キラの側にはアスランがいる。
 その事実をフラガは認識していたつもりだった。
 いや、そうなるのではないか……と確信していたと言うべきか。
 あの男が《キラ》をあきらめるはずがない。その事実を知っていたのだ。まして、自分という《障害》が失われたと考えている以上、なおさらだろう。そして、その認識が彼に余裕を与えているはず。
「それに……キラが」
 よろめかないとは限らないのだ。
 あの子供がそう簡単に自分以外の誰かの手を受け入れるとは思えない。
 しかし、アスランには《幼なじみ》という土台があるのだ。他の誰かよりもキラの心の中で占める割合は大きいはず。
 もっとも、キラの方は相手を《親友》としか見ていないことは知っている。だが、寂しさのために方向を変える可能性も……と考えたときだ。フラガの中で何かがふくれあがり爆発をした。
「キラは……俺のもの、だよな……」
 自分が救い出して、平穏な生活を送れるようにしてやったのだ。再会してからも、細心の注意を払って守ってきた。
 そんな自分だからこそ、キラが好きになってくれたのだろう。
 彼の気持ちがまだ変わっていないだろうことも想像が付く。
 だから、あのころのように自分が守ってやれるのであれば……手元に置いておきたい。
 一言こう口にすれば、あの男が即座に手配をすることは想像できた。
 だが……とまだためらう気持ちも残っている。
 自分の行動が本当にキラのためなのか、と。
 ただ、自分のエゴを彼に押しつけようとしているのではないのか。
 この考えも捨てきれないのだ。
「……キラ……」
 あるいは、選択肢を彼に与えられればいいのかもしれない。
 しかし、それはあの男が許さないだろう。あの男をはじめとした者達は《コーディネイター》に人権を認めていないのだ。いや、認めていたとしても本当にわずかな部分だけだろう。
 それでキラが大丈夫なのか。
 これが、フラガに二の足を踏ませている理由だ、とあの男達は気づいているだろうか。
「それでも俺は……」
 もう一度キラをこの腕に抱きしめたいのだ。
 そして、そのぬくもりを、鼓動を感じたい。
 いや、それだけでは満足できないだろう。
 彼のうちに自分自身を打ち込みたい。そして、その軟らかな肉を十分に味わいたいのだ。その時彼が口走る甘い声を想像しただけで、体の中心に熱が集まった。
「……キラ……俺の……」
 いつまでこの欲求に耐えられるだろう。
 限界はそう遠くないのではないか。フラガはこう感じていた。

「キラ……ちゃんと髪の毛を乾かせって……」
 いつも言っているだろうとアスランは小さくため息をつく。それを口にしても本人の耳に届かないことは明らかだからだ。
 彼は既にベッドの上で夢の世界へと潜り込んでいる。
「本当に……」
 昔から変わらない……と苦笑を浮かべながら、アスランは彼の肩の上まで布団を引き上げてやった。
「……んっ……」
 キラの唇から小さな声が漏れる。起こしたのだろうか、と思って慌てて顔をのぞき込めば、ただの寝言のようだ。その事実に、アスランはほっと安堵のため息を漏らす。
「ようやく、眠れるようになったんだな……」
 そっと指を伸ばすと、額に張り付いている髪の毛を払ってやる。
「あの人が死んでからのお前は……」
 見ている方がつらかったのだ、とアスランは吐息だけで付け加えた。一時期は目を離すのも怖かったくらいに、キラは嘆き悲しんでいたのだ。
 本気で、キラを残していった相手を恨みたくなった。
 だが、彼がいなくなってくれたのだから、キラが自分を見てくれるのではないか……という希望が出てきた、というのも事実だ。
「……キラ……早く、俺を見て」
 そうしたら、夢を見ないですむほど抱きしめてあげるのに……とアスランは思う。だが、以前、無理矢理奪ってしまったからこそ、自分を戒めるしかない。
 キラが自分自身でアスランを選んでくれるその日まで。
 ようやく、月にいた頃のように甘えてくれるようになったのだ。この関係を今更壊す気にはなれない。
 だが、とも思う。
 一度だけとはいえ体を重ねたからこそつらいと思う時がある。
 特に、こんな風に自分の前で無防備に眠っている姿を見れば、今すぐにでも彼の体を抱きしめたいと心の底で叫ぶ自分がいるのだ。
 その体を抱きしめて、自分自身を刻みつけたい、と。
「……キラ、俺は……」
 それでも、まだ我慢できる。
 キラの気持ちが自分へと向けられる可能性があるのだから。
「お前だけを、愛しているよ」
 それでもこのくらいは許してくれるのではないか。
 アスランはそうっと体をかがめるとキラの頬にキスを落とす。
 次の瞬間、キラはふわりと微笑んだ。その表情に、アスランも穏やかな微笑みを浮かべる。
 それもわずかな時間だった。
「……ムウ、さん……」
 キラの唇からこぼれ落ちたのは、死してなお彼の心を縛り付けている相手の名前だった。
 それを耳にした瞬間、アスランの表情がこわばる。
「いい加減、キラを解放してくれませんか?」
 そして、側にはいない相手に向かってこう呟く。もっとも、それに対する答えが返ってこない、と言うことはわかっている。
「だから……俺は貴方が嫌いなんです」
 この呟きは、アスラン以外の耳に届かなかった。