えない。 それも含めて彼はこう言っているのだろう。 キラはそう考えると、小さく頷いてみせる。 「久々に、ヤマト夫妻にお会いしにいかないといけないだろうしな」 だが、クルーゼの口から出たのはこんなセリフだった。 「兄様?」 「近いうちにオーブに行く機会があるだろうね、と言うことだよ」 その時には、キラとフレイにも同行してもらうことになるだろう。彼のこの言葉に、キラは思わず小首をかしげてしまった。 そういう情報を一番よく知っているのではないか。そう思われる人物に、キラは心当たりがある。だから、彼女に宛ててメールを送った。時間があるときにメールで返事をくれればいい、とそう思ったのだ。 しかし、ラクスの行動はキラの想像の上を行っていた。 「もちろん、存じておりますわよ」 早速、顔を見せたラクスがこう言って微笑む。 「私もアスランも、ご一緒させて頂くことになっておりますもの」 「あたしもよ」 だからといって、キラが戻らないならオーブに残らないからね……とフレイは最初から言い切った。 「フレイ」 本当は、残ってくれた方がいいんだけど……とキラは心の中で付け加える。どのみち、自分はプラントで暮らす以外の選択肢は与えられていないことはわかっているのだ。だが、彼女は違うのだから、とも。 でも、そういったとしてもフレイが大人しく自分の言葉を聞き入れてくれるとは思えない。むしろ反発するだけだろう。 「まぁ、それでしたら、まだ当分一緒にいられますわね」 その上、ラクスがこう言うのでは、キラに勝ち目があるはずがない。 「二人とも……頼むから、船の中でも向こうでも、騒ぎを起こさないでね」 ともかく、最低限の注意だけはしておこうか、と思って口を開く。 「わかっているわよ。キラがそばにいてくれるなら我慢して上げるわ」 そういう問題ではないのではないか。 「なら大丈夫ですわ」 にっこりと微笑みながらラクスが口を挟んでくる。 「私たちは民間人扱いですもの。同じ部屋……ではなくても近くの部屋で過ごすことになるはずですわ」 ですから、そばにいられますわよ……とラクスは告げた。 「……でも、多分、僕はラウ兄様のそばにいると思うんだけど」 隊長室には従卒が使う部屋があるそうだから……とキラは小声で呟く。だから、自分はそこを使う予定だ、とも付け加えた。 「何なの、それって!」 許されるの! とフレイは叫ぶ。 「今と変わらないでしょ」 どうして怒るの? とキラは首をかしげながら問いかける。 「そうかもしれないけど……でも、許せないの」 キラがクルーゼと一緒にいることが……とフレイは言い切った。それがどうしてなのか、とキラは思う。 「ラウ兄様は、やさしいよ?」 だから、フレイが心配するようなことはないと思う、とキラは付け加えた。 「それでも気に入らないの!」 キラの所有権を主張されているようで、とフレイは叫ぶ。 「所有権って……」 「まぁ、仕方がありませんわ。艦内は男性が多いですし……お馬鹿な方も多いですもの」 フレイは自分が守るから心配はいらないが……とラクスは微笑みながらとんでもないセリフを口にしてくれる。 「そうね……虫除けと思えばいいのよね、虫除けと」 その言葉を耳にしたフレイが、ぶつぶつと口の中で繰り返していた。 「……何事もなくオーブに着けばいいな」 ともかくそれが一番だ。オーブに着けば、きっとフレイのことは際が何とかしてくれる。キラは心の中でそう呟いていた。 クルーゼが移動する以上、乗り込むのはヴェサリウスだろうとは思っていた。しかし、そこにフラガがいてくれるとは思っても見なかった、というのは間違いない事実だ。 「まぁ、あいつの最大の譲歩だろうな」 そういって、フラガか笑う。 「お前さん達のそばに変な連中を置くわけにはいかないって事だろう」 その点、自分であれば双方安心できるって言う所じゃないのかと彼は続けた。 「ある意味、過保護?」 「過保護ですわね」 フレイとラクスの言葉に、キラはもう何も言い返せない。 「っていうか、何であいつが……とは思うが、まぁ、いいんじゃないか」 少なくともキラは愛されているし、あの様子なら意地でも幸せにするつもりなんだろう、とフラガは笑った。 「大尉……」 「じゃないって、もう。取りあえず、俺としては巻き込んでしまったお前さんが幸せになってくれると一番いいって事だよ」 もちろん、他の者達も同じ気持ちだろう、と付け加えながら彼がキラの肩に手を置こうとしたときだ。不意にその手を脇から伸びてきた手がはらい落とす。 「ラウ兄様?」 何で、とキラは小首をかしげながら彼の顔を見上げた。 「さすがにね。目の前でキラが他の男に触られるのは見ていて気持ちよくない」 妥協できるのは、せいぜいアスラン程度だ、と彼は平然と口にする。もちろん、キラの父親は別だが、とも。 「……何か、ものすごく嫉妬深くない?」 ぼそっとフレイが呟く。 「フラガ様に関しては、事情が事情ですから……納得するしかないのではありませんの?」 悪い方ではないのだが、とラクスが言い返している。それでも、彼の存在が事態をややこしくしたことは事実ではないかとフォローにならないフォローも付け加えた。 「まぁ、否定できないわね、それは」 「否定してくれよ、頼むから」 フレイの言葉に、フラガは盛大にため息をついてみせる。 「ともかく、それはこき使っていい。ただ、できるだけ部屋からでないようにしてくれるとありがたい」 心配は少ないと思うが、何があるかわからないららね……と微笑みながら、クルーゼはキラの頬をなでる。その感触に、キラはくすぐったいと笑いを漏らした。 「……何か、見ている方がばからしいわ」 フレイの言葉に、他の二人も頷いている気配が伝わってくる。しかし、クルーゼの方はまったく気にしていないらしい。 「時間は作ってあるからね。おじさまとおばさまの元にも顔を出さないと。式はともかく、籍の方だけは早急に何とかしなければいけないらしいからね」 不本意だが、という言葉の意味はキラにもわかる。 「しかたがないです、それは……」 自分が選択した結果だから、とキラは微笑む。 「何、心配はいらない。私にできる限り、幸せにして上げよう」 そのために、必要なものは手に入れたつもりだからね……と言う彼に、キラは小首をかしげる。 「兄様?」 それでいいのか、とキラは思う。 「ともかく、オーブ行きはその第一段階かな」 大船に乗ったつもりでいなさい、と言う彼が嬉しそうだから、取りあえずはいいのか。そう考えることにする。 「これは、完全に見せつけているわね」 「そうですわね」 こうなったら、徹底的に邪魔してやろうかしら……と言うフレイの言葉を、クルーゼは鼻先で笑う。 ひょっとして、こんなところで別の戦いが始まったのだろうか。キラは今更ながらにその可能性に気付く。 もっとも、それはそれで害のない戦いではないか。自分に言い聞かせるように心の中で呟いた。だから、大丈夫だろう、とも。 「平和でなければできないことですわね」 キラの表情から彼女の内心を察したのか。ラクスが微笑みとともにこう言ってくる。 「ラクス」 「フレイさんに関しては、私が責任を持ちますわ。あの口げんかは、見ていて楽しいですし」 何かずれていると思うのは自分だけだろうか。キラは思わず悩んでしまう。 それでも、目の前の光景には人種による差違はない。だからいいか、とそう考えることにした。 取りあえず、世界は一部を除いて平和への道を歩き出していたことは事実だった。 終 |