数時間後、アークエンジェルはザフト――クルーゼ隊に投降をした。 死者はもちろん、誰一人怪我人が出なかった……とキラ少しでも早く伝えようとクルーゼは私室へ向かっていた。 そうすれば、少しは安心するだろう。 アスラン達は知らないかもしれないが、こちらに連れて来てからのキラは、何も食べていないのだ。強引にクルーゼが飲ませている栄養ドリンク――決してうまいとは言えない――がなければ、既に医務室の住人になっていただろう。それでなくても、この戦いの中で、彼女の体重はかなり落ちてしまっているようだ。そんな状況が体にいいわけがない。 「……いざとなれば、あの子の友人ぐらいは特別扱いをしてもかまわないだろうしな」 キラから聞き出した話が本当であれば、ザフトとしては地球軍を糾弾することができるだろう。そうなれば、オーブの世論がどちらに傾くか、目に見えているのではないか。 「無体なまねだけはされていないだろうがな」 あの男がいるのだから……とクルーゼはかすかな笑みを口元に刻む。そして、その表情のまま、自室の前に降り立った。手早くロックをはずすと、そのまま中へと体を滑り込ませる。 「キラ」 そっと呼びかけるが、返事はない。 どうしたのかと思えば、ベッドの上で眠り込んでいる姿が確認できた。 「……疲れていたのだな」 今までの生活を考えればしかたがないことだろう。 さて、どうするか……と思う。起こして伝えてもいいのだが、それではかわいそうだ。だからといって、知らせないわけにはいかないだろう。 「古典的だが、伝言を残しておくか」 手書きのメモなら、大丈夫ではないか。それを彼女の枕元においておけば、いくら何でも気づくだろう。 そう判断をして、クルーゼは自分のデスクへと移動をする。そして、手近にあった紙に流麗な文字で簡潔に状況をしたためる。そして、それをキラの枕元へとおいた。 「ゆっくりお休み」 身をかがめるとそっとその頬にキスを落とす。 そして、キラを起こさないように静かに部屋を後にした。 「あんた達!」 民間人達を移動させようとしたアスラン達の耳に、甲高い少女の声が届く。それは、コーディネイターに偏見を持つ存在だろうか。 そういう相手がいることも、一応理解していた。 だが、そういう相手をキラが守っていたのか、と思えば怒りもわいてくる。 「キラをどうしたのよ! 会わせなさいよ!!」 しかし、次に続けられた言葉に、その怒りは驚愕へと変化してしまった。 「あんた達が連れて行ったんでしょう! 私の大切な友達をどこに連れて行ったのよ!」 視線を向ければ、さっさと会わせなさい、と叫ぶ赤毛の少女が確認できる。そして、その少女を止めているらしい少年少女の姿も確認できる。 「フレイ、落ち着けって」 「そうよ。ここで暴れている方がまずいわよ」 「キラに会わせてもらえる前に処分されたりしたら、困るだろう?」 彼等にしてみれば、つい先刻まで自分たちを追撃していたアスラン達コーディネイターが信頼できないのだろう。しかし、だからといって自分たちが民間人に危害を加えると思われては困る。 「そうは言うけど、こいつらがキラを迫害していたらどうするのよ! キラは、誰よりも可愛いのよ! 血迷うバカがいないとは限らないじゃない」 それに関しては、絶対ないと言い切れる。あのクルーゼに逆らってまでそんなことをしようとするものはいないはずだ。心の中で考えても、実行に移した瞬間どうなるか、ここにいればいやでもわかる。 それ以前に、クルーゼが手を下さなくても自分がそうするに決まっている。 しかし、それを彼女たちに言ったところで理解してもらえるかどうかわからない。 さて、どうしようか。 「アスラン……」 「ともかく、隊長に連絡だな。許可を出せば……あるいは落ち着くかもしれない」 アスランの言葉に、ミゲルが頷き返す。 「そうだな。そうするか」 いざとなったら、全てクルーゼに押しつけてしまえ、と彼等は考えていた。 この考えがある意味甘い……と言うことをアスラン達はまだ気づいていない。 フレイの性格を知らないのだからそれも無理はないのだろう。しかし、自分たちの上官の性格ぐらい把握しておくべきだったのではないだろうか。 気が付けば、時計の時刻は記憶していたものよりも進んでいる。 「……僕、寝てた?」 それだけ疲れていたのだろうか。 それとも、クルーゼの言葉を聞いたことで安心をしたのか。 どちらが正しいのか、キラにもわからない。それでも、久々にぐっすりと眠れたような気がする。 「アークエンジェル! みんなは!」 だが、すぐにキラは眠る前に交わしていた会話を思い出してしまった。そして、その勢いのまま、体を起こす。 その時だ。彼女に指先が何かをはじいた。 「……メモ?」 それが何であるのかを確認すれば、紙に書かれた伝言らしい。しかも、その文字を見ればクルーゼが書いてくれたものだ、と言うことがわかった。 「ラウ兄様?」 自分が寝ている間に彼が戻ってきたのだろう。 忙しい彼がそうしたのは、きっと、アークエンジェルに関係した何かを自分に告げようとしていたからなのではないか。そう思いながら、キラはメモに視線を向ける。 「……良かった……」 そこに書かれてあった内容に、キラはほっと安堵のため息をついた。 「でも、これって、公私混同にならないのかな?」 自分がいるからこそ、彼はこうして寛大な処置を執ってくれたのではないか。キラはそんなことすら考えてしまう。 「それに、いつでもいいから呼びだせって……」 大切な会議をしているかもしれないのに、本当にいいのだろうか。キラは本気で悩んでしまう。しかし、ここで言いつけに従わなければ、後でどんなおしおきをされるかもわからない。だから、おそるおそる指示されたとおりの行動を取ることにした。 「だから、キラに会わせなさいよ! このにやけ男!」 言葉と共に、フレイはディアッカのすねを蹴飛ばす。本当であれば、その顔に爪で線を描いてやりたかったところだったが、サイに背後から押さえつけられている以上、それは不可能だと言っていい。 「そんなこと、許可されると思っているのか、お前は」 それに言い返したのはもちろんイザークだ。 「許すも許されないも、キラは私たちの仲間なの! 民間人なの!! あんた達にあの子を監禁する権利なんてないの!」 そして、自分たちに会わせない権利もないのだ、とフレイは叫ぶ。 父親の影響というわけではないが、その手の知識だけは幸か不幸か豊富だったりする。 もっとも、その中には《キラ》のために覚えた知識があると言うこともまた事実だ。それで、彼女に感謝してもらえる日が来るかもしれない、と思えば、嫌いな勉強ですら苦でなかったりする。 コーディネイター嫌いの自分をそうさせるだけの魅力を、彼女は持っているのだ。 その中で一番大きいものは、彼女が自分たちに対し偏見を抱いていないと言うことだろう。目の前の連中と自分たちに対する態度がまったく違うのだ。 「さっさと、キラに会わせてよ!」 でないと、民間人を虐待したと訴えてやるから! とフレイは口にした。 「もう少し待ってもらえるかね、お嬢さん」 その時だ。柔らかな声が彼女たちの耳に届く。 「……誰……」 視線を向ければうさんくさい仮面を付けた男が立っているのが見えた。 「隊長!」 しかし、目の前のザフトの兵士はその男に向かってこう呼びかけている。そんな彼を手の動きだけで制止すると、その男はフレイ達の側に歩み寄ってきた。 「キラは今眠っているのでね。無理矢理起こすのはかわいそうだ、とは思わないかな?」 その上、妙になれなれしい口調でこう告げてくる。それはそうかもしれないが……とフレイは心の中で呟く。だが、その原因は、と考えたところで、嫌な予感に襲われてしまう。 「あんた、キラに何をしたのよ……」 ひょっとして、よからぬ事をしてくれたのではないか。そう告げるフレイに、彼は苦笑を浮かべる。 「何を、と言われても困るね。一応、ご両親も公認の仲だよ、私とキラは」 さらり、と告げられた言葉に、フレイはキラが自分には婚約者がいると言っていたことを思い出す。しかし、それがこれだなんて……と考えた瞬間、フレイの怒りが爆発した。 「何で、あんたみたいな変態仮面が、キラの婚約者なのよ!」 ついついこう叫んでしまう。 それに対し、当然、周囲からは叱咤の声が飛んでくると思っていた。だが、いつまで経ってもそんなことはない。その代わりのように訪れた沈黙はどういう意味なのだろうか。 その答えをフレイが知ることはなかった。 これがキラの友達なのか。そう思いながら、クルーゼはフレイ達の様子を改めて観察をした。 「なかなか、おもしろい表現だね」 そう言われたことは初めてだ……とクルーゼは笑みを浮かべる。 目の前の少女がこう言ってくるのは、間違いなく《キラ》を心配しているからだろう。それが伝わってくるからこその感想だと言っていい。 でなければ、即座に報復を開始したことは否定できない事実だ。自分の部下であれば、危険な場所に一人で放り出すことぐらいはしただろう。それで生き残ってくれば許してもいいが、と思うことも事実。 気の強さはともかく、それ以外はか弱いとしか言いようがない相手ではそんなことはできないだろう。それに、このくらいは仔猫に引っかかれたようなものだ、と考えることにした。 「これに関しては、それなりの理由があるのだよ。まぁ、戦時中だと言うことで納得してくれないかね?」 キラには素顔を見せているのだし……とさりげなく付け加えれば、周囲に無言の動揺が走る。 「……キラがいいって言っているなら、妥協するわよ!」 認めたくないけど……と言い返してくる彼女に、今度は賞賛らしい気配が伝わってきた。 「だから、キラに会わせなさい!」 すぐに繰り返された主張に、クルーゼは笑みを深める。 やはり仔猫だな、とそう心の中で呟く。それも、自分の主人にだけ懐く仔猫。これはこれで可愛いな、と心の中で呟く。 「起きたなら、すぐに会わせてあげるよ。その前に……そうだね。シャワーでも浴びてさっぱりしてきたらどうかね? 希望するのであれば、すぐにでも用意をさせるが。こう付け加えれば、フレイの表情が変わる。 いや、彼女だけではない。 彼女をなだめていたもう一人の少女も不意に表情を明るくした。 どうやら、本当にあの艦はせっぱ詰まりつつあったのだな……とクルーゼは心の中で呟く。同時に、キラが素直に艦の状況を教えてくれていて良かった……とも思う。 「どうやら、ご希望のようだね。あぁ、他の方々にもシャワーを使って頂けるよう、手配をしたまえ」 それに、子供達には甘いものでも……とクルーゼは指示を出す。 「……ちゃんと、キラに会わせなさいよ」 そんな彼の耳に、フレイの言葉がまた届く。それもこれも、キラがこの場にいない不安からなのか。 「信用してもらえないのは悲しいね」 本当に飼い主の姿を探し求めている子猫のようだな、と心の中で呟きながら、クルーゼはさらに笑みを深める。 「今は信じてもらうしかないのだがね」 「わかったわよ!」 しばらく見つめていれば、妥協するしかないと判断したのだろう。彼女はこう告げる。あるいは、自分がここの指揮官だから妥協するしかないと考えたのかもしれない。 「では、ニコル。彼女たちを居住区に案内してくれたまえ」 彼ならば、外見も物腰も彼女たちに威圧感を与えないだろう。そう判断してこう命じる。 「わかりました」 即座に返答を返してくる彼に、クルーゼは満足そうにうなずいた。 あれこれ雑事を片づけていたときだ。クルーゼの耳に、端末からの呼び出し音が届く。 「目が覚めたようだね」 愛しい少女が……とクルーゼは柔らかな笑みを浮かべる。そして、すぐに端末を取り上げた。 「キラ? 疲れは取れたかね?」 こう問いかければ、小さな声が『はい』と答えが返ってくる。 「なら、大丈夫だね。迎えに行くから用意をしておいで。ご友人が君に会わせろと騒いでくれたのでね」 約束を守らなければいけないだろう……と笑いながら付け加えた。そうすれば、端末の向こうで、キラが絶句し得ているのがわかる。 『……フレイ……ですか?』 しばらくして、おそるおそるという様子でキラが問いかけてきた。 「そういう名前なのかね? 赤毛のお嬢さんだったが」 くすりと笑いながらこう言い返す。 『うわっ!』 やっぱり……とキラは呟く。 「嘘つきと呼ばれては困るからね。みんなに会わせてあげよう」 だから待っておいで……と言えばキラは小さくうなずいて見せた。 友人達の顔を見て、キラはほっとする。誰もけがも何もしていないようだ。 幼なじみと戦ったとしても、絶対に守りたかった彼らなのだ。 それでも、自分は結局彼等を裏切ってしまったのではないかという思いがないわけではない。しかし、彼等の視線はキラの不安を否定してくれる。 だが、どうして彼等は声をかけてくれないのだろうか。キラがそう思ったときだ。 「……キラ、だよな……」 おずおずと問いかけてきたのはトールだ。 「そう、だけど……」 自分が女だ、という事実を彼等は知っているはずなのに、どうして……とキラは小首をかしげる。 「どうかした?」 変な恰好かな……とキラは口にした。 「そういうわけじゃなくて……」 「……あぁ……なんて言うのか……」 「なぁ」 男性、三人組は自分の口から指摘したくないのか。お互いに言葉を濁している。 「キラ!」 不意にフレイの怒ったような声が周囲に響いた。どうやら、彼女はようやくショックから抜け出したらしい。 「あんた、その服、誰から借りたの!」 この言葉に、キラはますますわからないというように反対側に首をひねる。 「誰って……上は、ラウ兄様の私服で……下は仕方がないから、ザフトの人のアンダーを借りたんだけど……」 それがどうかしたのか、とキラは呟く。 「パイロットスーツのままでいるより、いいと思ったんだけど……」 「そういう事を言いたいんじゃないの!」 キラの言葉を途中で遮ってフレイが怒鳴る。 「って、あんたのことだから、気づいていないんでしょう、どうせ」 だが、次の瞬間、ため息と共にこう呟く。 「フレイ?」 本当に何があったのだろうか……とキラは自分の体を見下ろす。しかし、どこを見てもおかしいところはないように思える。 「っていうか……現況はあの男でしょう!」 故意犯に決まっているわ、あのうさんくさい奴は……とフレイは口にした。 「……ともかく、あれ、隠した方がいいわよね」 ここで口を挟んできたのはミリアリアだ。 「ともかく、キラの服も持ってきたから……着替えて……も見えるわね、本当に」 さらに付け加えられた言葉をどう理解すればいいのだろうか。キラは本気で悩む。 「いいわ。そのくらいならファンデーションで隠せるわ」 しかし、ミリアリアの言葉にフレイはこう言い返す。 「後は……あの男にしっかりと文句を言わせてもらいましょう」 「……そうね。まぁ、マーキングのつもりなんでしょうけど」 ここはムシが多そうだから……とミリアリアが口にした。 「だから、何なの?」 友達達みんなは気づいているらしい。しかし、キラだけは未だにわからないのだ。だから、こう問いかける。 「はい」 そんな彼女に向かって、ミリアリアがそっと手鏡をさして出してきた。そして、首筋を指さす。 そこに何かついているのだろうか。 こう思いながらキラは鏡をのぞき込む。 次の瞬間、彼女は凍り付いた。 「おや? おそろいでどうかしたのかな?」 クルーゼはヘリオポリスの学生達を見つめながらこう問いかける。そして、その中で愛おしい少女が顔を真っ赤に染め、今にも泣き出しそうな表情をしていることも気づいていた。 「キラ?」 その理由も想像がついている。 「あぁ。やっぱり痕になってしまったね」 注射の痕が……とさりげなく伝えてやった。そうすれば、愛しい少女はほっとしたような表情を作る。しかし、他の少女達はそうではなかったらしい。 「しらじらしいセリフを言わないでください!」 即座に口を開いたのはフレイだ。しかも、しっかりと彼女はキラを自分の腕の中に閉じこめている。 「何のことかな?」 「わかっているんでしょうが!」 合意の上での行為なら我慢する、と彼女は怒鳴る。しかし、キラが自覚していないのに手を出しただろう、と付け加える言葉に、誰もが動きを止めた。 「それは異な事を……」 しれっとした口調でクルーゼはさらに言葉を口にする。 「信用してもらえないのは悲しいものだね」 本当に注射の痕なのだが……と言葉を重ねた。 「ラウ兄様?」 「あまりに疲れていたようだったのでね。ドクターに頼んで栄養剤を注射してもらったんだよ。何なら、ドクターにも確かめるかね?」 自信たっぷりにこう告げれば、誰も文句を言えないらしい。フレイですら気に入らないという表情でクルーゼをにらむものの、それ以上何も言ってこない。 あるいは、彼女たちもキラの体調を心配していたと言うことか。そして、それに対して何できない自分たちを責めていたのかもしれない。 「納得してもらえたようだね」 満足そうな笑いと共にクルーゼはこう告げる。それがさらにしゃくに障ったのだろうか。フレイは渋面を深めた。 「キラ! 本当にこのロリコン仮面がいいの?」 そして、好機らに問いかけている。 「……ちょっと、フレイ……」 「言い過ぎだよ、本人の前で」 「本当のことにしても、タイミングを考えないと……」 自分の部下達とは違って、この子供達は怖い者知らずらしい。それとも、キラの存在がここにあるからだろうか。 まぁ、キラの前では自分はいつも優しい大人としての一面しか見せていなかった――もちろんこれからも見せたくはない――のだ。そんな彼女から自分の話を聞いているのであれば、これも当然のことかもしれない。 どちらにしても、キラが笑っているのであればいいか、と考えてしまう。 「かまわないよ。もっとも、他の者がいるときには遠慮してもらえるとありがたいのだが」 でなければ、後々困ることになる……と付け加えれば、それに関しては納得したらしい。 「わかりました」 そのくらいは今までの生活の中で身につけたのだろう。彼女たちもあっさりと引き下がる。 「ところで、だな」 こういう子供達は可愛いものだ……と思いつつ、クルーゼはふっと思ったことを問いかけた。 「ムウ・ラ・フラガは、相変わらず、女性には甘かったのかね?」 尋問を誰にさせるかの関係で、聞いておきたいのだが……とさりげなく付け加える。その瞬間、子供達が浮かべた表情から、だいたいの様子が理解できた。 「なるほど……どうやら、女性ははずした方が良さそうだな」 この言葉に、彼等は苦笑を浮かべる。 「とりあえず、数日中にオーブから迎えが来るそうだ。それまでは、居住区は自由にしてくれていい」 キラも、と付け加えれば、彼女は小さく頷いて見せた。 「では、邪魔者は消えよう」 取りあえず、友情を確認する時間を彼女たちに与えようか。その場に自分がいない方がいいだろう。 代わりに、あれこれしなければならないこともある。 「ラウ兄様?」 「彼等とゆっくり話をしなさい」 後で迎えに来る……とキラに告げるとクルーゼはきびすを返す。そして、その場を後にした。 「キラ……」 そんな彼の後ろ姿を見送っていたキラの耳に、フレイの声が届く。 「何?」 視線を彼女に向けると小首をかしげて見せた。 「本当に《あれ》がそうなの?」 そんなキラに向かってフレイはさらにこう問いかけてくる。 「……フレイ……」 「あのさ……」 フレイが何を言いたいのか、彼等も察したのだろうか。ミリアリアとサイが彼女を止めようと声をかける。だが、その程度で彼女がやめるわけはない、と誰もが知っていた。 「本当に、あのロリコン仮面が、キラの婚約者なの?」 フレイの、ある意味よく通る声が周囲に響き渡る。これには、入り口のところで彼女たちの様子を確認していたクルーゼ隊のパイロット――確かラスティと言った――が目を丸くしているのがわかった。 「ロリコン仮面って……やっぱり、ラウ兄様のこと?」 しかし、一応確認しておくべきなのではないか。そう思って、キラはフレイに問いかける。 「他に誰がいるのよ!」 これがフレイの怒りに油を注いでしまったのか。彼女の声は、さらにトーンがあがっていく。 「あんたに不埒なことをしている大人なんて、あいつぐらいでしょう!」 フラガに関しては、そうなる前に自分たちが止めたのだから……と彼女は付け加えた。 「……ロリコンって……兄様は僕より九歳、上なだけだよ?」 大尉ぐらいなら、そう言われても仕方がないかもしれないけど……とキラはとてつもなく失礼なセリフを口にしてしまう。もっとも、本人はまったく気づいてはいないが。そして、友人達もそれに関しては指摘をしてこない。 「何言ってんのよ! あの人の場合、女なら誰でもいいんじゃないの!」 さらにフレイもまたとんでもないセリフを口にしてくれた。本人がこの場にいたらどうなっていたことか、と友人達が考えていることなど、二人は知らないだろう。 「どちらにしても、あの男は変態なの!」 「でも、兄様は優しいよ?」 少なくとも、自分の嫌がることはしない……とキラは口にした。 「そのくらいのことがなければ、そばに近寄らせることなんてできないわよ!」 本当は、今すぐにでも天誅を当ててやりたい、とフレイは叫ぶ。 「……それに、兄様はみんなをオーブに帰してくれるって言ってたよ?」 だから、悪い人間ではない、とキラは主張をする。だから、そんなに嫌わないで欲しいとも。 「だから、あんたは危機感が薄いどころか、欠如しているって言われるのよ!」 簡単にだまされるんだから……とフレイは怒鳴る。 「私が側にいないと、だめなんじゃない!」 この言葉をどう受け止めればいいのか。 誰もすぐには理解できなかった。 「……で? あのお子様達はどうなるんだ?」 目の前に現れたクルーゼに、フラガはこう問いかける。 「お前達が、何故、それを気にかける?」 あきれたようにクルーゼが言い返してきた。 「まぁ……一応、責任があるからな……」 いろいろと……とため息をついてみせれば、クルーゼの雰囲気がふっと変化する。 「責任……な」 冷たい口調に、そう言えば……とフラガは心の中で呟く。 「民間人を無理矢理MSに乗せるようなことか?」 予想通り……と言うべきだろうか。彼は言外にキラのことを告げてくる。 「だってなぁ……誰だって死にたくないだろうが」 「それと、民間人を戦場に放り出すこととは別問題ではないのか?」 コーディネイターだから、いいと判断したわけではあるまい……という言葉に、フラガはむかつく。そんなつもりは、少なくとも自分にはない。もっとも、他の者――正確に言えばバジルールだが――にそのような考えがなかったとは言い切れないところが悲しいが。 「しかも、彼等の話だと……友人達の命を盾にとって強要したそうではないか」 嘆かわしい、とクルーゼはわざとらしいため息をついてみせる。 「今は縁が切れている、とはいえ……実の弟の婚約者を戦場に放り出すか、普通」 「俺は、お前が『婚約した』なんて、つい先日まで知らなかったが?」 ついでに言えば、キラのIDは《男》だったはず。それとも、アークエンジェルに乗り込んでからのほんのわずかな時間で書き換えた、と言うことなのだろうか。 「ほぉ……一応、お前のアドレスにメールだけは送ったぞ? あのころはまだ、十分に連絡が取れたはずだが」 誰かが女性に失敗して助けを求めてきたことも自分はしっかりと覚えている、とクルーゼは付け加える。 「……お前なぁ……」 これをやぶ蛇……というのだろうか、とフラガは本気で頭を抱えたくなってしまう。 「どうやら、本気で自分の立場を理解できていないようだな。それとも、まだ惚けているのか?」 捕虜になったという事実に……と告げるクルーゼの言葉に、なにやら楽しげな響きが確認できる。こう言うときは要注意なんだよな、と心の中で呟いたときだ。 「何なら、フレイ嬢にも同席頂くか?」 一発で目が覚めるかもしれないぞ、と彼は口にしてくれる。 「……人で遊ぶな……」 思わずこう呟けば、 「遊んでなどおらぬよ。嫌がらせをしているだけだ」 と言い返される。 「……お前、本気で怒っていたのか?」 キラをストライクに乗せていたことを……とフラガはおそるおそる問いかけた。 「あの子を本気で苦しめてくれたことにはね。それなりのお礼をさせてもらわなければいけないかな、とは考えているよ」 さわやかすぎるほどの笑みをクルーゼは口元に浮かべる。それが危険信号だ、とフラガだけはよく言っていた。 果たして、自分達はこの艦を無事に降りられるのだろうか。 そんなことすら考えてしまう。 条約がある以上、身体的な危害は加えられないだろう。だが精神的には…… 「……フレイ嬢ちゃんもこの件に関してはラウの味方だろうしな……」 思わず深いため息をついてしまうフラガだった。 「フレイ、だめだよ……」 ようやく衝撃から立ち直ったキラが何とか説得をしようと口を開く。 「僕はコーディネイターだからまだ、プラントでも普通に扱ってもらえるかもしれないけど……フレイはナチュラルなんだよ?」 どんな嫌がらせをされるかわからない、とキラは彼女に告げた。残念だが、オーブと違ってプラントではそうなのだ、とクルーゼからも聞いていたのだ。だから、キラはオーブに残ったのだ、とも言える。 「そんなの、わかってるわよ!」 しかし、フレイは怒鳴るように言葉を口にした。 「でも、まったくいないわけじゃないんでしょ!」 オーブから非公式に派遣されている駐在員の中には《ナチュラル》もいるはずだ。 「第一、私の一人や二人、責任持って守れないような男に、キラを預けられるわけがないでしょうが!」 そのところも確認しないといけないのだ、とフレイは力説をする。 「でもね、フレイ……フレイが傷つけられると、僕が悲しいんだけど……」 こういう時のフレイに正論をぶつけても無駄だ。 だから、フレイのためではなく自分のために……とキラは言葉をつづる。 「キラがそう言ってくれるのは嬉しいわ……でもね、もう決めたの!」 いつもは効果を出してくれるその言葉も、今日は何故かだめなようだ。 「それに、あいつらが言っていたわ。自分たちはナチュラルなんかとは違うって」 ねぇ……と明らかに作っているとわかる笑みを顔に浮かべながら、フレイは言葉をつづる。 「だから、実証してもらおうじゃないの」 本当にナチュラルと違うのかどうかを……と付け加えながらそのままフレイは視線をドアの方へと向けた。そこには、紅い服の相手が立っている。 「……アスラン?」 そこにいるの? とキラは問いかけた。 「……俺が言ったんじゃないからな」 アスランがため息と共にこう告げる。 「イザークが、売り言葉に買い言葉で言い返したんだよ」 困ったことにな……という彼の表情からすれば、それが真実なのだろう。 「だから何? 私は、ちゃんと確約取ったわよ、あの銀色こけしに」 それを反故にする気じゃないでしょうね! とフレイは言い返す。 「……だから、フレイ……」 「キラの迷惑になるって言っているだろう?」 周囲から友人達がこう言ってくる。 「それに……どうするんだよ、お父さんの件は」 さらに、声を潜めてサイが彼女に問いかけた。 「パパなんて関係ないわよ。ひょっとしたら、私がここにいることだって知らないんじゃないの」 知っていても、どうせ政治に使うだけだ……とフレイは言い捨てる。 「フレイ……」 「だから、私は自分の意志でキラと一緒にいるの!」 絶対にはなれないんだから! という彼女に、その場にいた全員がため息をついた。 「……どう、したら……いいのかな」 自分の膝を枕に眠ってしまった少女の髪をなでながら、キラがこう呟く。 「フレイを連れて行く事なんて……できないよね」 自分だってどうなるかわからないのに……とため息をつけば、 「何を言っているんだ、キラ! キラは俺が守るから……」 とアスランが即座に言い返してくる。いや、自分だけではない。パトリックだってキラをかわいがっていたのだ。絶対協力してくれる、と彼は続ける。 「そう言うことは……婚約者の方に言った方がいいよ」 アスランにもいるんでしょう? 可愛い婚約者が……と付け加えた瞬間だ。彼が思いきり嫌そうな表情を作る。 「アスラン?」 どうかしたのか、とキラは小首をかしげて見せた。そうすれば、彼はさらに渋面を作る。 「……俺にしてみれば……キラが隊長と婚約していた方が驚きだけどね」 その表情のまま、彼はこう口にした。 「あぁ……アスランは、兄様にあったことがなかったもんね。僕は……普通のことだと思ってたよ。初恋も兄様だったし」 だから、婚約も当然のことだと思っていた、とキラは口にする。 「生まれる前から決まっていたことだって、母さんが言っていたし」 そう言って微笑めば、何故かアスランはショックを受けたという表情を作った。 「アスラン?」 本当にどうしたの、と問いかければ、 「何でもない……ちょっと、悔しかっただけだ」 と言い返してくる。何が悔しいのだろう、とキラはますます首をひねってしまいたくなった。 「キラは気づいていなかったようだけど……俺の初恋は、キラ、だったんだよね」 隣に住んでいた、可愛らしい女の子、とアスランは歌うように続ける。 「成人したら、すぐにでも結婚を申し込むつもりだったんだ」 その前に、本国に戻ることになってしまったが……と言うアスランの言葉に、キラは目を丸くするしかない。 「……ごめん……アスランは、ただの幼なじみとしか考えていなかった……」 自分はクルーゼのお嫁さんになるのだ、と小さい頃から考えていたから……と呟くように告げる。 「わかっている……あの仮面と、多少性格に難があるとはいえ……隊長は尊敬に値する人だから……」 それでも、すぐに納得できないのだ……とアスランは付け加えた。 「うん……それは理解できる……でも、お祝いして欲しいな」 アスランだからこそ、という言葉に、彼は少し寂しげな微笑みを浮かべてみせる。 「僕も、アスランの婚約者に会ってみたいし」 お祝いしたいから……と付け加えれば、アスランは微笑みに微妙に困ったような色を滲ませた。 「まぁ……それもキラだって、俺は知っているけどね」 この言葉に複雑なものが感じられる。 「アスラン?」 「そういうキラが、好きなんだから……仕方がないよな」 さらに彼がこう付け加えたときだ。 「だからといって、譲るつもりはないのだがな、私は」 不意に室内にクルーゼの声が響く。 「兄様? あの……」 「キラは何も心配することはない。ただ……ちょっと厄介なことが起きたがね」 それでどうするか、これから決めなければいけない、と告げる彼にキラは不安そうな瞳を向けた。 しかし、そんな彼等の上に、また新たな厄介ごとが降りそそいでくるとは誰も予想していなかった。 アスランが『取りあえず個人的に』という注釈付きでクルーゼに呼び出されたのは翌日のことだった。 「何があったんですか?」 心配はいらない、と言うようにキラの髪を優しくなでているクルーゼにアスランは問いかける。 「ラクス嬢がユニウスセブン追悼慰霊団の団長になられたことは知っているな?」 いったい彼は何を言いたいのか。 そう思いながらも、アスランは首を縦に振って見せた。 「……ラクス嬢が乗られた船が、現在、行方不明、だそうだ」 次の瞬間、クルーゼがこう告げる。 「隊長!」 「現在位置は我々が一番近い……と言うことで、この状況だが、我々が探索を行うことになっているが……」 現状ではあまり大人数を割けない。そういう理由が、アスランにはわかっていた。 「……はい」 だが、彼女を今、失うわけにはいかないことも知っている。 いざとなれば、自分一人でも……と思ったときだ。 「兄様」 その時だ。不意にキラが口を開く。 「どかしたのかね、キラ」 本当に、キラを相手にするときは性格まで変わるのではないだろうか。目の前の上司の態度を見るとそんなことすら考えてしまう。 「僕も、お手伝いして、いいですか?」 人捜しであれば、自分でも大丈夫だから……とキラは小首をかしげる。そう言うときには一人でも多い方がいいだろうと。 「そうだね……だが、どうしたものか」 しかし、すぐにはOKを出せないのは、キラの体を心配しているのだろうか。それとも、こちら側の都合か。どちらなのかわからない。 「キラが逃げ出すとか、地球軍にこちらの居場所を知らせるとは思いませんが?」 アスランにしても、どうすればいいのかわからない。だが、キラの気持ちを考えれば、これだけは伝えておかなければいけないだろう。そう思うのだ。 「その気持ちは、私も疑っていないよ」 即座にクルーゼが言い返してくる。 「ただ、キラをあまり人前に出したくないだけでね、私が」 その言葉をどう判断すればいいのか。アスランは思わず悩んでしまう。 「……ラウ兄様?」 もちろん、キラにしても同じだ。本気で首をかしげている。 「わからなければわからないままでいい。そうだな……ローテーションを考えてから、返事をしよう」 だから、少しでも休んでいなさい。こう言われて、キラは素直に首を縦に振った。 その仕草に、ひょっとしてキラはクルーゼにだまされているのではないか。フレイが言っていることの方が正しいのかもしれない……とアスランは思ってしまう。 もっとも、それを口に出すことはできなかったが。 「そうだね、キラ。今日は休んだ方がいいよ」 その代わりに、こう言って微笑んで見せた。 |